血肉
「……うし! ようやくできたっすよぉ!」
亀を捕まえてからおそらく三時間以上が経過したとき、ノーチェはハングリーな笑顔を浮かべながら全ての調理を終えた。解体したほうは内臓と一部の肉を焼いて手足は燻製にしている最中だ。この気候だとそうしたところであまり日持ちはしないらしいが。
「なーにボケっとしてるんすか。私が食べちゃうっすよ?」
焚火に投じた亀を取り出して黒く変色した甲羅をナイフで砕き割っていく。ベキベキと気持ちいいくらい簡単に壊れてくれた。瞬間、肉の匂いと湯気が漂っていく。
「おお……! って待てって。ノーチェに頼まれてたやつ頑張って木登りまでして採ったんだぞ」
桃ほどの大きさをした茶色い外皮の木の実をノーチェに手渡す。メアリーチェリーとか言う名前らしい。可愛らしい響きだがガチガチに乾いたナッツみたいな見た目だ。
「ダメ元で頼んだんすけどよくあんな樹登れたっすね」
「体重とかもろもろ落ちたはずなんだけどな。魔法を使うようになってから持久力とか条件反射とかが良くなった気がする」
「ほらほら、初めての肉に乾杯するっすよ」
ノーチェが木の実の殻を慣れた手つきで引っぺがすと白いゼリー状の中身が現れる。盃を合わせて、場の勢いのまま飲み込むと濃厚な甘さとアルコール臭が鼻を突きぬけた。
「……っこれ。酒?」
「へっへっへぇ。いい飲みっぷりじゃないっすかぁ。けど大丈夫っすよ。この果物で酔ってもすぐに覚めちゃうんすよ」
ノーチェはいつになく陽気に笑いながら亀肉に手をつける。丸焼きになったそれを試しに千切ってみたがほろほろと身が剥がれてくれた。そのままひと思いに頬張って、咀嚼していく。
噛めば噛むほど溢れる肉汁。捕まえるときはワキガに血反吐を混ぜたみたいな悪臭を振り撒いたくせにそんな臭みはまるでない。肉質は鶏にも似ていたがプルプルとした食感も一緒にある。味付けなんてしてないが圧倒的な旨味だ。
「んんふ~ッ!! 捕まえてよかったっすねぇ! 感動っすよ。肉が……肉を食べたのなんてずっと前で、うっぅう……!」
感極まってノーチェが目を潤ませる。お酒に思いのほか弱いのかもう頬は赤らんでいたし、なんだか表情がいつもより緩かった。尻尾がご機嫌に揺れている。
「ヨースケと一緒にお肉食べて、お酒飲めて……私は幸せっス。世界で一番恵まれてるっすよ」
「そんな大袈裟だな……照れるだろ」
ゴクリと肉を呑み込んでノーチェが顔を近づける。目と鼻の距離に凛とした双眸が。ジッと見つめられている。
「……大袈裟なんかじゃないっすよ。ヨースケはどうっすか?」
「お、俺? まぁ、好きだよ。好きだとも。一緒にいられて、こうしてだべってられるのは」
素直に言い切ったらノーチェそそくさと距離を置いた。顔を俯けて気難しそうに髪を弄り始める。小さくなった翼がパタついていた。
「好きって……えへ。えへへぇ。私も大好きっすよぉ~」
だらけるように抱きつかれた。腕をしっかりと掴まれて体が密着する。何度だって慣れそうにない柔らかな肌。吐息が酒臭い。いつも以上に遠慮なくべたついてくる。……酔っているらしい。
(真面目に答えたんだがな)
「……私がどういう種族か知ってて、そのままでいてくれたのはヨースケだけっすよ。だから、いつ死んじゃうか分からなくても私はこの島でヨースケと一緒なのがぁ。えへ、えへへぇ。やっぱり恥ずかしいから無しっす」
「えへへぇってなんだよ。そこまで言うなら誤魔化すなって……」
言及するが返答の代わりに亀の内臓をあーんされる。肉厚な部位だ。心臓だろうか。噛めば噛むだけ旨味が溢れてくる。
「教えられないっすよ。言ったら、言っちゃったら心臓がバクバクしちゃうんすよぉ?」
蕩けたような声。瞼が重くなっているのか瞬きが多い。それでも粛々と亀肉を食べ切って底に溜まったスープまで飲み干してしまうと、俺に両腕を伸ばしてニヘラァと微笑んだ。
「今っスねぇ……ぎゅーってしたい気分っす」
「素面になったら絶対後悔すると思うぞ。ノーチェ意外と恥ずかしがるタイプだろ。からかうくせに」
弱ってるところに付け込むみたいでしばし悩んだが、断る理由もなく要求に応じた。ノーチェの華奢な体を抱き締める。体は熱い。前抱き締めたときと違って彼女は笑顔だ。パタパタと翼を仰いで俺の腕を撫でている。
(……ノーチェが元に戻るまで待つか)
別行動をとるリスクは高い。一緒にいるしかない。そうなるとやれることは限られていた。魔力も完全回復とはいかない現状、壁つきの拠点を造ることもできない。モンスターやらに襲われるかは運だ。いつだって祈ってきた。今もだ。
「んだが……。ああ、でも今日はいい日だったな」
「なーに考え事してるんすかぁ?」
ノーチェが不意に体重の全てを俺に委ねる。突然のことで、成すすべなく押し倒された。身体が密着したまま蒼い瞳が見下ろす。ぺろりと舌を巻いていた。
「……ノーチェ?」
しばらく黙ったまま顔を凝視していたかと思うとするすると腕の力が抜けて俺の上で寝始める。疲れを我慢していたのが出てしまったのか、それとも全部木の実の所為なのか。
(……う、動けない。日陰なのはいいんだが、これを耐え続けるのか?)
鋼の意思が軋む。我慢するために、誤魔化すみたいにノーチェの尻尾と翼を触って気を紛らわし続けた。
10
「――ヨースケ。――ケ起き――よ」
意識の外から声が響く。ゆっくりと動き出す脳。重たい瞼を開けるとノーチェが顔を覗いていた。まだ藍色掛かった空。……夕方? いや。朝だ。耳に入る鳥の囀りと虫の鳴き声からぼんやりながらも確信して体を起こす。
「ようやく起きたっすね。けどぉ、けどぉ。ヨースケからあんながっしり抱き締めるとは思わなかったッスよ? い、嫌じゃないけど……! 起きてびっくりしちゃったっす」
したり顔でノーチェが両翼を広げる。翼は元の大きさにまで戻っていた。顔色も良い。艶々してるくらいだ。もう酔っている気配もない。手を差し伸べられて立ち上がった。足元がふらつく。
「……覚えてないのか」
とは言ったものの俺自身、いまいち記憶が曖昧だった。……亀を食べて。ノーチェに押し倒されて……それからどうしたんだったか。思い出そうとすると頭がズキズキと突き刺すような痛みが響く。
「ッ……メアリーチェリーって酔ってもすぐ覚めるんじゃないのか? 二日酔いみたいに痛むん……だ、が」
ボタボタと。鼻から何か流れ落ちた。咄嗟に手で押さえると真っ赤に汚れていく。――血? 意識すると口の中まで鉄の味が広がっていく。舌がひり付くほど冷たい。
「ごほッ! げほっ……!」
喉奥から何かが込み上げて咳き込む。嫌に冷えた血と砂が唾液に混じっていた。ノーチェが慌てて俺の目を覗く。瞠目して、顔を蒼褪めさせた。
「ま、魔力炎血症……」
震える声が耳に入る。目の奥が酷く痒かった。視界が濁っていて、立ち上がっていたのにいつの間にか尻もちをついていた。脚が痙攣している。拭いきれない倦怠感。頭が軋む。
――痛い。痛い。痛い。思い出した。死んだ記憶が見えなかったのはタイミングがズレたからだ。俺を殺した原因が変わったからだ。泥地で虫に刺された箇所をめくる。
赤く腫れた皮膚。肉の内側から突き出た石片。血は赤黒く凍り付いていた。




