弱肉強食
――野営拠点に帰還。虫刺されで赤く腫れた皮膚。慌てて逃げて何度か転んだ所為で跳ねた泥。亀が放つ威嚇臭。ゴキブリの虫除けと混じってワキガと血反吐の臭いになっている。
さながら敗残兵みたいだったが俺達は今紛れもなく弱肉強食の世界での勝者だ。抱えていた亀を地面に下ろす。万が一にも逃げられないように甲羅は蔦で造った縄で縛った。
「ああ糞……亀が手に入るとしても今後行くか本気で悩むな。蚊が洒落にならないくらい刺してきやがったし痛い」
「でもでもでもッっすよ! これで肉が手に入ったっす。うひ、ヒッヒッヒヒ……。どう調理してやるか悩みどころっすねぇ」
ノーチェは身体にこべりついた悪臭を気にする気配もなく邪悪な笑みを浮かべる。垣間見える八重歯が飢えた動物の牙みたいだった。彼女は亀二匹を交互に見詰めて、泥と枝葉が絡まった白い髪を指で弄りながら云々と悩み始める。
「……丸焼きか、きちんと解体して部位ごとに処理するかどっちがいいと思うっすか?」
生憎亀を解体したことはない。航海時代でウミガメやらリクガメが重宝されたとか、そういう話を知識としてぼんやりと知っていてもどの部位をどう食べていたかなんて知る由もない。
「……二匹いるしそれぞれ試すでいいんじゃないか? 俺としては丸焼きを食べてみたい」
「ん。ならさっそく準備に取り掛かるっすよ」
最初に火をつけることから取り掛かった。火喰蜥蜴がいるおかげでペットボトルで反射光を集める必要なんてない。こいつを優しく落ち葉と炭の寝床に下ろしてちょっと枝で頭を撫でるだけで簡単に火をつけることができた。熱帯の生温い空気をばちばちと燃やしてすぐに火が安定していく。
「ぺっとぼとる……したっけ? 一本貰うっすよそれで甲羅を持ってもらっていいっすか? 頭を下に、ん、そうっす」
ノーチェの指示通りに亀を持ち上げる。異臭は出し切ったのか俺達の嗅覚がねじ曲がったのか知らないがもう感じ取れない。だからといって諦めるわけでもなく、必死に手足と頭、尻尾までも甲羅の中に収納して出てくる気配がない。
「ヨースケは聞いちゃダメっすよ。……あなたは眠くな~る。眠くな~るっ……」
聞くなと言われても両手が塞がってて何もできない。悪戯っぽくノーチェが笑いながらおまじないを唱えるみたいに亀に囁く。耳の中を撫でるみたいな甘い声。思わず肩が跳ねた。……魔力を使ったらしい。縮こまっていたはずの亀がだらりと手足と長い首を甲羅から伸ばしてくれた。
ノーチェは無造作にナイフを当てるとそのまま首へ撫で下ろす。手馴れていた。ぼとりと足元に亀の頭部が落ちて、断面から溢れ出る真っ赤な血を一滴たりとも零さないようにペットボトルに入れていく。
「……それ何に使うんだ? 魚捕まえる罠とか?」
用途を尋ねるとノーチェは呆気からんとした様子で首を傾げる。
「え? 飲む以外なにかあるんすか?」
「はい? 飲む? 生き血を?」
「船でも地上でも皆やってるっすよ。猪に亀、それに陸鮫なんかでも。人魚の血なら魔力が完全回復するぐらいっす。あーでも馬の血は聞かないっすね。ヨースケは飲まないんすか?」
さすがにじゃあ一口と言う気にはなれなかった。嗅がずとも漂う鉄の臭い。ノーチェの脚の傷を思い出してしまう。こればっかりは無理だった。それに生の血肉は怖い。文化の違いか。
「美味しいのにもったいないっすねぇ。でもまぁ血と心臓が一番魔力があるんすよ。くれるなら遠慮なく貰うっす」
そう言ってペットボトルに入った亀の血を一気飲みし始める。
「んんー! むふーッん!」
よほど美味しいのか歓喜に声を唸らせて小さくなった翼をパタつかせていた。呑み終えて血塗れになった口を拭う。八重歯も相まって吸血鬼みたいだった。見たことないが。
「それじゃあこいつは焼いちゃうっすよ。この大きさならー……三時間ぐらいっすかねぇ?」
日光が当たる場所に枝を突き刺す。俺には分からないが影の移動でどれくらい時間が経ったか正確にわかるらしい。丸焼きの準備はそんなもので、ノーチェは頭のない亀をひっくり返すとそのまま焚火の中に放り込んだ。斬首したとは言え手足や尻尾が生きてるみたいに動いている。
「頭も一緒に焼くっすよ。あ、私がやるっす。蛇もっスけど、頭斬られたくらいだと平然と噛んでくるんすよね」
そんなこと言いながら平然と手で掴んで火の中に放り込んでくれた。残る一匹も同じように頭を斬ってノーチェが血を飲んでいく。飲み干してから思い出したみたいに俺の顔を覗いてくると、何故か申し訳なさそうに尻尾がしょげていく。
「本当にいらないんすか? なんかこう……私のためにわざわざ遠慮しなくていいんすよ? ヨースケなのに変っすよ。一番おいしい部分を素直に渡すタイプじゃないじゃないすか」
「間違っちゃいないが酷い言い草だな。そんなこと言ってると血の代わりになんか要求しちゃうぞ」
そんなつもりはなかったが手をどことなく意味深に動かすと、ノーチェは見透かしていたみたいに微笑んで褐色の頬を赤らめる。
「どんなッスかぁ? 今すぐじゃなくて身体洗ってからがいいことっすかねぇ~?」
汗と泥と血まみれのはずなのに消える気配のない妖艶さ。ずっと見ているはずなのに身体が強張ってしまう。
「ッ、やっぱり無し! ほら、早く亀の解体を終わらせよう。俺にはできないからノーチェが頼りなんだ」
「つれないっすねぇ」
へらへらと笑いながら腹部と背部の繋ぎ目をナイフで斬っていく。斬ると言っても甲羅なのでノコギリみたいに削っていくしかない。ある程度切れ目を入れたらとがった石を押し当て間に強引に押し込み持ち上げる。バキャリと軽快な音がしてテコの要領で一気に割れた。
隙間にナイフを差し込んで甲羅についた筋を斬ると、一気に腹部の甲羅が剥がれた。ノーチェの手捌きは見惚れそうなくらい淡々としている。俺は見てるぐらいしかやれることがなかった。
腹部の甲羅が剥がされるとグロテスクな内臓がご対面してくる。何重にも折りたたまれた腸。手足につながる筋肉。よくわからない緑っぽい内臓。大量に詰め込まれた黄土色の球体。隣に卵も入っていたから成長過程のものだろうか。こんな状態になっても手足は遠慮なく動いていた。
「これ埋めてきてもらっていいっすか」
引っぺがした甲羅を皿代わりにして不要な内臓が渡される。胃腸と緑っぽい内臓。そして薄く白い膜のような臓器。
「えっと……これは?」
「胃腸と胆嚢。腎臓、あと膀胱っすね。ミスって破くと悲惨っすよ」
顔が引き攣っていたかもしれない。不意にノーチェは真剣な表情を俺に向けてきて、血で汚れたナイフを葉で拭う。
「虫とか魚じゃあ分かりづらいっすよね。これが食べられるってことなんすよ。藻掻いて、どんな手段を使っても抵抗して…………だから私はこうならなくてよかったとマジで思ってるっす」
(いきなりそんなことを言われてもなんて言えばいいんだ? 確かにノーチェの言う通りなんだろうけど、そうだなって言うのも変な感じがする)
ぐるぐると返答候補が頭を巡ったけど、結局俺は何も言えずに頷くだけにした。――肉が食べたい。ここまで生き延びて、色んな生き物を殺したからには。
ぐちゃぐちゃと意外と遠くまで聞こえる解体の音。亀を丸ごと焼いていく焚火の熱。どれも待ち遠しかった。




