その漆黒の羽に抱かれて
ずっと書きたかった天狗もの。
少しホラーっぽくもある不思議な話を書いてみたかった。(書けているとは言っていない)
結構作者お気に入りの作品なので、生温かい気持ちでお読みください。
無理なら何も言わずプラウザバックを。辛辣な感想の場合、今回真摯に受け止められる自信ありません。笑
天狗を助けたことがある。
ずっと幼い、まだ5つか6つになったばかりの頃だ。
その頃の私は、いつも山の中を1人で遊んでいる子供だった。理由は特にない。強いていうなら、遊んでくれる相手が近くにいなかったからだ。
コンクリートも高層ビルもない、田舎の深い山奥は、太陽の光を受けてその様を変える。木漏れ日に満ちれば何者でも優しく迎え入れ、日が陰れば山に生きぬ者たちを拒絶する。そこに季節と、温度、湿度が加われば、もっと多彩な姿を写すのだ。それが不思議で面白くてたまらなかった。
その日も、私は1人山の中を探検していた。山に入ってしばらくして、ポツポツと小雨が降り注ぎ、私は近くの木の根が盛り上がってできたような幹の穴の中へとその身を滑り込ませ、避難したのだ。
しかし、そこには私より前に先客がいた。
パッと見は美しい青年だった。でも、すぐにそうじゃないと気がついた。白髪とは違う少し光沢のある長い銀の髪。切れ長で鋭い銀鼠色の瞳のすぐ下を鳥の嘴を模したような仮面が覆っていた。その服装は叔父さんが山に修行に行く時に着る、"山伏さん"の格好そっくりの装束。そして、何より異質だったのはその背から生えた、立派で黒く艶やかな大きい翼…今まで見慣れたはずの黒がこんなにも美しく映えるのかと、思わず見惚れてしまうような、しっとりとした濡羽色だった。
しかし残念なことに、その惹きつけられる翼も、白く滑らかな装束も、細くてさらりと流れる銀髪も、全て真っ赤で鉄錆くさい血がべったりと張り付いていた。
驚きのあまり言葉なく固まる私を、彼は何の感情もなく見つめ返していた。
そこからのことは正直うろ覚えだ。とにかく必死だった…その一言に尽きる気がする。
声を発することなく、雨を構うこともせず、その木の根から抜け出して、転げ落ちるようにして山を駆け下りた。そして家に着くと、帰りも挨拶もなしに居間へと駆け込み、怪我した時に母が出してくる救急箱を引っ掴むと、そのまま家族の制止の声を無視して必死で山の道を引き返した。
多分あの時の私は、天狗を怪我した犬猫と同じように見ていたのだろう。怪我をしている弱い者がいる、助けないと…そんな責任感と焦燥感、そしてよくわからない恐怖心を抱えて必死だったのだ。
彼の方は私が戻ってくるとは思わなかったのだろう。ぐったりとした表情が私を見て、驚いたように瞳を見開いた光景は今でも鮮明に覚えている。
それから少しの間、私と天狗の奇妙な交流は続いた。
朝早く起き、台所にある果物をいくつかバックの中へと密かに押し込め、救急箱を片手にぶら下げて山に登った。天狗は自力では動けないのか、いつも木の根に寄りかかるようにしながらその穴に隠れ、私の訪れを静観していた。私にされるがまま傷の手当てを受け、押し付けられる果物を黙って口にした。
「どう?おいしい?」
反応の薄い天狗に必死に話し続けるうるさい子供の私に、彼はいつもコクリと小さく頷いた。でもそんな些細な反応でも得られたことが嬉しくて、私は必死に彼に話しかけ続けた。今覚えば要領の得ない、くだらない話ばかりだったと思う。
そうして森でしばらく過ごして、私を探しに来た父親の声が聞こえ始めるころに帰るのだ。
そんな日々が続き、ちょうど2週間たったある朝。晴れた日だった。
彼はいつもの隠れ処から忽然と姿を消した。いつもいるはずの木の根のそばには、一枚の立派な黒い羽と青空を思わせる美しい蒼く輝く小さな玉。
それが、今ではお伽話のように思える天狗との、確かな絆の証だ。
あれからもう10年。
私はあれ以来天狗の姿を見ていない。
「またそれ見てるの?」
ガタガタと揺れる電車の中、4月から仲良くなった真由美が私を呆れた表情で見ている。きっと呆れられるほどに、私はしょっちゅうこのガラス玉にも似た不思議な蒼い玉を眺めているのだろう。
「落ち着くのよ…大切なものだから」
そう言うと、真由美はまた深いため息を吐く。
「せっかく澪綺麗なのに…昔ちょろっと会っただけの男に現を抜かしてるなんて勿体無いよ?」
「そんなんじゃないって言ってるでしょ?彼は天狗よ。山の神様。あんな不思議な体験、きっともう訪れることはないわ」
「はいはい、"天狗"ねぇ〜。そうやって手の届かない男って認識したいのはわかるけど、それならいい加減現実見なよ〜」
私の言葉を軽く受け流すように真由美は手を軽く降ると、私にわざと厳しい顔を向けて、説き伏せるようなことを口にする。
あれ以来、いろんな人に天狗の話をしたけど、誰も私の話を信じてはくれなかった。
「本当に会ったんだけどなぁ…」
そんな独り言を呟きながら、多くの集合住宅の密集する、小さな一室でため息を吐く。
高校から都心の学校に通うことになった。そうした方がいいと、家の隣にある寺の住職さんが私の両親に言ったのだ。私はあの自然に囲まれた素朴な村の生活を気に入っていたけど、両親に強く勧められては嫌と言いづらかった。
「あのお坊さんに天狗さんのこと話したのが悪かったのかな…」
その人は、私たちの村の外からやってきたお坊さんだった。
中学校からの帰り、何かの用事で村の寺へと訪れた彼は、道端ですれ違った私を呼び止め、こう訊ねた。
『君、何か怪しいものを持ってないか?』
心当たりがなかったので、『なんのことですか?』と訊ね返した。そしたら彼は、私をじっと見たあと、私のセーラー服の胸元にあるポケットを指差して再び口を開いた。
『そこにあるもの。妖から貰ったものじゃないかい?』
そう言われて私は、それを彼から庇うようにポケットを抑えた。そこには天狗から貰った蒼い玉を小さな袋に隠すようにして入れていたのだ。
『彼は妖じゃありません。この山の神様です』
頑なな口調で言い返すようにそう言った私を、彼は冷静な表情で見下ろしていた。
『この地域の山の神といえば…天狗だね?』
彼の言葉を肯定したくなくて、私はただ唇を固く噛んで押し黙った。
そんな私の様子を彼はしばらく観察すると、何やら真剣な表情でこちらに近づき、私に一枚のお札を渡した。
『必ず、このお札を持ち歩きなさい。出来るならその"貰い物"は捨てて欲しいけど、それは難しそうだから』
そう言ったそのお坊さんは、先程の緊迫したやり取りが嘘のように、私の前からあっさりと立ち去った。
その数日後、私は少し離れた都心の高校へと進学することを勧められた。
「…何がそんなにいけないのかしら。あれから一度だって、彼に会えたことはないのに…」
勉強机に突っ伏して、恨み言のように不満顔で呟いてしまう。
天狗の彼を探しに、あの後何度も山に入った。山という山を隅々まで歩き回っても、彼に会うことはできなかった。
「せめて声だけでも聞いてみたかった」
私のお喋りに、ただ小さく頷き返してくれた天狗。表情らしい表情も、あの驚いた顔しか見せてもらえなかった。
「また会いたいな…」
会ってどうしたいとかは特にないのに、ただ会いたいと思ってしまう。
その時、
(まただ…)
机に突っ伏していた身体を起こし、すぐ隣にあるベランダの窓へと視線をやる。ここのところ、正確にはこちらに引っ越してきてから、時折こういった視線を感じるのだ。誰かはわからない。姿も見えない。でも、はっきり感じるのだ…見られている、と。
「なんなんだろう…」
都心は物騒だと皆に散々注意されたが、ストーカーとかそういった類いの心当たりはない。何より、その視線に嫌悪感といったものを感じたことがなかった。
「…天狗さん?」
そんなわけないとわかっているのに、小さな声で問いかけてみる。当然、そこに帰ってくる声なんてあるわけがない。
「………そんなわけないか」
私はそう独りごちると、またその身を机の上へと横たえた。
(もう会えないのかな…)
そんなことを考えながら目を閉じると、私を見つめる視線も静かに消えていった。
8月、久しぶりに実家へと帰った。何も変わらないのどかな田畑、山の風景に帰ってきたんだと実感する。
「あっ、お札忘れた…」
自室で荷解きをして、そこでお坊さんに貰ったお札を忘れてきたことに気がついた。いつも使っているバックに入れっぱなしにしていて、ボストンバックに入れ忘れたのだろう。
「まぁ、大丈夫かな」
(あれを持たないと、何かあるわけじゃあるまいし…)
最近感じていた不思議な視線も、この村に戻ってきてから感じていない。
その日の夜は、美しい満月が登っていた。
昼間は強い日差しに立ち昇るようだった暑さも、夜になれば嘘のように涼しい風が吹き抜ける。
バサッと、少し重たい羽音が聞こえた。夜更け、眠りに浅く落ちかけていた頃だ。実家の自室の中庭に面した方の窓側に、何か大きな翼のような影が写っている。
(何かしら?)
特に深く考えることもなく、布団から抜け出し、中庭に面する廊下へと出る。古い作りの木造住宅だ。自分の部屋から出て、外に面している廊下から簡単に中庭にはたどり着くことができた。
満月の光に照らし出され、いつか見た美しいその姿が目に映る。
「…天狗、さん?」
記憶にある姿よりひと回り、いや、ふた回りほど大きいだろうか。すっかり成熟した大人の男の人のような、そんな落ち着いた雰囲気を醸し出す彼は、それでもあの頃の名残を強く残していた。
美しい月明かりの下輝く白銀の長い髪、それより明度を少し落とした落ち着きのある切れ長の瞳、嘴のような面もそうだし、何より前よりも大きくなった翼はあの頃も感じたような鮮やかな濡羽色を見せている。
「澪、迎えにきた」
あの頃は決して聞くことのなかった、身体の芯まで痺れるような美しいバリトンが、私の名を呼び、その手をこちらに差し出している。彼の纏う見事な金の柄が入った白い着物が、夏の風にはためいるのが目に入る。
吸い寄せられるように、その自分より大きな手に自分のものを重ねた。グイッと強い力に身を引かれ、彼の胸元へ飛び込むような形で抱き寄せられる。
「やっと捕まえた」
掠れた囁くような声を耳元で聞き、その身が歓喜で打ち震える。
「会いたかった…」
そう口にして、そっと目を閉じれば、私の意識はゆっくりと優しい闇の中へと沈んでいく。
その後、彼女がどうなったのか知る者はいない。
ただ、彼女がいなくなった実家の中庭には、烏よりも美しく、鷲や鷹なんかよりも立派な黒く艶やかな羽が一枚落ちていたそうだ…
これぞ神隠し落ち。
遠ざけようとするから攫われちゃうのよ〜
蒼いガラス玉は烏天狗にとっての光る目印、
姿が見えない視線は天狗の隠れ蓑、
お坊さんがくれたお札は妖避けですね。
読了ありがとうございます。