一日目の夜
2
「火が欲しい」
(火があればもっと工夫のし甲斐はあったはずだ。それに夜に何も見えないなんてことにはならなかったと思う」
ノーチェが集めた野草と六つの椰子の実を二人で飲み干して中の白い部分まで食べ終えた頃には完全に日が沈んでいた。足元すら真っ暗なくらいに夜闇が周囲一帯を覆ってしまって、隣にいるはずの彼女の姿すら見えなくなる。
「火、欲しいっすね。そしたらもっと食事も上手くできるっすよ」
「酷い味だった」
(特にマンドラゴラ。風邪薬を泥団子に混ぜたら再現できるんじゃないか? あれを食べ物とは思いたくないな)
一番マシだったのはサボテンの実だ。あれだけはきちんと甘酸っぱく、瑞々しくて美味しかった。そんなことを思い返して、砂に寝転がる。
「明日はまた椰子の実を取って、それから水の調達っすね。雨乞いでもしてみるっす?」
「そんな便利な魔法があるならしてほしい」
「私ができるのは精々、五感を鈍くするぐらいっすかね。火を起こすとか水を出すとか、四元素系は特に苦手なんすよ。こればかりは才能っす」
どさりと、彼女も砂の上で横になった音がした。早く寝てしまうべきなのだろう。けれども天井も壁もないこの場所は思っていた以上に落ち着かなかった。ずっと警戒心が張り詰めて、胸のなかで憂鬱な感情が渦巻いてくる。
何も見えない暗闇のなか響き続ける海の音を聞いていると、途方もないくらい不安になってしまうのだ。昼間とは隣にいるだろう彼女と会話をしたくてたまらなかった。暇になると嫌なことを考えそうになる。
元の世界でも時間は進んでるのかとか、元の世界に戻れるのかとか。生きていけるのかとか。
「寝れないんすか? くっふっふぅ、お姉さんが子守歌でもしてあげますよー?」
すぐ近くにいるはずの彼女の姿すら見えないけれど、間違いなく悪戯っぽい笑顔を浮かべてるだろう。出会ったばかりなのに彼女はもう俺のことを怖がる様子もなければ、むしろ積極的に接してくれている。
「それじゃあ歌ってもらおうか。俺以外聞いてないから早く歌ってくれ。怖くて眠れないから。ノーチェの歌が聞きたい」
「はぇ……!? ほ、本気で言ってるんすか?」
「ああ、本気だ」
「こういうのは普通、照れて強がって、いらねえよ! って言うもんっすよ! そのあとに心臓バクバクして童貞臭い感じでふて寝するのがマナーっすよ!?」
声を裏返して彼女が困惑してるのがよく分かる。仕返しとしては充分だろう。
「本気で冗談を言ったんだ」
ノーチェが黙り込む。無理矢理あーんさせたり変にお姉さんぶったりするのが悪いのだ。いい気味だと思う。
「それで歌ってくれないのか?」
「どっちなんすか!? あんた訳わかんないっす! 全然喋らないと思ったらへったくそなジョーク言ったり! 分かった。歌うっすよ。歌えばいいんっしょ! そんな残念がらないで欲しいっすよ。あと、変な期待は禁止っす」
ゆっくりと彼女が深呼吸をする音が分かった。何も見えなくてもその呼吸はどこか艶やかで女の子っぽくて、体が強張る。歯を噛み締めて緊張を堪えていると、彼女は緩やかに歌い始めた。
歌詞はなく、ただ穏やかな声をノーチェは響かせた。寂しげで、それでいてリズムのある独特なメロディ。頭に残る。無意識のうちに耳を傾けているのが嫌で、明日の朝ノーチェの顔を直視できなくなりそうなのが嫌で俺は空に意識を向けることにした。
東京の夜は明るくて、月と北極星ぐらいしか見えなかったが、この世界はあまりに暗く、火の一つすらないものだから、満開に狂い咲くように見渡す限りの星が広がっていた。
「る~る~……。って、何歌わせてるんすか! すっ凄い恥ずいっすよ!」
「大丈夫。途中から聞かないように星を見てたから」
「その台詞絶対格好つけたっすよね? 絶対キメたっすよね? 朝起きて絶対後悔するっすよ。あ、あとそんなに私の歌酷かったっすか!? 自信あったのにぃ……!」
(うるさい)
彼女の声を聴いていると頭が沸騰するぐらい恥ずかしい話だが、とても落ち着けた。どっと体に押し寄せる疲労に身体が重くなって、熱が籠って、気づけば俺は無人島での最初の夜を眠りこけていた。