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本能を殺す決意

(何もいない……)


 ――――虫のさざめきも鳥の囀りも聞こえないままだった。あの翼竜が空を飛び、いななきが轟くようになってからパタリと音は途絶えている。


 ガサリ、ガサリと。踏み締めるたびに、杖をつくたびに重い足元の音が際立った。絵具で殴り描いたような濃厚な緑に影が混じる。枝を押し退け、草葉を掻き分けて進むにつれて波音も聞こえなくなった。


 歩くうちにほんのりと青かった空は重く垂れ込んだ薄灰の雲に覆われていた。風が冷たい。もうじき雨が降る。歩き続けてようやく開けた場所に出た。


「近くにもう一か所同じようなとこがあるはずだ……大丈夫だ。きっとうまく行く……大丈夫だ…………」


 何度も自分に言い聞かせた。独り言が密林の空気に溶けていく。予行練習もできないまま準備を整えた。服の一着を泥と枝葉で汚し、羽織れるように適当に引き裂いた。これでもまだ数着ある。笑えない話だった。比較的汚れてない服を倒木に膨らませるように吊るした。


「……本当は蛇でもいてくれればよかったんだが」


 いままでなら少し歩くだけでも見つけられた蛇の姿すら見つからない。相変わらずなのは酸っぱいゴキブリだけだった。何匹かを逃げ出さないようにポケットに突っ込んでからもう一か所の開けた場所に向かった。


 距離は遠くはなかった。棘のついたシダ植物を斬って進むうちに目的の場所に出ることができた。


 火喰蜥蜴によって焼けた跡。薄く緑が地面を覆うのみで、樹木は倒れ、朽ちている。ぽっかりと穴が開いたような所だった。


「――――――ッ」


 大きく息を吸って曇天の空を仰いだ。僅かに霞む空気を切り裂くように、忘れもしないあの黒翼が上空を巡回している。


 見えるだろうか。気づいてくれるだろうか。けど方法はこれぐらいしか浮かばない。他の方法を試す余裕も時間も――――残っちゃいない。


 心臓の鼓動が激しく鳴り響く。巡る血の熱が全身で感じ取れる。覚悟を決めて杖を、ナイフを強く握り締めた。シャランと、括りつけられた金貨が小さな音を鳴らす。


「いい天気だ。いい場所だ。他のモンスターもいない。毒蛇に邪魔される心配もない。火喰蜥蜴もいない。俺は……まだ運に見放されてなんかない」


 お祈りはとっくに済ませた。神なんて信じてもいないのに。テストをした後に結果を祈るみたいで深く考えるとバカバカしかったけど。そんな風にゴタゴタと考えられる程度の余裕は保てている。


「ああ……マジで頼むからな」


 焚火に集まっていた火喰蜥蜴の入ったペットボトルを大袈裟に弧を描いて投げた。ボソンと落ち葉の地面に深く沈むと同時、淡い紫紺の魔力が残滓となって宙で燐光する。


 膨れ上がるように空気を歪める火炎。魔力と嗅ぎなれた火の臭いが鼻を突き刺す。黒煙が空へと上がっていく。竜は気づいてくれるだろうか。分からない。けど、まだ足りない。


 開けた場所。煙。前にあいつが襲ったときと同じ状況は作ってやった。あとは――血だ。


「これは手数料だッ! 来やがれデカ蜥蜴! ノーチェがくれた血だ! 俺よりも魔力のある血だ! てめえには不相応なくらいになッ!!」


 眼が限界まで見開く。喉が張り裂けんばかりに空に叫んで、勢いのまま左腕にナイフを突き刺した。熱い。痛い。


 動かすと、空気に触れると傷口が焼け染みるように痛む。どくどくと音が聞こえそうなくらい血が滴る。杖に触れるたびに魔力の波が激しく脈打つ。


 魔力と鉄の匂い。苦痛を押し殺すとギリギリと勝手に歯が軋む。頬が吊り上がる。声が足りない。音が足りない。もっと、もっと叫べ。


(威嚇しろ。あの竜の咆哮を思い出せ)


 電光が迸るように頭のなかでいくつもの声が響く。越えなければならない賭け。いくつもの自分を犠牲にしてここまで来た重圧が声援を送る。


「■■■■――――――!」


 言葉にならない叫び声をあげた。空気を震わせて、想像のままに魔力を込める。魔法と呼べる代物ではなかった。ただ無意味に声から魔力が溢れ出た。


 僅かな脱力感。だがそれ以上の敵意が。頭に突き刺さる獰猛な眼差しが体を突き動かした。咄嗟に身を翻すように横へ跳ねると同時、青い稲妻が曇天を貫き落ちる。銃声のように轟く衝撃。


 息を吸うだけでも体に入ってくるほどの濃厚な力。雷撃の魔法――【轟雷トニトルス】。


 頭上を覆う影。手の届かない遥か上空にいたはずの巨大な影は一瞬にして肉薄した。火喰蜥蜴の炎に助けられたと言っていい。黒煙で視界が遮られたのか刃のごとき爪はすぐ隣を切り裂く。


 地面が抉れ土埃が舞い上がった。殺意に濡れた深紅の瞳は宙から強襲した際の軌跡を描いていた。


「久しぶりじゃねえか……! 俺の死体は美味かったよなぁ? けど今度は生憎様、俺が捕食者にならなきゃいけねえんだよ」


 誰も見てないのに必死に格好つけた。痺れる指先。吐く息までもひどく震える。漆黒の鱗。鋭利に煌めく翼爪。


 樹木すらへし折るしなやかな尾。まごうことなき竜の体躯。他の翼竜にやられたのか、鱗には一筋の古傷がクッキリと見える。


 見える距離にいた。


 何もかもをしっかりと知覚してなお、退くこともできずに対峙していた。

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