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苦手な方はご注意ください。

星に願いを……こめた先にあるものは

作者: 夕鈴

覗いていただきありがとうございます。

いつも以上にご都合主義全開ですので、広い心で読んでいただけると嬉しいです。

空から星が降りそそぐと予言された月夜のことである。

一人の少女は一心不乱に窓の中から祈っていた。

空には雲がかかりいつもは明るく世界を照らす月さえ姿をみせない。

もう一人の少女は夜空には見向きもせずに美しい笑みを浮かべて貴公子達に囲まれていた。

正反対の二人の少女は人生の分岐点に立ったことは気付いていなかった。



****


窓から光が差し込み、あまりの眩しさに少女が目を醒ました。

目を醒ました少女はゆっくりと体を起こすと体の重たさに首を傾げた。周囲を見渡すと見慣れない部屋にいることに気付き、懐に手を入れると肌身離さず持っている護身用の短剣がないことよりも膨らんでいる胸に驚く。手を見ると侍女達に美しく磨かれた爪は見たことがないほど伸びており、指も太く短く白魚のような手と褒めたたえられた昨日までの手とは別物だった。しなやかな筋肉がつきつつも細く女性らしさを備えていた腕もぽっちゃりと肉付きが良く、少女にとっては脂肪の塊の腕に変わり果てていた。腰まで伸びていた艶やかな髪も肩に届かないほどの長さに無造作に切られている。

姿を鏡で確認したくても、部屋には本や服、草やお菓子、さまざまなものが無造作に投げ出されていたが鏡は見当たらなかった。昨夜眠りについた自室よりも広い部屋。散らかし放題の部屋を初めて目にした少女は身を守るための武器を探すことにした。浚われた時の対処方法は幼い頃よりも仕込まれていた。ベッドから物が錯乱している床にゆっくりと降りた少女は人の気配に姿勢を正した。


「ただいま。お土産を持って来たよ」

「お寝坊なお姫様はもう起きてるかしら」


満面の笑みを浮かべて入ってきたのは少女の両親だった。少女にとっては厳格な両親の笑みと猫撫で声に毒に侵されているのかと思考するも、無駄なことと思考を放棄し礼をした。


「おはようございます。このような姿で申しわけありません」

「まぁ!!上手に礼ができたわね!!リリーは凄いわ!!」

「リリーは頑張ったのだな。リリーに悪い虫がつかぬようにお父様が守ってやろう」


少女の美しい礼に両親は満面の笑みを浮かべたまま抱きしめた。少女は呼ばれる名前にも自身を優しく抱きしめる両親にも違和感を覚えても口に出さずにされるがまま時間が過ぎるのを待っていた。少女は人の思考を読むのも、望まれるまま振舞うのも得意だった。特に癇癪持ちの両親に関しては。



少女の名前はエレオノーラ・グラウ。

グラウ一族の始祖と同じ琥珀の瞳を受け継ぎ、幼い頃から女公爵となるため厳しく育て上げられた公爵令嬢である。王族教育よりも厳しい教育により身に付けたどんな時も崩れない美しい微笑みを持ち、王族よりも気品ある所作で振舞い老若男女とはず魅了する大人気のエレオノーラは公爵家の跡取り娘でなければ王太子妃に選ばれただろう。

もうすぐ18歳になるエレオノーラはすでに公爵代行として務めており、20歳になり正式に公爵を継げる年齢になるのを待つだけ。ふっくらとした子豚のような父親から美しい娘への代替わりを多くの者が楽しみにしていた。

一見全てにおいて完璧なエレオノーラ。そんなエレオノーラの本当の姿を知るのは一握りの者だけだった。




***


グラウ公爵夫妻にとって愛娘と仲睦まじい親子の時間を過ごしている頃、王都にあるグラウ公爵邸は不穏な空気に支配されていた。


「お嬢様はお疲れなのでしょうか……」


グラウ公爵家の使用人達は食事の時間になっても執務の時間になっても寝室から出て来ないエレオノーラに戸惑っていた。生まれてから一度も寝坊することなく、過酷なスケジュールをこなしていたお嬢様が初めて寝坊した。寝坊だけなら微笑ましかった。真面目なお嬢様が執務を放棄し、行儀悪くベッドの中で果物をかじっている姿を窓の外から見てしまった使用人は見間違いかと疑った。何度見ても変わらない姿は常に冷静な使用人達を困惑させるには十分なものだった。夜着を着崩したまま、時々怪しい笑い声を上げるお嬢様。赤子の頃のエレオノーラを知る使用人達は一度も見たことのない自慢のお嬢様の様子に白昼夢か、夢なら覚めてくれと現実逃避をはじめていた。



「約束したのに面会謝絶とはどういうことだ。病なら俺が見てやるよ」


エレオノーラの部屋の前に集まっていた使用人達は聞き覚えのある声に姿勢を正し向き直った。エレオノーラへの求婚者の一人である青年は隙だらけの使用人達の間を抜けて扉に手をかけ、部屋に入った。使用人達が我に返る頃にはパタンと扉が閉められていた。使用人達はエレオノーラの許しなく部屋に入ることはできない。来客中は特に。そのため、中に入ってしまった青年を止めることはできなかった。


「おかわり?遅いわよ」


ベッドの中でりんごにかぶりついていた少女が花束を持って近づいてくる青年に気付いた。


「条件は全て適えた。先代から、陛下や殿下からも前向きな答えを得た。他に望みはあるか?」


自慢気に微笑む青年の名前はラウス・プラン。プラン侯爵家の長男だがグラウ公爵家に婿入りするために継承権を放棄し嫡男の座を成人とともに弟に譲った青年である。

エレオノーラの婚約者を決める権利を持つエレオノーラの祖父の無理難題を乗り越え、エレオノーラの婚約者候補をさまざまな方法で潰し優秀さを惜しみなく披露してきた青年でもある。


「私は一族に認められ公爵領民を慈しみ大切にしてくださる方と添い遂げたく存じます。ですが私に決める権利はありません。お気持ちだけありがたく頂戴いたしますわ」


と度重なるラウスからの求婚にも美しく微笑みながら受け流し、仕事の話を始めるはずのエレオノーラがラウスの顔をじっと見つめた。ラウスは自分を見つめる見たことのない感情の色を持つ琥珀の瞳と弧を描く唇に違和感を覚えた。


「―――――私の下僕、実験台に」


ラウスがエレオノーラと出会って10年。聞いたことのない甘えるようなささやき声や初めて見る父親そっくりの欲深い笑みにラウスは眉を顰めそうになるのを抑えてエレオノーラに近づいた。ラウスが恋した美しい少女は公爵家の人形である。自我を持つことが許されず、一族に求められるままに振舞う全てを諦めている美少女。ラウスはエレオノーラの特別になりたい。エレオノーラに影響力を持つのは公爵夫妻と先代公爵夫妻だけ。

ラウスはグラウ公爵家についてエレオノーラより、よく知っていた。


「お前は怪しい魔術に魅入られたリリアーナ嬢だろう。目的はなんだ」

「私がエレオノーラ。だってずるいもの。エレオノーラのお小遣いは私よりも多いのよ。エレオノーラの命令にはすぐに従うのに私の話は聞かないなんて理不尽よ。ちょっと年上だからって」


頬を膨らませるリリアーナはエレオノーラの3歳年下の妹である。グラウ一族の始祖に似た美しい顔立ちのエレオノーラと違い子豚のようなグラウ公爵にそっくりな容姿である。



ぽっちゃり体型のグラウ公爵夫妻は夫婦仲が良いが、美的感覚が変わっていた。厳格な両親に育てられたグラウ公爵は自分によく似た娘がのびのびと成長していく姿を好んだ。嫡男ゆえに自分が許されなかった純粋な子供時代が過ごせるように財を惜しまなかった。その財の出所は成長したエレオノーラの個人資産であったが……。



グラウ公爵は平凡な男だった。先代グラウ公爵はどんなに教育しても平凡な一人息子に諦めを覚え、フォローするため優秀な夫人を迎えようとしていた。子豚であっても国内一権力を持つ公爵家に嫁ぎたい令嬢は多かった。

ただ親の期待をことごとく砕くのが得意な男はある意味期待を裏切らなかった。

脂ものの少ない豪華な晩餐とは正反対の脂たっぷりの家庭料理を披露する貧乏な伯爵令嬢に胃袋と心を掴まれた。

自身の婚約者は両親が勝手に決めるとわかっていた。それでも欲にあらがえず、恋仲になった伯爵令嬢を身籠らせてしまった。

婚前交渉が許されない貴族社会で伯爵家はグラウ公爵家による制裁を受け、全てをなかったことにされる前に新聞に貧乏伯爵令嬢のシンデレラストーリーを公開させた。

王国では新たな命、とくに尊い血をひく者の誕生は祝福される。

祝福せざるをえない状況に追い込まれたため、先代公爵夫妻は表面的には伯爵令嬢を受け入れた。子供が生まれたら産後の肥立ちが悪かったことにするつもりだったが両親とは一切似ていない琥珀色の瞳を持つエレオノーラが生またので、計画を変え心から祝福した。


琥珀の瞳を持ち、生まただけでずっと羨望や憧れの眼差しを注がれ一族の宝物のように扱われるエレオノーラを、平凡なグラウ公爵は妬んだ。自分にも夫にも似ていないエレオノーラを公爵夫人は娘とは思えなかった。厳しい義理の両親に自身とは正反対に優しく大事にされる娘に徐々に妬みが募っていった。

公爵家の宝である赤子が伸ばした手を振り払う母親はもともと招かざる公爵夫人の立場をさらに悪くした。

公爵が両親に虐げられ、使用人達に蔑まれる愛妻を連れて別邸に引っ越したのを止める者はいなかった。

視野が狭く両親に敵わない公爵には逃げるしか選択肢はなかった。名ばかりのグラウ公爵夫妻は自分達の結婚がどれだけ波紋を呼んだかは気づかなかった。

先代公爵がグラウ公爵夫人として迎えようとしていたのはプラン候爵令嬢。美しく聡明な令嬢を夫人として迎えるために便宜を図り続けた。

迎え入れる条件は息子に爵位を譲り、令嬢の子供を後継として育て、第二夫人を持たないこと。

ようやく迎え入れる準備を整えたのに全てが台無しになった。唯一の救いは婚約は公表されていなかったため、プラン候爵令嬢の名誉は守られたが適齢期を逃してしまった。多額の賠償を払ったが、今まで候爵家に遅れをとることのなかった公爵家の立場がかわり始めた。公爵夫人に相応しいプラン候爵令嬢を追い出し、格式ある公爵家に初めて醜聞を作った子豚夫婦は罪の重さを理解していなかった。


「エレオノーラの個人資産目当てか。へぇ。ずるいか。俺はお前のほうがよっぽどずるいと思うけどな。エレオノーラの美しい顔も中身が変わればこうも醜くなるのか。まぁ、楽しめば?楽しめるならな」

「はぁ!?なんで」


ラウスはバカにした口調でリリアーナに言葉をかけ背を向けて部屋を出た。顔を真っ赤にして怒るリリアーナの言葉に一切の興味を失い足を進めていく。使用人達の縋るような視線も気付かないフリをして、新たな策を練り始める。姉妹の入れ替わりなど誰も思いつかない。先代公爵夫妻はエレオノーラに任せて避暑に出かけている。公爵家の頼みの綱のエレオノーラの豹変という前代未聞の出来事を収集できる人物はいないため、急ぎで先代公爵に早馬を向かわせることしかできなかった。


リリアーナはラウスのバカにした態度に怒り、癇癪をおこした。物を投げて、花瓶を割り、大きな声でラウスを罵り、次第に疲れて眠りについた。

入出許可がないためどんな音が響いても部屋に入る者はいない。

お嬢様の許しなく部屋に入る勇気を持つ使用人は誰一人いなかった。

公爵家ではどんなときもお嬢様の命令は絶対である。

文武両道、医師免許も持つ全てにおいて完璧なお嬢様に緊急事態が起こるなど誰一人想定していない。どんな事態も冷静に対処できるよう教育されているのが未来のグラウ公爵であり自慢のお嬢様である。

****


「公爵家が隠すだけあるよな。どうすればあんなものが育つか。天下のグラウ公爵家も世代交代か。俺の予想通りなら疲弊しているだろうな」


エレオノーラが利発さを褒めたたえられる頃にリリアーナを身籠ったが先代公爵夫妻の関心はエレオノーラのみ。先代公爵夫妻は優秀な孫に期待をかけ、平凡な息子夫婦も新たに生まれる孫にも関心はなかった。夫婦にとっては古い価値観を押し付ける迷惑な両親に干渉されない別邸でグラウ公爵夫妻はリリアーナを溺愛しながら家族の時間を過ごしていた。

エレオノーラは妹が生まれたことを知っていても会うことはなかった。厳格な祖父母、時々帰宅しても苦言しか言わない両親、礼儀正しい使用人、全てが完璧で非の打ち所がないエレオノーラが情を知識としてしか知らない欠陥を抱えていると気付いているのはラウスを含め一握りのものしかいなかった。




エレオノーラは生まれたときからグラウ公爵令嬢として育てられた。

一度だけ母にのばした手はパンと振り払われた。


「はしたない。公爵令嬢ならどんな時も一人で佇みなさい」


「これじゃ足りん。お前ならなんとかできるだろう。未来の公爵にとって、はした金だろう」


父が会いにくるのはお金が欲しい時ばかり。公爵家として用意できないと言えば頬を叩かれ罵られる。

求められる言葉は一つだけ。


「かしこまりました。心にとどめます」


祖父に内密にすると言えば満足そうに頷き、ズシンズシンと部屋を出て行く父親が振り返ることは一度もなかった。

視察に行けば親と子は仲睦まじい様子で手を繋いでいた。それを羨ましいと思ってしまったことはエレオノーラにとっての汚点だった。どんなときもグラウ公爵家の利を追及すること。グラウ公爵家の天下を後世に引き継ぐこと、それがエレオノーラに求められることだと気付いたのは3歳の時だった。

エレオノーラに妹が生まれても何も思わず、両親に求められるまま祖父母から贈られた宝石とドレスを渡した。

社交界で褒めたたえられるようになってもエレオノーラの世界には、従うべき存在と大切に庇護すべき存在とその他しか存在しなかった。

どんなに年を重ねてもエレオノーラの一線を越え感情を揺らす者は誰もいなかった。

エレオノーラの一線を超えることを許容しただろう人(両親と祖父母)達は形式的な会話のみで決して踏み入れない。

一線を越えたいと望む人物はエレオノーラにとって敵や取引相手、弱みを見せられない存在なのでエレオノーラが許さない。

見たことないほど上機嫌な両親が部屋を出てから人払いしたエレオノーラは鏡に映る祖父母が嫌う自己管理されてない体をじっくりと見つめた。父親によく似た実の妹だろう人物の体に思うところはあっても優先すべきは部屋に散乱している違法な魔術の本のことだった。

どんなときも公爵家第一で現実主義のエレオノーラは公爵家として絶対に見つかってはいけないものの処分を決め使用人達に命じた。


「この邸にいる全ての者を邸から出るように。今すぐに。命令です」


口調の違うお嬢様の雰囲気を使用人達は気にしない。ぽっちゃりした子豚のお嬢様の気まぐれはいつものこと。どんなときも忠実に命令に従うだけである。短気なお嬢様の癇癪をおこさせないように付き合うのが一番賢い接し方だと理解していた。

エレオノーラは使用人達が全て邸外に出たと聞き、部屋に戻り蝋燭を魔術の本の上に落とした。

本に火が落ち、炎となりどんどん広がっていく。

公爵家にとって別邸が焼けてなくなるよりも、違法の魔術の本の所持が見つかるほうが問題である。エレオノーラは炎がどんどん広がっているのをぼんやりと眺めていた。

全ての本が燃え、灰となるのを見届けるつもりだった。

しばらくしてふと脳裏に浮かんだのは数時間前に向けられた見たことのない両親の顔。胃がキュっと痛み出し、吐き気に襲われた。思い出せば思い出すほど不快で堪らない先ほどの光景にエレオノーラは本が燃え尽き、部屋に炎が広がっていることに気付かず、茫然と立ちつくしていた。


****


燃えているグラウ公爵別邸を使用人達は静かに眺めていた。


「お嬢様がまた何かやらかしたんでしょうか」

「なにがあろうとグラウ公爵がなんとかするだろう。お嬢様のためなら金を惜しまない。金の卵を産む優秀なお嬢様がいらっしゃる。


ラウスは煙の上がる方向に嫌な予感がして馬に鞭を入れた。

変わったお金持ち親子が住む邸宅から大きな音がしたり煙が上がるのはよくあること。

ただラウスにとっては違った。

次第に炎に飲まれるだろう邸宅の窓を割って飛び込んだ。



エレオノーラは窓が割れる音と人の気配に灰になった本から顔をあげると無言で部屋に入ってきた見覚えのある青年を見た。ラウスは炎の中でも落ち着いている少女の瞳に乱れて映る髪を手櫛で直しながら、数分前の慌てようが嘘のように笑いかけた。エレオノーラは見慣れたラウスの笑みに初めて安堵を覚えたが、表情には出さずに静かに口を開いた。


「無礼です」

「俺達の仲に必要ないだろう」

「お戯れを」

「俺が恋しく手を取る気になっただろう?俺はお前のことを誰よりも知ってる」

「いいえ、私はお爺様のご、ゴホゴホ」


吐き気を隠すため無理矢理飲みむと咳に襲われた。エレオノーラはどんな時も、腹痛だろうと高熱に襲われようとも我慢できる。ただストレス耐性のないリリアーナの体は違った。

咳を抑えようとする真っ赤な顔の子豚の背中をラウスは優しく撫でた。


「バカ。吐いていい。我慢するほうが体に悪い。医者の言うことはきちんと聞け。気分は聞くまでもないよな」

「お気遣い不要、んっ」


断ろうとするエレオノーラの口の中にラウスは丸薬を入れ無理矢理飲ませた。飲み込んだことに焦るエレオノーラはずっと襲っていた不快感は消えたが突然眠気に襲われた。いつものエレオノーラはラウスに遅れをとらない。だが武術の嗜みもなく、ぽっちゃりとしたリリアーナの体はエレオノーラの思いどおりに動かない。それでも眠気に抗おうとするエレオノーラにラウスは笑顔で首に手刀を放ち、意識を奪った。


「おやすみ。婚姻するまで手は出さないから安心しろよ」


優しく囁きながら崩れ落ちるエレオノーラを抱き留めた。

ラウスは誰よりもエレオノーラは見てきたと自負している。ダンスとエスコート以外で触れるのを許さないエレオノーラ。リリアーナの体であっても、エレオノーラへの恋情は変わらない。リリアーナのエレオノーラと正反対の短く傷んでいる髪を優しく撫でた。


「エレオノーラの気持ちはわかるよ。突然愛情を注がれ、甘やかされても気持ちが悪いよな。お前が許されなかったものを甘受され続けた存在達。やつらはお前を犠牲にして平穏を手に入れた。いずれ情は俺がたっぷり教えてやる。鳥籠も壊してやる。だから気付かなくていい。本物は俺が教えるから。そろそろ行かないとまずいな」


リリアーナは体が弱いため王都から離れた自然豊かなグラウ公爵領の別邸で過ごしていると公表されていた。体が弱いために社交デビューせず、領地で命の灯が消えるのを待つだけの幸薄い令嬢というのがグラウ公爵夫妻が語るリリアーナ・グラウである。

ラウスはリリアーナの体をマントで包み、優しく抱き上げ、炎が燃え広がる邸から脱出した。

そして誰の目にも触れないようにラウスの所有する隠れ家を目指した。



***


エレオノーラは目を開けると見慣れない部屋にいた。

覚えのある気配と重たい体にため息を飲み込んだ。

ラウスが目を醒ましたエレオノーラに気付き、優しく微笑んだ。


「治療中だ。説明は必要か?」

「体に力が入らないのは薬の所為ですか?」

「病だ。お前のお爺様から完治するまで姿を見せるなと天才医師が任された」


ラウスの生家は医術においては国内一。

グラウ一族も医術に特化していたが、以前プラン侯爵令嬢への賠償の一つとしてグラウ一族に伝わる医学書を譲渡した。

全てにおいて王国一を誇っていたグラウ一族は秘蔵の医学書の譲渡した二年後、歴代務めていた王宮医の座を婚期を逃したラウスの叔母に奪われた。

ラウスは叔母に師事し、天才医師の後継者として有名であり、エレオノーラはラウスの言い分に納得した。

幼い頃、祖父母は課題が終わるまで決してエレオノーラを部屋から出さなかった。

求められる成果を出さなければ食事も与えられない。

なにより変わりすぎる環境にエレオノーラは疲れていた。祖父の命令は絶対であり、ラウスの言い分は最もで疑う余力もなかった。

ストレスに弱いリリアーナの体はエレオノーラの思い通りに動かない。淑やかに振る舞うこともできず、公爵家の恥でしかない体へのもどかしさは、さらにリリアーナの体とエレオノーラの心を追い詰めた。


「ありえません。許されません。このままでは」


一人になったエレオノーラのつぶやきをラウスは扉の外で聞いていた。

初めて聞く平坦な感情のない声ではない焦った声色。

どんな感情でもエレオノーラの心が動くことに笑みを深めた。いずれ自分にもありのままの顔を見せて欲しいと願いながら謀略のために動き出した。

ラウスの謀略を家族が歓迎してくれるのは相談しなくても明らかだった。


***



エレオノーラは固形物は全て吐いてしまい、焼けるように痛い喉では喉ごしのよいラウスの煎じた薬湯を飲むのが精一杯だった。エレオノーラの責任感の強い性格は療養生活に向いていなかった。次第に背中を撫でるラウスの手を振り払う気力もなくなっていた。


「公爵家のことは大丈夫だ。先代が代行している。焦らなくていい。少しずつ回復しているから。お前が引き継ぐまでには完治させてやる。外に風にあたりに行くか」


ラウスは目を伏せて感情を隠しているエレオノーラを抱き上げて、外に出た。


「目を開けろよ。夜空なんて見たことがないだろう。絶対に完治するから。もしも戻れなくても俺が傍にいる。俺はお前が好きだ。どんな無様な姿でも。大丈夫だから」


エレオノーラは目を開けると、満天の星空が広がっていた。夜空を見上げることなど一度もなかった。


「寒いなら温めてやるよ。欲しい物は全て手に入れてやる。公爵家の安泰だろうと、流れ星だろうと」


エレオノーラは唇を結んだまま夜空を見上げた。そして一言も音を出さずに、ただ耳元に響くゆっくりとした心音に耳を傾けていた。ラウスはゆっくりとエレオノーラの髪を撫で、拒まずされるがままのエレオノーラに口元を緩めた。


****


エレオノーラが思考を放棄していた頃、公爵邸は修羅場だった。

別邸をリリアーナが全焼させたという報告に、エレオノーラの眉が吊り上がり叫び声が上がった。使用人達はエリアーナの奇行にさらに驚き、飛び込んできた公爵夫妻は鬼のような形相をした。


「燃えた!?邸が!?あそこには貴重な本が!!」

「何を言ってるの!!貴方の妹の亡骸もないのよ!!奇跡の一族の始祖ならなんとかしなさい!!」

「リリアーナを、私達の可愛いリリーを、秘術でもなんでもいい。お前は公爵になるんだろう!!領民、ましてや実の妹の命より大事なものなどないだろう!!」


邸が燃え、リリアーナの姿がないと報告を受けた公爵夫妻はエレオノーラのもとに駆けこみ、最愛の妹ではなく本の心配をするエレオノーラの肩を力強く掴んだ。


「パパ、本は、私の部屋の」


リリアーナはなんでも我儘を聞いてくれる父の見たことのない顔に驚く。

グラウ公爵夫人は力一杯エリアーナの頬を叩いた。


「その口調はなんなの!!リリーの真似をしても可愛げのカケラもない」

「ママ!?」

「いい加減になさい」


いつも微笑みながら全ての願いを叶える娘の反抗的な態度に公爵夫妻はさらに頭に血が昇った。


「どうして!!叩くなんてひどい!!そんなのどうでもいい!!私の本と部屋を」


リリアーナは両親の怒った顔にそっくりな顔で癇癪を起こして言い返した。リリアーナを救えと騒ぐ公爵夫妻と大事な私物が燃えたと怒るリリアーナの噛み合わない言い合いは三人の体力の限界がくるまで続けられた。



***


薬湯しか飲めないエレオノーラは少しずつ固形物を摂取できるようになっていった。

エレオノーラはラウスが用意したパン粥を無言で口に運びながら、欲の籠った視線で自身を見つめる男について思考を巡らす。

邸には人の気配はほぼなく、エレオノーラの部屋を訪ね世話をするのはラウスだけ。

もしも祖父がラウスに依頼してもおかしい状況である。


「どうした?なんでも答えてやるよ」

「いいえ。ご馳走様でした。もう休みますわ」

「そうか。隣の部屋にいるからいつでも」


エレオノーラはポンと頭に手を置き、ゆっくりと髪に手を滑らせるラウスに微笑み礼をした。ラウスが退室すると窓から夜空を見上げた。

窓から小鳥が入り、エレオノーラの肩に止まった。エレオノーラは肩に止まった小鳥の頭を指で撫でながら夜空を眺めていると流れ星を見つけた。


「流れ星、ほうき星を見つけた時が運命の分岐点と言われています。船医だった初代は未知の病の治療法を見つけ、陛下を救い爵位を得た。その時に夜空から星が落ちてきたと綴られていました。私の役割は、これが神のおぼしめしですわね」


リリアーナのぽっちゃりしていた体は痩せ、祖父母好みの凹凸のある体型になった。それでもグラウ公爵家の者がエレオノーラの前に現れない。

ラウスに世話され、人里から離れた場所に隠れて生活する理由に思い当たった。

リリアーナは違法である魔術の本を集めていた。そのことをラウスは知っており、のちのちグラウ公爵家より優位に立つ取引材料にされる恐れがある。なかったことにするにはリリアーナが姿を消すのが一番だった。当事者がいなければ罪の立証はできない。証拠があっても裁判をして有罪判決を受けるまでは罪には問われない。


「これが一番です。彼は油断なりません。お爺様達がいますし、心配いりません」


エレオノーラは少しずつ思う通りに動くようになっていく体に微笑んだ。

ラウスの油断を誘うために、触れられる手を拒むのはやめた。


「欲しい物はあるか?」

「はい。久しぶりに鹿肉を」

「狩ってきてやるよ。エレンに狩りはまだ早いだろう」

「ありがとうございます。ラウス様」


微笑むエレオノーラの額にラウスはそっと口づけを落とした。エレオノーラに爵位ではなく名前で呼ばれるようになり、愛称で呼んでも微笑みながら首を傾げるエレオノーラに一度も縮まることのなかった距離が急速に近づいていく気がしていた。初めてのエレオノーラからの願いにラウスが上機嫌で出掛けていく姿をエレオノーラは見送った。


「しばらく戻りませんね。プラン様、油断はいけませんわ。欲に目が眩むと思考は乱れますわ。殿方は凹凸のある体に従順な女性に弱いもの。特にプラン様の年齢ですと、まぁ私にはありがたいことでしたわ。さて、この国のものに絶対に会わない場所に行きましょう。初代様のように船医になるのもいいでしょう。お幸せに」


ラウスが出掛けたのを確認して、エレオノーラは窓から軽やかに飛び出した。

初代グラウ公爵の願いは全ての病の治療方法を見つけること。

罪を犯したリリアーナに居場所はない。できるのは初代の願いを叶えるために研究の旅に出ること。そして結果だけを匿名でグラウ公爵家に送ればいい。

エレオノーラはグラウ公爵家のために生きる道しか知らない。

信じた道を突き進むだけである。いつの間にか描かれるようになったグラウ公爵家の紋章にあるイノシシのように。



****


グラウ公爵家の修羅場は先代公爵夫妻が帰るまで続いていた。

エレオノーラの豹変に先代公爵夫妻は固まった。

グラウ公爵夫妻は両親の顔を見た瞬間に動きを止めた。リリアーナは癇癪を起して花瓶を割っていた。先代公爵夫人は礼をせず、暴れている優秀な孫娘に気を失いそうになった。

グラウ一族が心の病に罹るなど許されない。しかも初代の瞳を受け継ぎ、才も溢れる奇跡の子が。


「気が狂ったなど許さん。エレオノーラに言葉が届かないとは、もう仕方あるまい」


先代グラウ公爵は今のエレオノーラにグラウ公爵家を任せることも他家から迎えいれた婿に取り込まれず過ごすことも無理だと判断した。

分家から先代公爵に忠実な子息を選び、エレオノーラの婚約者に選んだ。

エレオノーラに望むのは後継を産み、お飾りの公爵になることだけだった。



リリアーナはエレオノーラになってから自由を奪われた。

個人資産の多いはずなのに、全てが管理されており私的なことに使えない。

毎日薬を無理矢理飲まされ、家族に逆らえば折檻される。

もとに戻りたくても魔術に必要な魔導書も贄も用意できない。


「こんなの望んでなかった。どうして」


リリアーナは重たい体をシーツでくるみながら夜空を見ると星は一つも見えなかった。


「逃げてやる。絶対にもとに」


リリアーナはもとの体に戻ることを決めた。

遺体が見つかっていないのでエレオノーラが生きていると確信を持っていた。

リリアーナが必死に集めた魔導書がグラウ公爵家に闇を運んだのはまた別のお話である。



***


エレオノーラに出し抜かれたラウスは叔母とお茶をしていた。


「グラウは終わり。よくやりました。ですが、愚策。先に抱いてしまえば」

「叔母上!?」

「エレオノーラにとって他家は敵。警戒を緩められるのは一族の証を持たぬもの。国に帰ることのないエレオノーラと運命の出会いを演出できればどうなるかしら。分家してもきちんと成果を送るなら支援はしてよ?」


一族の繁栄第一の夫人は優雅に笑う。ラウスをエレオノーラの婿にして、グラウ一族の秘術の情報を得る予定だったが必要がなくなった。衰退していく一族に興味を失い次の策を考え始める。





欲に溺れたものが願いを叶えた先にあるものは。

運命に抗わない者だけが勝者だった。

お人形として育てられた少女は一人になりさまざまな出会いを繰り返していく。

お伴は肩に止まる小鳥。

海の女神と呼ばれるようになる美女は多くの弟子を持った。

弟子達は後世に名を残すが女神の名前を知る者はいない。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


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