[chapter:7]
【花と死神】銀製リグレット7
[chapter:7]
「――……朝ですよ」
間近で聞こえる声に、驚いてびくりと体が震える。
大きく目を見開けば、天井の蛍光灯の明かりを背に、シンがこちらをのぞきこんでいた。
「……あ、あー……おはよう」
呆然としながら、寝起きの挨拶を口にする。
シンは静かに体を起こして、壁際の部屋の隅へと移動すると静かに腰をおろしてあぐらをかく。その鈍い反応からは、考えていることは読み取れない。
それにこっちはそれどころじゃなかった。
動悸と夢見の悪さに、こっそりとため息をつく。
少女を探せば、ベッドの足元からひょっこりと顔を出し、ベッドへとのぼってきた。
投げ出した俺の足の上にころりと転がる。長い髪が布団に広がり、その頭をなでながら、再び小さなため息をこぼす。
夢を見ている間は、ひなたちゃんになりきっていて気付くことはないが、起きてみれば色々と理解が追いついてくる。
彼氏へのプレゼントだと銀細工を作る友人と一緒にシルバークレイの工作をする彼女や、病院からの意味深な電話。それから、――シン。
少女の『幽霊』を引き金にした、ただの悪夢――だと思いたい。
でなければ、ひなたちゃんは死んでしまうからだ。あるいは、俺の想像が正しいなら、既に死んでいるからだ。
その残留思念が、彼女なのだろう。
ならもう、手遅れな記憶をのぞいているに過ぎない。
取り返しのつかない事態になりつつあり、きっと終わりに向かって夢は進んでゆくのだろう。
最初が平和な日常だっただけに、その日々が失われつつある状態の夢を見続けるということは気が重いし、滅入る。
そうして思うことは、これは、俺もそうなるんだろうか。と、いうことだ。
いつかなんらかの理由で死に、魂がなくなり、
動かなくなった体は焼かれて灰になり、壺におさまって、
思念だけが残り、そして食われるか、消えるかして、
そうして、なにもかも全部が消えるのだろうか。
そう遠くない内に。
だけど、今日もバイトだ。
今日も配達があって、常連のお客さんは食卓に飾るアレンジメントや、誰かへと贈る花を求めてくる。
今日も生きなくちゃ。と、ベッドから足をおろして、重い体を引きずるように朝の準備にとりかかる。
なぜだか食欲がなくて、むしろ食べたくない程だったけれど、シンが目を光らせているので、昨日買っておいた惣菜パンを胃へとねじこむ。
身支度を終えて、家を出る時間までの間ぼんやりとテレビをながめる。
エンタメニュースをただ聞き流していると、シンが背後から話しかけてきた。
「むつき」
「んー……」
噛み殺しきれないあくびをこらえながら返事をする。
「あの夢は、まだ続いていますか」
その言葉に、返答に迷う。
言えば、なんとかしてくれるだろうか。シンならきっと、このおかしな現象に太刀打ちできる気がする。
――だけど、
「……いや、あの時だけかな」
続きが見たくて、嘘をつく。
あの少女の最後が見たいわけではない。だけれど、俺の知らないところでシンがどういう行動や態度だったかが気になって、事実を口にすることができなかった。
うまく嘘をつけた自信も、ごまかせた自信もなくて、そっとシンの方を見るものの、不愛想なほどの無表情と、部屋の隅でうつむくシンの様子からは、その感情を読み取ることができなかった。
***
学校を休んでお母さんと向かった病院で、予約の時間を一時間半ほど過ぎてからようやく順番が回ってきた。
昨日の死神のせいで夜は眠れず、うとうとしていたものの、ポン。と、いう電子音に顔を呼ばれ、のろのろと視線をあげれば、私の受診番号で、だるい体を動かして立ちあがる。
お母さんと診察室の中に入って、先週もあった女医の先生の前で丸イスに腰かける。
名前の確認をされて、それから「この間の検査結果なんだけど」と、先生が話し始めた。
電子カルテにうつしだされた画面には、白黒のレントゲン写真が表示された。濃淡のあるその画像のどこになにがあるのかわからないけれど、いびつな形の濃い影があることに気づく。
それは腹部のレントゲンで、肝臓のあたりに大きな影があって、他の内臓にも小さいなが同じような影が散っていて、進行性の悪性新生物の可能性が高い。と、言葉が続いた。
まだ断言はできない。
できないけれど、肝臓のあたりの腫瘍が悪さをして、他の臓器に転移している可能性がある。
沈痛な面持ちの言葉をなかば呆然と聞くしかない。
――『ああ、病死ですか』
昨日の死神の言葉が脳裏をよぎる。
そういえば、この女医の話し方はその死神と似ているな。と、ぼんやりとそんなどうでもいいことを考える。
「せ、せんせい、な、なんとかならないんですか……!!」
斜め後ろに座っているお母さんが、おろおろと動揺しながら声をあげた。
「まず、本当にそうなのか検査をしなくてはなりません」
「先生」
感情が全部抜け落ちたような気分を味わいながら、言葉を続ける。
「私死ぬの?」
「ひなた!!」
お母さんが悲鳴をあげた。
先生はじっと私をみて、表情を曇らせた。
「検査もなにもしていないこの状態で即断はできません。が、――かなり進行している。と、私は思います」
「――……」
目の前が真っ暗か、あるいは真っ白になったような気分になり、視線を落とす。
膝の上でにぎった手は小さく震えていた。
「ただ、治療の手立てがないわけじゃありません。まずは、現実をしっかり受け止めて、治療を開始する必要があります」
――『お手元に『手紙』が届いたでしょう? あの『手紙』を受け取った者は間違いなく死を迎えます』
「こ、この子は、ま、まだ、じゅ、十六歳なんですよ……!!」
お母さんの声に、そうか。と、自分の年齢に気づく。
「な、なのに」
「お母さん、落ち着いてください」
どこか遠くに、先生とお母さんの言葉を聞く。
まるでお風呂場か水の中みたいな、どこか茫洋とした声は鈍くて遠い。急に耳が聞こえづらくなってしまったような感覚になる。
死にたくない。
病死。寿命が尽きかけている。死にたくない。早く病院に行った方がいいという保健の先生の声。大丈夫? という友人。くれぐれも自殺しないように。と、死神の棒読み。もう少しで誕生日で、それから文化祭と。友だちと銀細工だってこれから作るところで、まだ、
まだ、十六歳。
ぐるぐると自分や学校の友だち、先生、お母さんや――死神、その声や言葉が次々浮かんでは消えてゆく。
そうして唐突に、背後から目を覆われて、視界が暗くなった。
ひやりとした低い温度ながら、温かくて柔らかい。誰かの手だ。と、気づく。
「――……様子がおかしいと思えば、なんですかこれは」
低いシンの声に、肩から力が抜ける。
「むつき」
ああ、シンか。
脱力しながら、重い腕を持ち上げて、俺の目を覆うシンの手に手を重ねる。
「……なんで、いるの……」
俺の声はすっかりかすれていたけれど、普段の自分の声だった。
「様子がおかしいので」
「だって、これ、俺の夢の中だよ」
「――……死神ですから」
「それって、理由になるのかな」
思わず小さく笑ってしまいながら、ぐす。と、鼻をすする。
「ねえ、シン」
「――はい」
「あの子は」
俺の言葉に、
「一年と三か月、三日と二時間三十二秒」
目をおおったまま、シンの言葉だけが淡々と続いてゆく。
「進学の夢は叶いませんでしたが、誕生日を迎え、補習を重ねながらも進級し、楽しそうでした。悲嘆に暮れる日もありましたが、彼女は最後まで生き抜きました」
その声音から、シンの感情は読み取れない。
「……穏やかな最期でした」
ぽつりと。シンがつぶやいた。
「この装飾品は、彼女からもらったものです」
シンが手の力をゆるめると、指の隙間から室内が見えた。
そこは病院の診察室ではなく、見慣れつつあったひなたちゃんの部屋だった。
夕暮れの茜色につつまれる部屋で、記憶の中より細くなっているひなたちゃんが、ベッドサイドに立つシンへと、なにかを差し出しているところだった。
俺と、背後のシンはただその風景をぼんやりとながめるしかない。
「好きな人に渡したいんじゃなかったんですか?」
最初に出会ったときと変わらない、感情のこもらない声で、シンがつぶやいた。
ひなたちゃんは、シンを見上げて「わかってないなあ」と、小さく苦笑した。
「死神さんに持ってて欲しいの」
離れた手のひらの上で、シルバーネックレスが夕日のきらめきを反射して、ひなたちゃんは嬉しそうに目を細めた。
「……ありがとう」
彼女が生きた証を受け取ったシンは、ただ静かに自分の手のひらを見つめ、ひなたちゃんの言葉に返事をすることはなかった。