第83話 初めて呼ぶ彼の名前
「甘い・・・!! その程度の集中力で皆んなを救えるとでも!!??」
ドカッッッ!!
音速の速度からの蹴りを、アンは右肩に思い切り受ける。
「キャァァァァ!!」
攻撃の勢いに身体が流され、思わず左側に軸が揺らめきあわや倒れ込みそうになる。だが、アンは倒れることさえ許されなかった。なぜなら、軸がブレた直後、今度は斜めになっている左側から強烈な衝撃波を浴び、再び強引に直立姿勢に戻された。
音速の速度を誇る悪魔だからこそ成し得る、極悪非道の攻撃無連打。倒れこむことすら許さない、それは心を最大限にまで締め付け、もはや勝機がないように思えてくる。集中しなければ、と力を溜めることに意識するが、いつしかアンの意識は蓄積されるダメージに飛びかけていた。
「そろそろ、張り詰めた緊張の糸も切れそうね・・・。さぁ! これでとどめよ!!」
その声だけが、アンの鼓膜を震わせるが、依然として悪魔の姿は見えない。アンの能力による、風の力は9割が集まっていた。だが、あと1割を集める時間と、それを解き放つ猶予をこの悪魔は見逃してくれないだろう。つまり、万策尽きたのだ。
アンは、崩れそうな意識の中。一思いに大きく息を吸い込んだ。彼の名前を呼ぶために、そして今にも消えそうな命の灯火に送る酸素を求めるように。だが、彼女の声は、吸い込んだ息の量と反比例して、限りなく空気に紛れ込むか細いものであった。
「助けてよ⋯⋯ 。シル⋯⋯ 」
その声は誰の耳に届いただろうか。超高速移動をしている悪魔には届いていないことは間違い無いだろう。カーラにも届かない。では、バスに乗っている他の学生だろうか。いや、彼女たちも恐怖のどん底に落とされ、それどころでは無いだろう。耳に聞こえるは死へ誘う死神の足音のみ。
しかし、一人だけ。たった一人の男の耳には、しっかりと届いてた。風音に惑わされましない。無数に傷を作りながら、息を激しく乱しながら、彼はこの場に颯爽と君臨するのであった。
「当たり前だろ。そう約束したじゃないか!!」
悪魔の高速移動では、彼の覚悟を止めることは叶わない。阻害しようと動く悪魔であったが、彼はそれを全て目で捉えられているかのように、華麗にかわしてみせた。
「まるで・・・あなただけが違う時間軸で生きているみたいね」
アンが倒れこむ間に辛うじて見開いた目には、こちらに手を伸ばそうとする彼の顔が至近距離で映し出される。そして、地面へと向かう動きが途中で止められた。彼の左手がアンの背中に手を回し、斜めの体勢でアンは彼の顔を真正面から捉える。
「すごい汗。それに、身体にも傷がたくさん。血もいっぱい出てるわ。助けに来てくれたのは白馬の王子様じゃなくて、傷まみれの王様ってわけね」
「傷まみれでも、こうして君の身体を支えることはできるさ。さぁ、そんな無駄話はしている暇はないよ。早くその力をバスに向けて放って!」
大きく頷くアンの目に、黒い物体が映った。それは、この場において異常なる物体。そう、悪魔の鋭利に尖る爪先が高速の加速という助力を得て、彼の身体に向けて向かってきていたのだ。
「かっこいいじゃない、バーン・シル!!! 女ひとり助けるために、こんな死地に飛び込むなんてね!!! 男子グラウンドの地獄を抜けて来れた事は褒めてあげるけど、それ以上私の作戦を壊そうなんておこがましいのよ!!!!」
「シルーー!!!」
生暖かい液体がアンの顔にも飛びかかる。アンの甲高い悲鳴が上がるのと同時に、それは四方に飛散する。それ以上声を上げようにも、言葉が思いつかない。ただ、気がつけば彼の名前を、初めてアンは叫んでいた。




