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噎せ返る熱



 ざぁざぁ。ザァザァと。雨の音が響いていた。凍り付くような冷たい雨。水たまりと泥と血が体を満たしている。





(…………ああ。最初にここに来たときみたいだ)



 でももう、動けそうになかった。何度も記憶を覗き過ぎた。魔力はとっくに空っぽだった。気力も体力も果てていた。どれだけ脚に力を込めようとしても、指先を動かそうとしても、動けない。



「……勝ったんだ。…………やってやった。俺、が」






 翼竜を殺した。奇跡そのものを起こした。笑いたいくらいなのに。叫びたいくらいなのに。



「……ノーチェ」



 かすれた声が雨音に溶けていく。




 引き攣る頬。嗚咽だけが溢れて涙と雨が入り混じる。







「…………これで、二人で生きていられる、んだぞ。……なん、で。俺は、おれは……っ」









 灰色の空しか見えない。それも黒く霞んでいて、必死になって目を見開くほど自嘲が込み上げる。力が抜けていく。







「ノーチェ、…………ほめて、くれるかな。よろこんで、くれるよな……きっと」






 浅い呼気に血が混じる。





 瞼が重い。







 手足が沈むように感覚が消えている。









「…………もどらな、きゃ」








 雨の静けさ。吹き付ける風の靡く枝葉の掠れる音。自然の静寂のなか、意思に反して体は最初の部屋へ帰ろうとしている。




「…………いやだな。い、やだ……。まだ、……おれは」」











 魔力のない双眸が色褪せていく感覚がわかる。虚ろに、物質的に重くなっていく。




「これで…………これで、ぇ。……ふたり、で」









 耐えきれずに滂沱の涙があふれた。冷たくなっていく体よりも、自分が死ぬことよりも。最後の一歩が振り絞れないことが悔しくて、情けなくて、泣き叫びたいのにそれもできずに吐く息だけが酷く震える。













「………………」












 ここまで来て、もうどうにもなりそうになかった。














 翼竜が力尽きたことを察知したのか、身を隠していただろう生き物の気配も感じ取れる。











 何かがざくざくと落ち葉を踏み締める音が近づいていた。不規則な歩調。何度も倒れて、這い蹲って、立ち上がるような。








 顔を向けることもできないまま瞼を閉じた。





 暗闇のなか薄れていく鼓動。







 足音はすぐ隣まで迫ると、何かが俺の手を、ぎゅっと握り締めた。












「迎えに来てやった……ッスよ」








 幻聴。幻覚。……頬に温かな熱が触れる。顔に差す影。泥だらけの衰弱した顔が覗き込んでいるように見えた。ずっと見たかった蒼く濁った瞳が、俺の目を映している。やつれた表情で彼女は呆れるように微笑んでいた。





「…………ほんもの?」





 泥と雨に濡れた白銀の髪が揺れる。ポタポタと、雨粒よりも熱の籠った雫が頬を撫でる。ノーチェは安堵するように何度も、何度も深く頷いてくれた。







「なんで……ここに。待ってたはずじゃ」





「しんじてたから……生きなきゃいけないから。逃げて、きたっす。こんな雨じゃ、砂浜にいたら、流されちゃう……っすから。お互い、もう……へとへとっすねぇ。……でも、奇跡は起こそうとしないと、起きないもの……なんすよぉ」





 ノーチェはなんとか俺を持ち上げようとして、震える脚でそのまま前のめりに倒れた。抱えるのを諦めると腕を掴んでずるずると引っ張っていく。立ち上がろうと思ったもののびくとも動けなかったから、そのままノーチェに身を任せた。




「…………生きて、いられるのか?」


「……生きてみせるっすよ。……私に、ここまでさせといて、死ぬなんて、絶対許さないっすよ。ヨースケが――たおしてくれたから。たすけてくれたから、これからは……私がまた甘やかして、頼られて……一緒に」



 抱き寄せるように体を起こされた。触れ合うする肌。焼けるような熱がノーチェから伝う。そのまま立つこともままならず二人で倒れ込んだ。



 どさりと、まだ暖かい翼竜の巨躯に寄り掛かる。地面に座り込んで、ようやくまともに顔を合わせることができた。




 ぜぇ、はぁ、と。荒く肩を揺らす呼気。力のない表情で見つめ合って、ノーチェは深く安堵のため息をついた。穏やかに微笑む。



 泣いたらいいのか笑ったらいいのかわからなくて、俺はずっと惚けていた。





「……帰ってきたぞ」


「…………へへ、迎えに来てやったんすよ」


 長い沈黙を置いた。降り続けていたはずの大粒の雨が、だんだんと細く、弱く、霧のように小さな水滴へと変わっていく。自然と、置いた手が重なった。指が交わる。


「…………つづきを。ききたい」


「……ん。い、今っすか……ぁ?」


 ノーチェは覚悟を決めるようにぐしぐしと涙をぬぐった。緩むように破顔してから真剣な眼差しで、ジィっと双眸を覗き込む。頬は仄かに赤らんでいた。言い辛そうに口を半開きにして、八重歯が垣間見える。


「んっと……っすね」





 指が頬を撫でる。ノーチェは安堵するように顔を綻ばせると、目と鼻の距離にまで相貌を近づける。



 吐息が触れ合う距離。瞬きもせずに覗き込む青い瞳は時折、困ったように潤んだ視線で泳いでいた。


 一瞬で緊張が最高潮に達した。全身が強張る。ドクン、ドクンと強く心臓が打ち響く。胸から伝うノーチェの心音も破裂しそうなくらいだった。


 理性さえも限界に至る刹那。ゆっくりと、柔らかに唇が塞がる。

 世界が止まった気がした。


 だんだんと薄れていく霧のなか、静寂を穏やかな雨音だけが満たしていた。息もできないままずっと、そうしていた。


 死を超えた興奮と安堵と、ノーチェとこうしていられる嬉しさやら、いまだ現実と夢の境界も曖昧なままで。


 とにかく訳がわからなくなるくらいごちゃごちゃに想いが掻き混ざっていたから。




 心音が溶け合うまで。呼吸の限界まで。



 塞いだ唇がゆっくりと離れていくのが惜しくて、もう三回目のはずなのに、今まで以上に頭が真っ白になって、向かい合ったまま黙り合った。




 寄り掛かるようにノーチェは体を傾ける。


 肩がぶつかり合って、そのまま顎が乗っかった。表情が髪で隠れる。肌が密着している。



「…………これじゃ、ダメ……っすか……? 私はずっと。こうしていたいっす。一緒に。……わらったり、泣いたり。一緒に、よろこんで、おちこんだり……」



 視線を交えずに。お互いの鼓動だけがバクバクと、恥ずかしいぐらいに鳴り響いていた。頭が真っ白になるぐらい肌と肌の熱が混じっていく。


「ヨースケは……――――うぁあッ!?」



 照れ臭くて頬が緩みそうになる以上に、ただただ嬉しかった。言葉が詰まってしばらくは何も言えそうになかったけれど、膨れ上がる想いのままに動けない体でノーチェを抱き締めた。




「………………」




「――ん。聞くひつようは、もうなかったッスね」



 血と泥に汚れて、汗と雨に濡れた抱擁を、差し込める陽光が照らし出す。





 ――――じきに、噎せ返る暑さが戻るだろう。



これで残りはエピローグのみとなります! ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。よかったらブクマとか評価とか感想とかレビューとかめっちゃ待ってます(乞食)

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