エピローグ:長い一日の記憶
今の俺は生き残ることができたんだな。
…………ああ、正直恨めしいかもしれない。けど、無駄死にじゃあなかったってことなのか?
額に差す陽光が眩しくてうっすらと目を開くと、頭に響いていた声は溶けるように消えていった。
岩肌の天井が視界に映った。……意識が覚醒していく。蔓と枝で組んだベッドから体を起こし岩倉から外へ出た。眩暈がするような晴天模様。鮮やかな緑葉から暖かな光が零れている。数日の豪雨は収まったらしい。
水没した地面。揺蕩う葉。樹の根を縫うように泳ぐ魚影。水面が流れに揺らめき、白い光に煌めいている。しばらくの間、呆然とそんな光景を眺めていた。
当然のように朝が来たけれど、いまだに実感が持てない。夢の続きにいるような気分だった。
「ん、起きたっすか。……私も……ふあぁ……今、ついさっき起きた感じっすね」
ぐしぐしと水滴の溜まった瞼を拭いながら、ノーチェは大きなあくびをかいてぼんやりと空を仰いだ。ベキベキと鳴り響く関節。
ノーチェは完全に目覚めたのか、青い双眸が爛々と煌めいていた。伸びる背筋。露わとなった褐色の肌を飾るように小さな翼が広がる。光を吸い込む真っ黒な艶。
見つめていると、視線に気づいてか悪戯げに笑みを返された。
「そんな熱い視線を向けられたら……ふふぅ。また暑さでやられちゃうっす」
見せつけるようにパタパタと翼を扇ぐ。生ぬるい風が首筋を撫でた。ひゅるりと、尻尾が姿を見せるとご機嫌に揺れ動く。
翼竜を殺してからもう一週間は経過していた。ノーチェと一緒に過ごしておよそ二十一日が過ぎただろうか。
竜の血を飲んだその日に目の光も、魔族としての尻尾と翼も戻ってきたというのに。見ているだけで抱き締めたくなる衝動が湧き立つ。喉がカラカラに乾いていた。
「俺はとっくに暑さにやられてるかもしれない」
見透かすようにノーチェは嘲り、からかうように体をくねらせた。ほんの一瞬、冷たい眼差しでジィっとこちらを睨むと。呆れるような、恥じらうような笑顔を浮かべてくれる。
「奇遇っすね。……私もッス」
どちらからともなく手を握った。指を絡める。滑らかな肌に触れた。ジィジィと響く虫の声と鳥の囀りが絶えず鳴り重なるなか、静かに抱き締め合った。
「………………」
長い沈黙は至高の時間だったかもしれない。湿気を帯びた体温。密着する肌はやがて眩暈がするぐらい熱を帯びていく。
水面を撫でるように吹く風が心地良い。髪が靡き、尾が揺れる。酸っぱいような甘いような臭いが鼻腔に混じってくる。
「ヨースケぇ……もう、離れていいっすかぁ……。前は凍え死にそうだったからよかったっすけど……今、こんな風にしてたら……死ぬっす」
波打つ水の音。いままでが嘘みたいに、ゆったりと時間が流れていく。
「そ、それにぃ。今、臭い嗅いだっすよねぇ…………せめて水浴びしてからにしないっすかぁ……?」
機敏に揺れる黒い尾を撫でた。両翼が跳ねる。異議を申し立てるように鋭い睥睨が俺を見上げた。どんな顔をしたらいいか分からなくて、苦笑いを返す。
「…………尻尾って触られる感触とかってあるのか?」
「黙り続けた末に出た言葉がそれっすかぁ……!?あるに決まってるじゃないっスか。手つきが……卑猥っすよ! んッ……!」
蠱惑的な声が耳元を撫でて、逃げるみたいに一歩距離を取った。目を見開く俺に対して、ノーチェはジッと目を細める。見つめ合ううちに、どうしようもないくらい耳が赤くなって誤魔化すみたいに深く息を吸った。……噎せ返るような熱気が気道を抜ける。
汗の雫が足元に落ちた。燦燦と強く照り付ける光が白い髪をより白く映し出す。ずっと見ていたはずなのに。呑み込まれるような静寂にも慣れてきたはずなのに。すぐに言葉が出なくなる。
ノーチェはじっと待つように、パタパタと小さな翼を揺らめかせていた。
「…………今日は長いな」
蛇がいないかを確認して、雨溜まりに足を浸けた。水底の土が舞い、透き通った水が僅かに濁る。手で掬って、泥のような熱気と共に汗を流し拭った。
「そうっすねぇ……。ようやく晴れたからやらなきゃいけないことも多いっす。食料を集めて、雨溜まりの所為で変わった地形がないか確かめて……竹ももっと欲しいっす。トイレ用の穴も掘りなおして……」
きっとすべきことをし終える前に日が暮れるだろう。ヘトヘトになって、夜闇に視界が染まるころには気絶するみたいに眠ってしまうかもしれない。
「早めに切り上げちゃうっすかぁ……?」
ニヤリと煽るようにノーチェは微笑んだものの、くすぐったそうに赤く染まる頬を掻いた。八重歯が垣間見える。からかっているのは明らかだった。
「…………昼には終わらせるか? そうすれば沢山時間が取れる」
言葉に悩んだがバカ正直に照れてしまうのが嫌で冗談を返した。ノーチェは驚いたようにパチパチと目を見開いたものの、思い通りの反応じゃなかったのかもしれない。
不満げな青い視線が突き刺さしてくると、俺の両頬をつねった。ぐにぐにと引っ張ってくる。
「この口っスか? 初めて会ったときから時々小癪で……私のことを惑わしてきてぇ……ッ!」
ノーチェは水飛沫をあげて踵を返すと燻製にした竜肉を荒々しく毟った。頬張ると、流し込むように椰子の実を飲み干して口元を拭う。
「ほら、早くヨースケも食うっすよ。もっと正確に地理を理解する必要があるっす。どっかにあったコーヒーノキをまた見つけるっス。それまでは絶対、あくせく働くっすよ」
激しく揺れる尻尾。ついつい触ろうとしたら今度は躱されてしまった。ぶっきらぼうに椰子の実と燻製肉を投げ渡される。
「怒るなよ。そっちからちょっかい出したんだろ」
遠慮なく硬い肉を噛み千切った。臭みと燻製の風味が舌を撫でる。
「なーに記憶を捏造してるんすか。ヨースケが先に、卑猥な触り方をした所為っすよ。バカなこと言ってないで早くするっすよ」
事を急ぐようにノーチェが歩き出そうとするから、咄嗟に彼女の肩を掴んだ。慌てて椰子の液果を口に流し込む。……味はいつだって変わらない。微妙な甘み。劈くような癖のある風味。暑さの所為で生温かい。
「……よし! 行こうか。東のほうは見たから、今度はまた南……南ってどっちだ」
「なんで椰子の実を飲むところをわざわざ見せつけてくるんすか」
「見せつけてない。……好きなんだよ。ノーチェと一緒に飲むのが。この味も含めて」
流石に恥ずかしいことを口にした気がする。時間が止まったように硬直しあうと、さざめく虫の鳴き声が嫌になるくらい耳に残る。……暑い。頭が呆けそうなくらい。額から汗が滲む。
長い間をおいて、ノーチェはそっぽを向いたまま訊ねた。
「――――なら、もう一杯。どうっすか」
「…………いいね」
岩倉に戻って昨日取った椰子の実をナイフでくり抜いた。重い実を手渡して向かい合う。腰を下ろした。
「お酒でも飲みたい気分っすね。今度、作ってみないっすか? 調理のは幅も広がると思うっス」
「確かに。でももうとっくに酔った気分だ」
「調子いいッスねぇ……」
喜々とした眼差しが向かう。ノーチェが青草のように柔らかな笑みを浮かべてくれたから、俺は安堵するみたいに口元を緩めた。
「「――――乾杯」ッス!」
重い椰子が鈍く鳴らして、生温い熱を飲み込む。
この時間は……俺とノーチェだけの記憶だ。そうあるためにも、振り絞るように立ち上がった。
「祈っておこうか」
「……っすね」
静かに目を閉じて――――開ける。
深呼吸をした。ぬかるんだ地面を歩き始める。
今日も長い一日になるだろう。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。14~15万文字を超えるのなると大体、本一冊分の文字数よりやや多いほどにもなります。一巻分としての異世界無人島サバイバルは一旦ここで完結となります。
一巻としてのエピローグです。続きも浮かんではいます。書く可能性もあります。それを書くにしても公募用に編集して……結果が出てから行動するかどうかと。長い間が空いてしまうでしょう。
本当にここまで応援してくださった方には頭があがりません。ブックマーク、感想。素晴らしいものを貰えました。それがなかったら正直な話、2019/04/13を最期に途絶えていたでしょう。感謝しかありません。
こんなに真面目にあとがきを書いたのは初めてかもしれません。
それほどまでに嬉しかったんです。
ここまで応援ありがとうございます!! おかげで異世界無人島サバイバルは無事、完結済みのマークが出せるわけです!!
そしてもしよろしければブックマーク! 評価! 感想! レビュー! いやしいことを言うかもしれませんが、どれも本当に糧になっています! なのでぜひ! ぜひ……! よろしくお願いいたします。




