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鶴舞  作者: 神山雪
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3.霧の中の旅立ち


 優勝した大会は、小学生限定の大会だった。公式戦ではなかったけれど、勝ち進めば全国の大会に出られるよ、というものだ。

 この大会での優勝は地元の新聞でとり上げられた。釧路に帰ると、学校のクラスメイトやリンクメイトは口々に祝福してくれた。両親と祖母も、手放しで喜んでくれた。ありがたい。俺が出場したのは小学四年生から六年生までのクラスで、四年生が優勝したのは快挙だったそうだ。


 小学校五年生になった93年は、次の年がリレハンメル五輪という年だった。


 俺が最初に憧れた星崎総一郎選手は、92年のアルベールビル五輪で7位入賞を果たした後、その年の世界選手権を最後に引退した。世界選手権は5位だった。彼の演技は相変わらず堂々としていて、前のオリンピックの時よりも円熟したうまみが出ているように見えた。そして、針に糸を通すかのように繊細だった。

 選手としてやり残したことはありません、プロに転向します。これからは自分のために滑ります。叔母が送ってくれたスポーツ雑誌には、そう書かれていた。首を傾げた覚えがある。自分のためではなく、ほかに滑る理由があるのだろうかと。


 俺は小学校五年生になっても変わらずに練習を重ね、変わらずに大会に出場した。たまにもろこし農家の兄さんと会って、自分の競技の近況を確認しあった。兄さんは中学3年生になって、より一層スピードスケートに励んでいた。高校はスポーツ特待で進学するようだ。久しぶりに兄さんの滑りを見ると、力強さと何よりもスピードが昔と違っていた。今のところ負けなしなんだ、と少し誇らしそうに笑っていた。会うたびに兄さんは、4年後の長野五輪に出たいと熱く語っていた。


 その年のプログラムはヴィヴァルディの「四季」から「冬」にした。釧路は夏場でも涼しかったから、その涼しさをイメージして三木先生が作ったプログラムだ。


 学年が上がって変わったことといえば、少し背が伸びたことだ。そのおかげか、ルッツを除く4種類の3回転が飛べるようになったのだ。ルッツの完成は近い気がする。そうでなくては困る。俺が目指しているのは、トリプルアクセルなのだから。


「アクセルは前向きで飛ぶ唯一のジャンプ。鳥が空へ向かって飛び立つような、王者の風格があります。トリプルアクセルを飛ぶ瞬間が一番好きでした」


 王者のジャンプ。星崎総一郎は雑誌のインタビューでこう語っていた。好きなジャンプはなんですか? という問いに、迷いなく彼はトリプルアクセルと答えた。

 憧れの選手が飛んだ、王者のジャンプ。

 自分が飛ぶ姿を目指してはスケートに励んだ。

 そして再び、去年と同じ全日本クラスの大会で優勝を果たした。


 *


 ……リレハンメル五輪も終わり、千葉で開催される世界選手権が近くなった3月の初めの日。朝、ちらちらと降っていた雪が止んで、午後にはすっきりとした晴天が広がった。相変わらず寒いけど少しづつ春の気配が近くなった頃だ。

 その日は学校が半ドンになり、午後いちでリンクに向かった。


「昌親君、ちょっと話があるから、いいかな?」


 練習の途中で、三木先生に呼ばれて事務局に入った。コーチングスタッフが入るような事務局には、三木先生専用のデスクがある。学校の職員室を数段ミニマムにした感じの部屋だ。

 事務局には先生と俺しかいなかった。


「何でしょうか? 来季のプログラムの話ですか?」


 三月はもう大会はないから、来年に向けての準備だ。6年生になるから、5種類のトリプルを入れたい。この時には、三回転ルッツを2回に一回の確立で成功できるようになった。トリプルアクセルにはまだほど遠いけれど。

 そうじゃない、と三木先生は顔を振った。


「昌親君、君はフィギュアスケートで何をしたい?」

 その答えは持っている。始めた時から、ずっと。

「世界の人と戦いたいです」


 世界に憧れて。星崎総一郎をはじめとして、あのテレビの中の選手たちに憧れて、彼らのように戦いたくて、俺はフィギュアを始めた。滑る理由は少しずつ増えて、もっと人に見てもらいたいと思うようになった。


「いいね。素直で。世界の人。国際大会で戦えるようになりたい。その為の実力を君は付けたいわけだ。じゃあ、世界の人と戦って。君はどうなりたい?」


 聞かれた意味が分からなくて、思わず瞬きを何度か繰り返してしまった。


「すみません、わかりません」


 素直でよろしい、というように三木先生が笑った。

 三木先生は居住まいを正して切り出した。


「世界の人と戦う。その為の力を付ける。……それだけではなくて、世界の頂点を目指してみない?」


 地球の裏側から与えられた言葉のように聞こえた。


「君にはオリンピックチャンピオンになる資質がある。少なくとも私はそう思う。君ぐらいの年で、君ぐらい滑れる子はあんまりいない。それにまさか、初めて1年でダブルアクセル覚えるなんて思わないじゃない」


 どんなに才能のある子でも、普通だったら4年はかかるんだよ、と三木先生は付け足した。そんなに難しいものだっただろうか。……才能というものを、自分で認識したことはなかったから。そうなんですかと聞いたら、ほかの人に聞かれないほうがいいよとやんわりと窘められた。


「でもその為には、君はこの街を出ないといけない。……盛岡に、優秀な先生がいてね。選手としてオリンピックにも行ったし、指導者として世界選手権の帯同もしている。その人に、君を紹介したいと思う」

「それって、つまりは……」


 釧路を離れて、三木先生ではない新しい先生の元で教わるということだ。


「いきなりでごめんね。でも、本当に。私ではなくて、きっと盛岡の神月先生だったら君を世界に導ける。ゆっくりでもいいから、考えてみて」

 練習の邪魔してごめんね、という三木先生の一言で、その話はいったん終わりになった。



 *



 その後は、ずっと三木先生の言葉を頭の中で繰り返していた。練習に身が入らなくなってしまったのだ。このままここで滑るか、それとも盛岡に行くか。いきなりの話題で、言葉に追いついていない自分の心を認識していた。

 ……世界の人と戦って、俺はどうするつもりだったんだろう。どうなりたかったのだろうか。あなたは何になりたいの? と突きつめられた気分になった。


 盛岡には有名なフィギュアクラブがある。たまに送られてくる叔母さんからの雑誌をめくってみると、アイスリンク盛岡を拠点とする盛岡FSCが、東北の中でも名門フィギュアスケートクラブと紹介されていた。三木先生が言う神月先生とは……確かに著名な指導者のようだった。80年レイクプラシッド五輪出場。現在は指導者。


 帰り道、バス停で次のバスが来るのを待っていた。市内を循環するバスは本数が少なく、次にやってくるのは20分後になる。あたりには、最近できたばかりのコンビニがあるが、中学生の社交場になっているからあまり近寄りたくはなかった。バス停のベンチで足をぶらぶらさせながら、三木先生の言葉を反芻する。


 ばさっという音が後ろからやってくる。急な音だったから、驚いてベンチから立ち上がる。振り向くと、タンチョウが翼を広げ、今まさに飛び立とうとしていた。そして、ためらいなく空へと登っていく。——前向きに飛ぶ王者のジャンプを連想させた。


 飛べない俺と、旅立ったタンチョウ。

 タンチョウが去った後、冷たい風が顔を撫でる。日が落ちて、立ち上がった俺の影だけが、地面に黒く伸びていった。影とともに、何かがむくむくともたげていった。豆粒のように小さくなったタンチョウを睨んでいるうちに、ポケットの中の拳が固くなっていた。


「昌親、どうしたの? 練習で何かあった?」


 食事中も考えていたので、母に心配された。皿に盛られたザンギは半分以上なくなっている。父は食べるのが早い。そして、食事の時は寡黙だった。横の祖母も黙って咀嚼している。


「何もないよ。今日もめっちゃ練習した。三木先生厳しくてさ」

「そっか。だったらもっと食べなさい。ほら」


 母は皿に乗った残りのザンギを全て俺の取り皿に置いた。


「あんまり無理しないでね。私はあんたが元気で滑ってくれればいいんだから」


 ……地方銀行勤めの父。スーパーのパートでレジを打ち続ける母。両親の間に、子供は俺しかいなかった。両親からスケートのことはあまり聞かれない。遠征するときも、ついていくことはなかった。それは子供に対して無関心なのではなく、無条件の信頼を持っていたのだろう。たまに俺の滑りを見学すると、両親は眩しそうに見つめてくれる。

 俺は母に曖昧に笑ったまま、ザンギに箸をつけた。じっくり味わうと、醤油とショウガの香ばしい味が口いっぱいに広がった。ザンギは母の得意料理だ。ずっと食べている大好きな味。


「ばあちゃん」


 夕食後、祖母の部屋を静かに開けた。テーブルの上で編み物をしている祖母の膝の上には、タマ子というハチワレの雌猫が眠っている。祖母の猫だ。


「俺がスケートの為に家を出たいって言ったら、ばあちゃんはどう思う?」


 ここでも。この街にいても、スケートは続けられる。家族と一緒に暮らせて、三木先生の元で、楽しくフィギュアをやっていられるだろう。


「俺がテレビに出るような、凄い力を持ったスケーターになりたいって言ったら、ばあちゃんはどう思う?」


 でも、それだけではもう足りないのだ。楽しいだけでは見られない景色があることを知ってしまった。

 背中の後ろのタンチョウは飛び立っていった。次のバスが来ないと、行くところに行けない俺を気にもせず、世界に向かって翼を広げていた。


 ……夕食時の母の言葉に、素直には頷けなかった。それどころか、わずかに苛立ちを感じてしまった。スケートをやるだけなら、ここで充分ではないかと言われた気分になったのだ。でも元気で滑れればいいだけなのは、手を伸ばすことをやめた人間だけだ。


 祖母は編み物をしていた手を止めた。何を編んでいたのか、長いものになっていた。手招きをして、祖母は俺の頭に手を置いた。しわの多い、しっかりとした分厚い掌。祖母の生まれは農家だと言っていた。多くは語らないけれど、胆力のある人。今、俺は自分がどんな顔をしているかはわからない。祖母は俺の顔を見て、微笑みを深くした。慈愛に満ち、大丈夫だと言っているような。


「なんも心配してない。チカはやりたいと思ったことを、存分にやればいいさ。ただねぇチカ」


 じっと力強い瞳で見つめられる。膝の上のタマ子が目を覚ました。


「誰かと戦うことはいいことだ。切磋琢磨するってことだからねぇ。でも、戦う相手に敬意を持たなけりゃならん。自分を支えてくれる人に、感謝も持たんといけん。それさえ忘れなけりゃ、チカはどこでもやっていける。だから、ばあちゃんは止めん。ばあちゃんが、応援しとる」

 祖母からチカと呼ばれても嫌だとは思わなかった。一人の人間として認められている気がしたから。


「……俺が金メダルとったら、ばあちゃんの首にかけていい?」

「ああ。勿論だ。チカならきっとやれる。楽しみにしているよ」


 何色でもいい、と言わない祖母が好きだ。絶対になれる、と言わないところも好きだった。そんな祖母から、勇気をもらった気がした。

 

 *


「忘れ物はないわよね?」

「ないよ。……もしあったら、盛岡まで送ってほしい」

「わかったわ」


 荷物はボストンバックとキャリーケースが一つずつ。母はスーツを新調し、しわにならないように自分のバッグにしまっている。

 四月上旬の釧路の朝は、まだまだ寒かった。タンチョウを見送ったバス停で、俺は母とともに釧路駅行きの巡回バスを待っていた。巻いたマフラーがあたたかい。祖母が編んでくれたマフラーだ。


 ここからの旅は長くなる。釧路駅から、特急に乗って南千歳まで。そこから函館に行き、今度は新幹線に乗って盛岡を目指す。移動に時間がかかるので、明日新しい先生に会う予定だ。空港ができればいいのにと思った。釧路と盛岡をつなぐ空の便さえあれば、家からそこまでひとっとびで済むのに。特急と新幹線の違いがわからなかった。母は盛岡まで一緒に行き、神月先生に挨拶して釧路に帰る予定だ。


 釧路を旅立つ日は、割と簡単にやってきた。祖母と会話した二日後、俺は三木先生に自分の意思を伝え、先生の口から盛岡行きの提案を両親に伝えた。自宅の居間に三木先生がいるのは不思議で、家庭訪問とも違う妙な雰囲気があった。


「この子に必要なのは適正な指導者と、それに準ずる環境です。それがなければ、この子の才能はすぐに埋もれてしまう。私とここは、それに当てはまらないんです」


 三木先生は、環境の大事さを繰り返し両親に伝えた。スケートリンクがある場所は限られている。その場所に優れた指導者がいるのなら、そこに行くべきなのだと。家族で何度か話し合い、最終的には祖母が一押ししてくれた。

 春には盛岡の小学校の6年生になる。新しい先生の家で居候させてもらうことになっている。ほとんどの荷物は送っていて、あとは細々したものと、俺が行くだけだ。


「予想するべきだったのかしら」

「え?」

「あなたが、こんなに早く遠くに行ってしまうことよ。スケートを初めて、溶ければすぐに水になるからと言った時点で、こうなることは決まっていたのかしら」


 盛岡行きを決めたのは俺の意思だ。その中で、気がかりなのは母だった。俺の盛岡行きを、最後まで反対していたから。まだ早い。小学生なのだから、もう少し経ってからのほうがいいでのはないかと。

 気軽に帰れる距離ではない。年に二三回、帰れればいいほうだろう。母は母で仕事がある。


「寂しくなるわね」

「母さん」

「神様ってたまに意地悪だと思うわ」


 札幌の短大を卒業した母は、22歳で父と結婚した。なかなか子供に恵まれず、不妊治療を繰り返した先にできた子供が俺だった。昔、何気なく弟が欲しいといったことがある。兄さんが俺によくしてくれるのが嬉しくて、俺にもそういう存在がいれば、俺だけじゃなくて父も母ももっと家族が楽しくなるだろうと思ったからだ。……聞いた母は、静かに涙を流していた。驚いてどうしたのか聞いたら、何度もごめんねと繰り返して俺の頭を抱きしめた。弟をつくってあげられなくてごめんね、こんな体でごめんね、と。母は、何かに傷ついていて、俺はその傷を火であぶったのだと初めて理解した。


 氷の上で転んだ時に長靴で駆けつけてきた母。フィギュアスケートをやることを承諾してくれた母。俺を信頼して、黙って見守っていた優しい人。胆力のある祖母とは違う。彼女には母親らしい繊細さがあった。家族に寂しい思いをさせるつもりはなかった。

 だけど、母が反対しても納得していなくても、俺は絶対に謝らない。


「だから早く、テレビの向こう側のスケーターになりなさい」


 思わず、母のほうを振り向いた。

 母は笑っていた。


「テレビに写るようなスケーターになれば、ビデオに録画ができるわ。いつだってあなたの演技を見られる。そうすれば、私は寂しくないから」


 俺が旅立つと聞いて、いろんな人が激励を送ってくれた。父は「与えられた場所で、精一杯頑張ってきなさい」と言い、新品のラジカセと英語の教材をくれた。世界を相手にするなら英語は必須だからと添えて。兄さんとは「長野五輪で合流しよう!」と手を握った。俺は長野に出られるかわからないけど、兄さんは選手として出られるだろう。三木先生は試合で活躍するのが楽しみだと言ってくれた。学校のクラスメイトもリンクメイトも快く俺を送り出してくれた。でも母は、了解したあとも何も言わなかった。

 だからこれが、彼女の言葉から初めて聞いた贈る言葉だった。器用とはいいがたい激励に、なぜだか笑いが込み上げてきた。

 後悔はしない、謝らないとは決めていた。

 それでも母の口から出た言葉に、心が楽になった気がした。


「任せて。何だったら俺、長野オリンピックにも出ちゃうかもね」

「そうしたら絶対に見に行くわ。楽しみにしているから」


 話しているうちに霧が出てきた。そうか、この街は霧の街でもある。微量の水の集合体が白く街を覆っていく。気温が高くなったのだろう。だって寒いと言ってももう四月だ。生まれて、始まる季節。


 この霧は幸先のいい証だろうか。それとも……


 バスがやってきた。少しだけ申し訳ない気持ちを置いて、母の言葉を頭に刻みながら、俺はスーツケースを引いた。



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