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豚こま肉は生姜焼きの夢を見るか?

この物語はフィクションであり、実在の個人・団体・店舗・書籍タイトルなどとは関係ありません。

 漸く辿り着いた金曜日の夕方。

 奇跡的に30分程度で残業が終わった崎谷さきや いずみは、ひゃっはー! と叫びだしたい気持ちを押さえながら気配を消して帰り支度を始める――勿論、余計な仕事を振られない為にだ。

 誰にも聞こえないだろう小声で『オツカレサマデシター』と呟くと、脇目も振らず駅へと向かう。勤務先の最寄駅は路線の始発駅となっており、待てば座れるのが有り難い。三本目の電車を待つ列に並ぶと、程無くして滑り込んできた電車に乗り込んだ。


 電車の心地好い振動に揺られる事約30分。いつもなら通り過ぎる駅で一旦降りて、乗り換えてからは10数分。各駅停車しか停まらない駅の一つしかない改札を通り抜ける。

 足早に帰宅を急ぐ人や建ち並ぶ店をゆっくりと物色する人。そんな駅前の様子を眺めながら足を進めると、商店街から道を一本外れただけでいきなり雑踏のざわめきが遠ざかる。いつもそれを不思議に思いながらも、なんだか非日常が始まる様な気がして泉は年甲斐もなくわくわくするのだ。

 そうして店舗の殆どが既に営業時間を終えた雑居ビルの前を左に曲がると、街並みは住宅街へと趣を変える。

 住宅街の始まりの一軒目、そこが泉の目的地だ。

 入り口の前には広めのスペースが取られ、植物の植えられた素焼きのプランターや看板替わりの黒板が立てられている。

『CAFE&BAR 極光(オーロラ)

 アスファルトの道路から木板を敷いた小路に踏み入り、プランター達の間を縫う様に伸びるその道を3階建ての家屋へと向かう。ロッジ風な作りの1階部分、ドアの横の窓ガラス越しに見える店内の照明は仄かに煌めいて、カウンターに立つ人影と視線が合った気がした。

 『OPEN』と書かれた木札の下げられた扉を開けると、ドアに付けられたカウベルがカラン、と柔らかい音をたてて泉を出迎える。

「今晩はー!」

 口にした挨拶がカウベルの余韻に混じりあうのを聞きながら、泉は1週間が漸く終わった事を実感していた。

「いらっしゃいませ。今日は少し早いですね?」

「うん。珍しく残業が早く終わったのですよ」

「1週間お疲れ様でした」

「ありがとー! ほんとに疲れましたわ……」

 カウンターが6席、窓際に二人がけのテーブル席が二つあるだけの店内は、席数こそ少ないがテーブルも広めで隣席との間もスペースがゆったりと取られている。まだ早い時間のせいか、店内にはマスター以外の人影は無かった。

「今日は私が一番乗りかな」

 カウンターのほぼ真ん中の席に陣取ると店の中に視線を向ける。

「そうですね。うちのお客様は都心で呑んでから、帰宅途中に立ち寄る方が多いですから」

「一杯ひっかけてから帰って来ると、丁度酔いが覚め始める距離感だものね」

「ええ」

 苦笑しながら出されたお冷やに礼を言い口にすると、微かに感じる柑橘の香り。視線の先には家族経営のこの店の、バータイムを任されているマスターが穏やかに立っている。その印象を一言で現すなら『性別不祥』。170センチは優に越えているだろう身長に細身の身体。女性にしては高め、男性にしては華奢なそれをいかにもバーテンダーといった服装に包み、長めの黒髪を首の辺りでひとつに束ねている。

 店に顔を出す様になったのはここ一年程だが、知り合ってからはもう五年以上になる付き合いから性別も知っている泉でも、そんな印象を覚えてしまう中性的な顔立ち。もっと都心部で店を開いていれば、きっとマスター目当ての固定客も付く事だろう。

(まぁ、そういうの興味無さそうな人だけど)

「今日はどうなさいますか?」

「うーん、お昼が遅かったからお腹もまだそんなに空いてないんだよねぇ」

「空きっ腹じゃないなら先に一杯いきますか?」

「うん。お願いします」

 ドリンクの準備を始めるマスターを頬杖をついて眺めながら、お昼という単語に昼食時の記憶が蘇る。

「ねぇ、マスターは豚の生姜焼きはお好き?」

「多分、嫌いな日本人を探す方が大変だと思いますよ?」

「デスヨネー」

 ライムを切る手は止めずに、笑いを含んだ答えが返って来る。

「私も、一人暮らし始めてから生姜焼き好きになったんだけど」

「ちょっと待って下さい、一人暮らしを始める前は?」

「実家では食べた事ないのよね」

「はい?」

 氷を砕いていた手が、身体ごと動きを止める。ポカンと口を開けて泉を見るその表情に、珍しいもん見ちゃったなー等と考えながら。

「似た様なメニューはあったけど、味付けは焼肉のタレ使ってたの」

「……なるほど」

「で、初めて食べてからは自分でも作る様になったんだけど。生姜の香りが飛んじゃうんだわさ」

 止まっていたマスターが動き出し、程なくしてコースターとコリンズグラスが目の前に差し出される。

「お待たせしました。モスコミュールで良かったですよね?」

「勿論!」

 グラスを持ち上げ、一口。

「わ、今日は辛口?」

「はい。仕入れに行ったら久しぶりに置いてあったので」

「嬉しいなぁ。いつものも美味しいけど、たまにこの辛口が飲みたくなるんだよねぇ」

「生姜焼きの香りが飛ぶって、どういう作り方してるんですか?」

「んー、普通じゃないかな? 前は漬け置きした肉を焼いてたけど、今は片栗粉をまぶして焼いてからタレで軽く煮込んでる。

 ちゃんと生姜の香りと味はするのよ? でも物足りないっていうか……もっとガツンとした生姜感が欲しいの」

「なるほど……」

「それに、今日のお昼に食べた定食屋さんの生姜焼き……生姜の事もだけど、野菜がモヤシしか入ってなくて切なくなっちゃったのよぅ」

 泉はカウンターに突っ伏し嘆くが、下唇を親指で撫でながら考え込むマスターに気付くと期待の眼差しを向けた。

「何かいい解決方法ありますか!?」

「サキヤさんが生姜焼きに入っていて欲しい野菜は?」

「玉葱とピーマン!」

「……何とかなりそうかな? すみません、ちょっと居住スペース(上の階)に行って来ます」

「わかりました、留守番は任せて下さい!」

 満面の笑顔で送り出すのだった。



「お待たせしました」

 その後すぐに戻って来たマスターは、上の階から持って来た食材と共に厨房に引きこもった。そして待つ事暫し、店内に芳ばしい醤油の香が漂い始める。

 生姜を纏った焼けた醤油の香りに胡麻油が更なる香ばしさを添えると、然程空いていなかった筈の泉の胃が激しく自己主張を始めた。

「サキヤさん、ひとまずおかずだけでいいですか? 米もいきます?」

「米も下さい!」

 そうして泉の前には米、味噌汁、豚の生姜焼きが置かれた。

「味噌汁は家の夕飯の残りなんで申し訳ないですが」

「とんでもない! 自分では味噌汁なんて殆ど作らないから有り難いですよ」

 両手を揃え、いただきますで食べ始める。

(ん? 黄色い粒々?)

 まずは生姜焼きを一口。生姜の香りが鼻の奥へと抜けていく。そして噛み締める口の中には、甘じょっぱい醤油ダレと混じりあいながらも自己主張をしてくる生姜のキリッとした辛さ。

「うっわ、ウンマ~!!」

 夢中で白米を口の中に放り込む。

「凄い、このパンチの聞いた生姜の味と香り! これって……」

「はい。タレを作る時に、おろし生姜とみじん切りにした生姜を入れてみました。もっと生姜感が欲しかったなら、火を止めた後にもみじん切りを投入するしかないと思いますけど」

「ううん、これが丁度いいです!」

 生姜焼きと、それを引き立て更に旨味を増幅させる白米に、口の中が至福で溢れる。

 がっつきそうになる自分を押さえつけるのは大変だったが、それを人前でするのは既にアウトなお年頃だ。

 気が付けば、生姜焼きも結構な量が盛られていた筈の白米も残り僅かとなっていた。ションボリな顔文字そっくりな表情になっている泉は静かに笑いを堪えるマスターに気付かないまま、意を決して最後の一口を食べ終えた。

「はぁ~美味しかった! ご馳走さまでした!」

「お粗末様でした。相変わらずいい食べっぷりですね」

「だって、本当に美味しかったんだもの」

 手を合わせながら満面の笑みで話す泉に、マスターが笑いかける。

「サキヤさんは、食べっぷりもだけど表情がわかりやすいから。本当に美味しいと思って貰えてるのがわかるから、作り甲斐がありますよ」

「そうですか? 自分じゃよくわからないなぁ。家族にはよく無表情とか言われてたし」

「一人暮らしを始めてから結構経つのでしょう? 善くも悪くも、人間は日々変わって行くものです。少なくとも私は、サキヤさんのその変化は良い物だと思いますよ」

 マスターの穏やかな声と話し方は、不思議と泉の中にストンと落ちて来る。

「有難うございます?」

「何故疑問形」

「何となく?」

 二人で同時に吹き出す。

「はぁ。さて、と。デザートにカルアミルクお願いします」

「畏まりました」

 メジャーカップを取り出して作り始めるマスターを眺めていると、然程アルコールに思い入れの無い自分がこうしてバーのカウンターに座っている事が不思議に思える。まぁ、半分以上はマスターの料理が食べたいからなのだが、『巡り合わせ』や『人の縁』といった物を強く感じるのだ。

「お待たせ致しました」

 グラスが既に片付けられ、何も乗っていなかったコースターの上にロックグラスが置かれる。

「有難うございます」

 マスターが自分用にペットボトルのお茶をグラスに注ぐのを見ながら、泉はグラスを手にすると目の高さに持ち上げた。

「それじゃあ1週間お疲れ様でした、な私と休み明け1週間スタートなマスターに」

 合わされたグラスがカチン、と澄んだ音を立てる。

『乾杯』

 そうして、週末の夜は更けていく。






《Closed》



第一話でいきなりタイトル詐欺とか・・・orz

少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。

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