水を求めて
――――葉っぱをトイレットペーパー代わりに使うのは苦しい戦いだったが無事乗り越えた。五分後に落ち合い、マングローブの泥地を沿って、普通の陸地を歩くこととなった。露出した白い岩の段差をよじ登って、南国情緒ある木々を縫うように移動していく。隣では泥水が緩やかに海へと流れている。干潮の所為だろう。
「あそこのマングローブの根っこに蟹がいるぞ。沢山」
(サボテンの実を全て食べてしまっても代わりの食料は沢山ありそうだな)
泥塗れだけど手の平よりも大きな蟹がいる根を指差す。けれどもノーチェは念を押すように俺の首根っこを掴むとジッと見上げるように睨みつけた。
「火、火があったら食べられるっすね!」
「……そうだな」
(さすがにあんな泥まみれの蟹を生で食べようとは思わないが。悠長なこと言ってられるほど菜食主義で生きられるのか?)
脳裏を過ぎる疑問。考えないようにした。それより火だ。火はどうやったら起こせるのだろうか。魔法でどうにかできればいいけど、できたらとっくにやってるはずだしノーチェに期待するのは酷だろう。
「ちょっとストップ。その木は樹皮が簡単に取れるっすから取っておくっすよ。紐の代わりになるっす」
ノーチェは自然な動きで俺からナイフを掻っ払うと表面がツルツルした白い樹木に刃を当てて、そのまま撫でるように切り下ろした。
樹皮はいともたやすく剥がれると、テープ状になってくるりと円を描いて纏まる。彼女はそれを麻袋に突っ込んで、ドヤ顔をしながら俺にナイフを返した。
(褒めてほしいのか? これは)
怪訝なつもりでノーチェを眺めていたけれど、彼女は悪魔なのに純粋だった。ニカっと晴れたみたいに笑ってくれると、フッフッフとイキリ笑う。
「なんでこんなこと知ってるのかって顔してるっすね? この木の樹皮を人間が貿易してるんすよ。私は海賊だからそういう品と金と食糧を分けてもらうし、だから詳しいっす。ふっふっふぅ……もっと物知りお姉さんって呼んでもいいっすよ」
「俺のナイフじゃないのにわざわざ返してくれるんだなって思っただけだ。物知りお姉さん」
ノーチェは赤面して黙り込むと何事もなかったかのように歩き出す。俺達は水場を求めて移動を再開した。
道は険しかった。裸足の俺にとっては尚更で、岩場と巨大な樹木の根が絡み合った地面を歩くのは結構な苦痛だった。一時間と歩いたわけでもないのに手足に力が入らないし、疲労が蓄積して節々が痛む。
「すまん……ちょっと休ませてくれ」
「だ、大丈夫っすか? とりあえずそこの岩に座るっすよ。ほら、椰子の実斬ってあげるから」
「そんなに心配はしなくていい」
痩せ我慢をした。俺は硬い岩に腰を下ろす。座って初めて分かる筋肉の痙攣。手足が震えるし、目眩がする。ギャアギャアと鳴く鳥の声や騒々しい虫の声が耳鳴りになって頭を軋ませる。
「顔色悪いっすよ。ほら、飲むっす飲むっす」
ジュースは喉を潤すけれど、体調が良くなる気配はない。脱水症? 空腹? パッと浮かび上がる原因を考えるけれども、考えたところで改善してくれない。体を動かして、生活環境を改善するしかない。さもなくば死ぬ。動かないでも熱帯での体力消耗は激しい。
「よ、ヨースケ。近くにカシューの実があったっす! これ食べるっすよ!」
ノーチェは酷く動揺しながら俺にその果物を渡した。小さいパプリカのような見た目をしていて、受け取ると桃のような甘い香りがした。彼女が心配そうに俺を見つめてくる。
「皮剥いてあげるから食べるっすよ。解熱効果もあるし、ちょっとは楽になるはずっす。さすがに無人島でぼっちはきついっすよ」
「わかったから、そんな目で見るな。大丈夫だ」
(……距離感が分かりにくい。嗚呼、なんか申し訳なくなってくるな。男なのに俺が先にくたびれてる)
元気なアピールのために大袈裟に木の実を頬張り噛み締める。桃と林檎を掛け合わせたような甘みと果汁が喉を潤してくれた。島で食べたもののなかで今のところ一番美味しいかもしれない。
「……旨いな。あー…………いや、なんでもない」
(ありがとうも言えないのか俺は。恥ずかしがりおって)
「ならよかったっす。これでジュースの借りは返したって奴っすね」
くっふっふと妖艶に彼女は笑う。浅黒い肌が木漏れ日に照らされて綺麗だった。俺は気を取り直して立ち上がった。空元気を振る舞ったけど、手足の痺れも脱力感も取れなかった。
……さらに森のなかを歩き続けた。俺の世界にはいないだろう虹色の蝶や深紅のクワガタは目撃したが幸いにもモンスター? に遭遇することもなく開けた場所に出た。
木々が退き燦々と日光が広がる。そこは俺の身長と同じくらいの長さをした葦らしき植物や刺々しい葉が生い茂る沼湖だった。
マングローブが繁っていた場所よりも水位が深く泥っぽさも少ない。沼の主やらモンスターもおらず、いかにも普通なトンボやら水鳥がいるだけで、元の世界の沼地とあまり変わらない光景だった。
だけど海岸と違い蚊らしき虫が多く、正直長居はしたくない。もしかしたら病気を持っている可能性もあるし、そうなったら死にかねない。
「ようやくそれっぽいところに出たと思ったけど……川じゃなかったっすね」
「飲めるかな」
何気なく呟いたら怪物でも見るみたいな目が向けられる。表情を引き攣らせて本気で引いていた。
(いや、待て。そんな目で見るな。いくら俺でもろ過なり煮沸消毒しないと無理ってことぐらいは分かる)
「……冗談だ」
それにろ過以外も問題はある。ここも汽水域かもしれないということだ。そしたらろ過しようが沸騰させようが飲んだらおしまいだ。体内中の塩分濃度が濃くなってどうにかなる。詳しい理屈は把握していないが、駄目ということは理解している。
「塩はなさそうっすね。周りのマングローブに黄色い葉っぱがないっす。汽水域だと塩分を一部の葉に集める習性があるんすよ。舐めるとしょっぱいっすよ」
「なんでそんなこと知ってるんだ?」
俺が尋ねると予想通りなくらい満面のしたり顔でノーチェは胸を張った。ややきつそうなシャツが胸を強調する所為で直視できない。
「一時期これを調味料として売ろうとしてた商人から聞いたっすよ。それにここ多分……」
焦らすように言葉を途切らせて、ノーチェは足元の手頃な石を沼に放り投げる。ボチャンと心地良い水音が響いた次の刹那、岩でも投げ込んだかのような水柱が立ち、葦植物を薙ぎ倒して、泥のなかから俺を丸呑みにできそうなくらい巨大なカエルが姿を現した。鳥達が一斉に飛び去っていく。
「ゲコッゲゴゴ……」
カエルは俺達を一瞥したものの、興味なさげに泥のなかに沈んでいく。数秒もすると巨体は水を濁して姿を眩ませてしまった。
「なんだあの化け物」
「淡水のこういう沼とか池はいるんすよ。メガトードっす。海水混じりのとこにはいないからこれで淡水確定ってわけっすよ。ろ過して火で煮沸すれば飲めるっすよー!」
火。そう。火が必要なのだ。もっと綺麗な水があればろ過だけで飲めそうなのだが。俺は空のペットボトルに沼の水を汲む。泥やら水草の根やらが入り、酷く濁っていた。……こんな泥水を飲む勇気はない。
(川が伸びてたらこうはならないな)
淡い期待を持ちつつ巨大な沼をぐるりと沿ってさらに陸側のほうを見ていくけれどあるのは川の跡地だけ。水はもはや流れておらず湿った土と草木があるだけだった。
「雨が降ったときに流れるのかもしれないっすね」
「燃えやすい木とかあるか? 使えそうなもの手当たり次第持って一度帰ろう」
(火、そうだ。火が必要だ。水以外も……ないと食料は枯渇する)
白樺の代わりになる木があればいいのだが。楽観的でいようと深く考えるのはやめて、俺は力の入らない脚に力を込めた。まだ島の一日は長い。
電撃鰻
セイレイウナギ目ギュムノートゥス科デンゲキウナギ属に分類される硬骨魚類の一種。熱帯地帯のマングローブ林、特に泥水のような場所を好む大型魚で蓄積した魔力を雷属性魔法として放出することができる。多くの人間にとってこの雷魔法は大変危険なものである。
成魚は最大4mにまで成長し、体形は細長い円筒形であるが、ウナギとは体の構造や生活史が異なり、全く別の仲間に分類される。
大型個体は丸太のような体形であるが、頭部は上下に、尾部は左右に平たい。全身はほぼ灰褐色で白っぽいまだら模様があり、尾に行くにしたがって斑点が小さくなる。喉から腹にかけては体色が淡く、橙色を帯びる。眼は小さく退化しているが、側線が発達しており、これで水流を感じ取って周囲の様子を探る。肛門は鰓蓋直下にあり、他の魚よりもかなり前方に偏る。鰭は胸鰭と尻鰭しかなく、長く発達した尻鰭を波打たせて泳ぐ。
多くのマングローブ林では頂点捕食者の一つとなっている。池や流れの緩い川に生息する。泥水を好み少しでも透き通っている水にはほとんど生息していない。夜行性で、昼間は物陰や泥底に潜む。夜になると動きだし、主に小魚や小型哺乳類を捕食する。
また空気呼吸をする魚でもあり、鰓があるにもかかわらずたまに水面に口を出して息継ぎをしないと死んでしまう。逆に言えば水の交換が起こらない池や淀みでも酸欠にならず、生きていくことができる。これは温度が上がるほど溶存酸素量が少なくなる熱帯の水域に適応した結果と言える。
電撃鰻は水中、空気中および摂取した餌が持っている魔力を蓄積させる器官が体長の4/5を占めているほか、確認されているすべての電撃鰻は属性魔術適性診断において雷属性の判定がA以上である。
特に巨大な固体においてはSからSS判定であり、稚魚ですら2割の人間しか使えないという雷属性中級魔法【蒼電】を使用することができ、大きな固体は晴天のなかであろうと上級魔法の【轟雷】を使用し、雷すらも発生させることができる。
兵器運用やこの魚を食べることで体内の魔力量を底上げしたり、雷属性適性を高めようという用途でたびたび捕獲依頼が冒険者に出されるが、多くの人がこの雷魔法によって命を落とす。また、意図せず彼らを刺激してしまい雷が落ち、マングローブ林が火災に見舞われた例もある。