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鶴舞  作者: 神山雪
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7.邂逅のミネアポリス

 アメリカのミネアポリスで行われる、97年の世界ジュニア選手権。


 盛岡の花巻空港には国際便がない。まず成田空港まで出て、成田からシカゴのオヘア国際空港で乗り換えをして、MSPミネアポリスに到着する。成田からシカゴまでが十時間以上のフライトで、乗り換えでシカゴに降りたとき、足が岩みたいに固まってしまっていた。


 2枠のある日本の男子シングルは、俺と長澤先輩が出場することになった。長澤先輩は全日本選手権で4位に入り、招待されたジュニア勢の中で、俺に次いで2位だったからだ。悲願の世界ジュニア出場だった。代表が決まったとき、長澤先輩は号泣して俺に抱きついてきた。


 翌年に長野五輪を控えているせいか、この世界ジュニアの男子は「長野五輪でメダルを狙える選手」よりも、「次のソルトレイクシティ五輪に向けての各国のエース候補」がそろっている、とみられていた。


 出場選手は今回50人。まずはA組とB組の二組分けられた予選があって、各組で20位までがショートプログラムに進み、ショートの結果から上位24人がフリースケーティングと続く。

 その中で、気になる話が神月先生から飛び出てきた。予選が終わった夜、俺の部屋で先輩と神月先生と、三人でミーティングをしていた時だ。


「ロシアからすごい男の子が出るらしい。昌親の一個下だよ。予選A組なんだけど、1位で通過したみたい」


 思わず、目が点になった。


 ジュニアの大会においても、14歳の俺は若手の方……というか、その「ロシアのすごい子」に次いで最年少だ。予選の方はB組2位で通過した。単独のルッツの着氷でオーバーターンをしてしまったからだ。しかしそれでも2位とは、悪くはないどころか、自分でも驚きの結果だった。


 件のロシアの選手。一つ年下という事は、彼は日本だと中学一年生のはずだ。ジュニアカテゴリーは13歳から19歳までと幅広い。ほとんど子どもと言っていい中学二年の俺がいれば、大学生ぐらいの、もう成人と言っても差支えのない体格の選手もいるのだ。


「その選手、何て名前でしたっけ?」


 予選の結果シートを見る。

 A組一位の名前はユーリ・ヴォドレゾフ。誕生日は、5月25日。……驚いた。ほとんど俺と一歳違いだ。予選はフリーを滑る。そんな彼の結果は……。


「……うわ、凄いな……」


 横から予選の結果シートを覗き込んだ長澤先輩が、感嘆の声を上げた。ちなみに長澤先輩は予選B組の5位だ。全体の9位。ずらずらと並んだ数字は、全てが5.8。これは確かにすごい。自分のシートを見る。5.6が全部だ。


 顔も知らない彼に対して生まれたのは、ライバル心ではなく親近感だった。よその国から、俺より年下で世界ジュニアに出ている。しかも、俺よりも遥かに点数が高い。


 そんなスケーターがいるのが純粋に嬉しかった。

 ロシアのユーリ・ヴォドレゾフ。その名前をしっかりと体の内側に刻んだ。


 *

 

 くじ引きの結果、俺はショートプログラムは第5グループの二番滑走になった。同じく身の四番滑走がロシアのユーリ・ヴォドレゾフ。長澤先輩は最終グループの最終滑走。ショートのトリを飾ることに、先輩は吐きそうだと泣き言を言っていた。


「第5グループの選手は練習を開始してください」

 時間になり、英語のアナウンスに沿って練習を6分練習に入る。ユーリ・ヴォドレゾフはどれだろうか。首を回してそれらしい人物を探す。滑走順を決めるくじ引きの時、俺は後ろのほうに座っていたからその姿を拝見できなかったのだ。


 赤毛の背の高い選手。USAのジャージを着ている。違う。黒髪のがっしりとしたアジア系の顔立ちの選手は、カナダのジャージを脱いだところだった。


 ……ん?


 一人、やたらと細い金髪の選手がいた。ジャージは着ていない。フィギュアスケート選手というよりも、頬の柔らかさや、背丈が伸びていないことから、幼いこどもと言ったほうがしっくりくる。南国を思い起こすエメラルドグリーンの瞳は濁りがなく、それがこどもっぽさを過分に演出していた。だけど、顔立ちはこの場にいる誰よりも繊細に造られている。


 壊れやすそうな綺麗なこども。

 あれだろうか。一つ年下のロシア人。というか、あれ以外考えられない。小さいし、色白いし。


「昌親!」


 リンクサイドから先生に叱咤される。短い一言には、周りを気にしすぎないでもっと集中しろという意味が込められていた。


 予選から二度目のリンクは、感じたことのない緊張感で満ち溢れている。6分間練習で横を通り過ぎたカナダの選手は、イーグルが誰よりも深くてスピンがうまい。アメリカの選手はダイナミックで、切り返しがきっちりしているルッツが見ていて気持ちが良かった。


 だけど。

 緊張すること。周りがすごいことと自分の演技は別物だ。

 何も変わらない。やることはいつも一つ。今できる、最高の演技をすればいい。


「全日本ジュニアより良かったんじゃないの?」

「そうですかね?」

「あんたの心臓が羨ましいわ」


 演技終了後、キス&クライに座った先生が呆れたように笑った。


 感じたことのない緊張感が、逆に俺に力を与えてくれたようだ。逆に伸び伸びと滑れた。ノーミスで終えた俺の頭を、神月先生は犬のようにわしゃわしゃと撫でた。表示された点数に……しっかりと頷く。これを喜ばずして何を喜べというのか。現時点で、ショート1位に躍り出る。改めて、歓声が上がった。


 ヨーロッパの小さい国際大会は出場したことがあるが、ジュニアといえど世界規模の大会に出るのは初めてだ。


 仕立てのいいスーツを着たジャッジからは威厳を感じるし、運営するスタッフもどことなく気品がある。

 だからだ。


 キス&クライから立ち上がる。バックヤードに戻る前に、近くで見ていきたい。先生は次のグループで滑る長澤先輩のケアのために、すぐに廊下に戻っていった。


 気が大きくなっている自分を自覚する。

 年下のロシア人がどんな演技をするのか。楽しみでならなかった。




 彼の出番はすぐにやってきた。


 6分練習であれかな、と思った小さい少年がユーリ・ヴォドレゾフだった。彼はリンクサイドで初老のロシア人と向き合って、最後の打ち合わせをしている。指導者は男性で、真剣ながらも温かみのある眼差しでヴォドレゾフを見つめている。確か、ワジム・スタビスキーという名前だった。ソ連時代からの著名なコーチだ。


 ワジム先生の眼差しとは対照的に、向き合うユーリ・ヴォドレゾフは徹底した無表情だった。何がしか話をかけるコーチに、機械的に頷くだけだ。エメラルドグリーンの瞳は無機質なガラスのように透き通っていた。光のないビー玉のような。


 無表情。機械的。無機質。……いや、本当はどれも違う。

 あれだけ人形のように綺麗なのに、底のない暗さを感じる。無は無でも、虚無といった単語が正しいかもしれない。


 名前がアナウンスされた。半分ぐらいしか埋まっていない客席から、まばらな拍手が起こる。観客が少ないのは、世界規模の大会でもジュニアだからだろうか。これがシニアなら満員だっただろうか。


 モニターに表示された情報を確認する。ユーリ・ヴォドレゾフ。13歳。国籍はロシア。英語で表示されている使用曲はJ.S.Bach、Air on the G Strings。


 ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲の「G線上のアリア」。


 タイムリーなことに、出発前、今年度のおさらいで音楽の授業で聞いた。G線だけで紡がれる有名なヴァイオリン曲は、有名なだけにごまかしが効かない。前に、プロとアマチュアが弾いた「エリーゼのために」を聴き比べたことがある。未熟な弾き手が弾くと音の荒さがわかるように、未熟なスケーターが滑ると、滑りの拙さがわかってしまうのではないか。


 俺の思いをよそに、ヴォドレゾフが定位置に着く。

 曲の始まりは、プログラムの始まり。

 よく伸びるヴァイオリンに乗せて、ユーリ・ヴォドレゾフは柔らかく、そして無駄なく滑り始めた。

 


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