四話 買い物戦争②
由奈は廊下の隅に置かれた新聞置き場から、過去二週間分のチラシを選び部屋へと持ち出した。
「あなたも見るのよ?」
部屋で漫画を読んでいた洋平は、驚いたように口を開けた。
「うへぇ」
「つべこべ言わない」
チラシを半分押し付け、由奈は一つ一つを調べ始めた。
決まった曜日に肉や魚が安くなるセールが行われる事はすぐに把握できたが、それ以外の突発的な激安を把握するには、些かチラシが足りなかった。
「資源回収でこれしか残ってなかったから、細かい部分が分からないわ」
「これぐらいで宜しいのでは?」
洋平が下手に出たが、由奈はキッと洋平を睨みつける。凄まれた洋平はおずおずと首を引っ込めた。
「バレーはデータ戦なの」
「関係……あります?」
再び睨まれた洋平が視線をそらす。まるで蛇に睨まれた蛙だ。
「黄金世代だかなんだか知らないけど、私だってやってやるわよ……!」
絵里子の笑い顔を思い出し、怒りを滲ませる。
言われっぱなしでは気が済まない。
由奈は、そう決意した。
玉ねぎが安いと言われた日。
由奈は玉ねぎ売り場の前で頭を悩ませていた。
特売でもなく、さらりと書かれた最安値。
これを絵里子は知っていた。
「あの、すみません」
玉ねぎを袋詰めしていた高齢の女性に声をかけた。
女性はエプロン姿のまま買い物に来ており、まるで料理の途中で買い出しに来たかのようであった。
「この玉ねぎって、今日みたいに突然安くなるんですか?」
女性は顔だけを由奈に向けて、忙しそうにこたえる。
「わたしもこの店は長いけれど、今日みたいなのは読めないわ。たまたまよ」
「そうですか……」
玉ねぎを二十個ほど袋詰めした女性は、さっさと店の奥へと行ってしまった。
地元での主婦歴は明らかにあの女性の方が長い。
しかし何故か絵里子は知っていた。
その何故かを突き止めない限り、由奈は絵里子に勝てない気がしたのだった。
「お義母さん、二日後の玉ねぎの安売りを知っていたんだけど、もしかして知り合いが働いてる?」
ベッドに寝そべりスマホをいじる洋平に、由奈は覆い被さった。
「んー……前に腰痛めてからずっと専業主婦な筈だけど」
顔をスマホに向けたままの返事に、由奈は洋平の脇腹の肉をつまんだ。
「前はどこで働いてたの?」
「何処だっけかな……あ、近くの印刷所だったかな」
洋平がようやく由奈の顔を見た。
お返しに脇腹の肉をつまもうとした洋平の手を素早く払い、由奈は少し考える素振りを見せた。
「印刷所?」
何か引っ掛かるものがあったが、それが何なのかは直ぐに出てこなかった。
それに気付いたのは三日後の事だった。
「ちょっとそこを右に曲がってくれ」
社長を駅まで迎えに行った帰り道、由奈はとある会社に向かわされた。
「石英印刷……?」
大きな工場の間に建てられた小さな建物。古臭い看板が色あせて所々サビむしていた。
正面には座席のシートがはげたフォークリフトが停めてあった。
「やあ、どうもどうも」
社長が我が物顔で印刷所へと上がった。
通された応接室のソファに体を沈め、差し出されたお茶をすする。
「近くまで来たもんだからね。どうだい最近は」
「まあまあかな」
石英印刷の社長が手にしていたチラシの袋を机において笑った。見慣れたチラシ。焼け野原のチラシだ。
広告日は三日後になっている。
「あ、あの……!」
由奈は慌てて声をかけた。何故それがといった顔だった。
「そのチラシは焼け野原の広告ですよね?」
「ええ、ウチで印刷してますから」
由奈は驚いた。
印刷の事を考えれば、広告の値段が決まるのは、当日よりずっと前。
由奈はその事にようゆく気がついたのだ。
「絵里子さんって方をご存知ありませんか?」
その問いに石英印刷の社長は笑ってこたえた。
「知ってるも何も、少し前までウチで働いてたし、今でもたまに遊びに来てるからね」
「知り合いかい?」
「ええ、少し……」
由奈は誤魔化したが、確信を得た。
絵里子は石英印刷に立ち寄って印刷直後のチラシを入手している。
──それってインサイダー取引じゃないの!?
そう由奈は憤慨した。
帰宅後、由奈は焼け野原のチラシをわざとらしく目立つところへと置いた。石英印刷で貰った三日後の日付の物を。
「えっ!?」
チラシを見つけた絵里子が、それを勢い良く手に取りそそくさとエプロンの中へとしまい込むのに、そう時間は掛からなかった。
「お義母さん、いまチラシを仕舞いませんでしたか? 少し見たいのですが」
由奈がしたたかに言い放った。
「こ、これは……」絵里子が口篭もる。
「何故隠すのですか?」由奈は圧を放った。
「べ、別に隠すだなんて」
「では見せて下さい」
由奈はエプロンのポケットから素早くチラシを引き抜いた。
広げて日付を見る。当然明後日の日付だ。
「おや?」と、わざとらしく声をあげた。
「こ、これは違うの」
しどろもどろな絵里子を見て、由奈は全てを確信した。
「石英印刷で貰った二日後のチラシを見て、買い物を決めていたんですね」
絵里子は押し黙ってしまった。肯定の沈黙だ。
「しかも焼け野原だけじゃない。石英商店もです」
それは石英印刷の社長に聞いたから間違いは無い。
石英印刷では焼け野原と石英商店のチラシを印刷している。
「ぐっ……」と息が漏れたのも束の間、絵里子の鋭い目付きが由奈へと向けられた。
「石英印刷の社長にも、焼け野原の店長にもちゃんと了承を得ているわ! 何も問題はないわよ!!」
そう強く言い放ったが、それを確かめる術は無い。
確かめれば大変な事態に発展する可能性も否めない。由奈がそこまで足を突っ込まない事を見越しての啖呵だ。
「別に悪いとは言ってません。ただ」
由奈は冷ややかに言葉を続ける。
「次からは私にも見せて下さいね、お義母さん♪」
それは有無を言わさぬ脅しのような言葉であった。