逃走
コロナ騒ぎでずっと家に引きこもっていると生活にメリハリがなくなってしまうのは困りものですね。ええ、執筆が遅れた言い訳です。ブクマしてくださっている皆様には特に申し訳ないです……。善処します。
「ヨースケ……! 歩けない……っすよね」
魔力炎血症とやらの進行は異常なほどだった。手足の痙攣が止まらない。悪寒の所為で頭が揺らされるように痛む。石片の物理的な出血が体を動かすたびに軋む。
(無理だ。俺がいたらノーチェは逃げられない。俺が食われればその間にノーチェは逃げられるか?)
気配を押し殺して黒竜を覗き込む。獰猛な牙。頑強なアギト。噛まれれば即死するだろう。――俺が囮になるべきだ。
(ああ、でも……でも……)
走馬灯みたいに記憶が巡って脳を掻き回す。昨日を肉を食べたときのことが。モンスターから逃げ切ったときのことが。豪雨に晒されて抱き締め合ったときのことが。
吐く息が白く震えた。無遠慮に涙が目頭を熱くして凍っていく。
「――――悪い。俺は……格好いい事一つ言えない。…………置いてかないでくれ。怖いんだ。何度も死ぬ記憶を見てきたのに……っ、今更になって……糞。……クソ!」
「わかってないっすね。俺が囮になるとか言われても私が嫌っすよ。置いてくわけないっす。二人だから……二人だから生き残れたんすよ。きっと、やり遂げるッス。だから、頼ってくれっすよ」
覚悟を決めたようにノーチェが強気に笑った。久々に見たかもしれないしたり顔。彼女は近くの石ころを握り締めると、勢いのままに昨日作った燻製肉の元に放り投げた。
カツンと音が響いた。張り詰めた静寂のなかではあまりに大きな音だった。黒竜が唸りながら石ころが落ちた場所を一瞥し、地面を揺らしながら歩いていく。
「今のうちに……ッ、ゆっくり離れるっすよ。あいつは、動くものを優先して狙う……はずっす!」
肩を担がれた。竜が音と肉に興味を示しているうちに隠れる場所もない開けた陽だまりのなかを一歩、一歩と慎重に進んでいく。音を立てないように。ふらつく脚が崩れないように力を込めれば込めるほどがくがくと体が震え続ける。
数メートル背後にいるだろう怪物の気配が背筋を撫でていた。竜の唸り声。尾の揺らめき。耳に響くたびに脳が警鐘を鳴らしてくる。
(あと――樹木がある場所まで三メートル? いや、五めーとる? ……瞼がおもい。距離感がわからない)
体は凍えるように冷たいのに汗がだらだらと流れ落ちて固まっていく。ぎゅっと、ノーチェが力強く俺の手を握ってくれた。一歩。一歩と。草木はもう目の前だった。
(もう少、シ……もうすこしだ。だいじょうぶ。にげられるはずだ……いままでだッて)
どさりと、体から何かが落ちた。体が硬直した。心臓が跳ねる。何が落ちた? いや、分かっている。……俺だ。俺の体から突き出てた石片が。生え変わったんだ。それで――――。
「落ちやガ……っ、た」
呂律が回らない。呼気が浅くなっていく。全身に突き刺す刃のように鋭い気配。気づかれた! 確信と同時に後光が差す。周囲に満ち溢れる魔力の波。紫紺の輝きは視認できるまでに広がり――。
「伏せろっス!」
ノーチェが叫んだ。頭を鷲掴みにされて勢いのまま全身を地面に打ち付ける。直後、頭上を衝撃波が過ぎた。目の前の木々が破砕音を響かせて砕け散る。振動が地面を唸らせる。波紋状に広がる濃厚な魔力。
破壊の力に当てられて焚火のなかで、焼け落ちた倒木の中で眠っていた火喰蜥蜴が一気に燃え上がった。竜が威嚇するように咆哮を轟かせる。どん底のなか悪運だけはまだ残っていた。
「今のうちに逃げるっす! これでおんぶに抱っこはお互い様っすよ! 生き延びて、万全の体調になったらまた貸しを作ってやるっすから!」
ノーチェが顔を真っ赤にしながら俺のことを背負う。まだ完治してないはずの脚で駆けだした。薙ぎ倒された樹木を乗り越えて、濃厚な緑の奥へ躊躇いもなく突っ込んでいく。
「ううううううううううッ! 死ぬもんか……! 維持でも死んでやらないっすよ糞蜥蜴共!」
ノーチェが震える声で叫んだ。すぐ背後で業火が舞い上がる。首元をひりつける熱風。棘のある椰子の葉、鋭い枝を一心不乱にナイフで斬り落としながら走り続ける。俺を離そうとはしなかった。
「■■■■■■■■■■――――――――――!!」
竜の咆哮が耳を劈いた。雷鳴のごとく密林を揺らし、空気を震わせる音の塊。頭上を抜ける突風。生い茂る林冠を確かに覆う黒い影。再び魔力の波が揺蕩う。
痺れるような空気が周囲に渦巻き、そして白い一条の光が振り落ちた。ほんの数メートル先に落ちる【轟雷】。樹木を砕き地面を焼き消す一撃によって一気に炎が燃え広がる。
凄まじい衝撃が地面を伝って脚へ、腕へと走る。鉄槌で殴られたかのような激しい痛み。ばさりと、ノーチェがバランスを崩して前のめりに倒れた。枝に引っかかって彼女の華奢な腕が擦りむける。痛々しかった。
「きゃぅ!? あッうぅ、ヨースケは……平気っすか?」
「おれのことより……。あ、れは……どうやって俺達、を追っ、てるか……わかる、か?」
思考が回らなくなってきている。必死に逃げる術を考えれば考えるほど頭が鈍く痛み続ける。舌が、指が痺れている。体から突き出る石片の感覚もわからなくなってきていた。
「どうやってって……!? ええと、目……臭い。音、魔力……色々っすよ! けどあいつは図体がでかいからそうやすやすとこの樹木全部をぶち壊してはこないはずっす! 縄張りから、……縄張りから出れば生き残れるんスよ!」
肩が呼気に揺れる。なんとか立ち上がって、だらだらと血を流す腕も知らないフリをしてノーチェは再び立ち上がった。どこまで追ってくるかもわからない黒竜を相手に走り出す。
落ち葉を蹴って、木の根でよろけるのを持ちこたえて、加速するように傾斜を滑り降りる。一瞬のうちに全身傷だらけになっていた。枝葉で肌は裂けて血が滲む。
(やみくもに逃げまわるだけで――たすかるのか? 考えろ。思い出せ。思い出せ! 頭上はほとんど葉っぱで覆われて落雷の攻撃も正確じゃない。目をつかってない? ……確信がもてない)
竜の追跡を振り払える気配はなかった。バサリ、バサリと頭上に響く翼の音。追い込むみたいに真上を飛翔し続けている。
あの巨躯がどうして空を飛べるのかも理解できなかったが、首に蛇でも巻き付いたみたいな嫌な予感が頭から離れない。
記憶が――あれに殺された記憶があるはずなのに。頭が軋むばかりで真っ白になって思い出せない。けど、けど断言できる。このままじゃ逃げられない。




