木洩れ日の一時
拠点まで戻るには一苦労だった。ただでさえ入り組んで足場は悪いのに転びそうになって枝を掴むのも危険。
虫が落ちてくることがあるらしい。酷いときは枝を住処にする蟻やスライムに噛まれるだのと。ノーチェも聞いた話なので真偽は分からないが警戒するに越したことはない。
足元に蛇がいないか注視して、ぬかるんだ腐葉土と苔むした岩に足を取られないように力を込める。それでも一度、陸地だと思ったら水草に水面が覆われただけの場所があって落ちかけた。杖がなかったら顔からダイブしていた。
魔法によってせり出した岩壁が目視できると不安の元凶みたいなものが取れた気分だった。周囲一帯が透き通った水に満たされて、濃い緑の林冠を反射するなか、苔むしてすらいない真新しい岩はよく目立った。
「まずは一度寝床用の葉っぱを取り換えるっすよ」
「しなびてきてるしな」
ご機嫌な鼻歌混じりにノーチェが寝床に浸かっていた葉っぱを捨てていく。雨が降っていたときは虫がいないかをチェックして煙でいぶすだけだったからこれで少しはスッキリできるかもしれない。
留守の間に虫が隠れていたのか、水面に落ちる葉に紛れて爺っぽい毛むくじゃらの蛾とビネガローチが必死に岸を探していた。ポチャン、と。一瞬で魚が全て捕食していく。無情。
「一度取って来たものを纏めるか。ノーチェ、竹をいれるの手伝ってくれ」
「ヨーホホーッす」
道中で採取できた果物もろもろ、全て並べていく。最初にこの密林を歩いたときよりやはり実りが多かった。
まずはナイフとペットボトルが二本ずつ。それに椰子の殻だの葉っぱだので出来た籠。ノーチェが作った火の消えた焚火で眠るサラマンダーが一匹。焚火で出来た炭と灰。
岸で採っていた椰子の実は残り少ない。トイレ用の柔らかい葉っぱも萎れてきている。食べたゴミとかは土に埋めることにしている。ノーチェ曰く、処理をさぼって適当に投棄すると鮫が来るだとかなんとか。鮫に関しては船での話だろうが、モンスターを警戒するに越したことはない。
あと持っているものと言えば楓の葉のようなミント臭のする葉っぱが数束。柑橘系の果物がいくつか。雨で流れてきただろう平たい石。まな板なり料理なりには使えると思う。
そして竹と珈琲の実だ。どっちも枝葉ごと取って来た。無論虫がいないかはチェックした。安全だ。
「あとはこいつっすよ! 帰り際に見つけたサプライズっす」
ノーチェはしたり顔を浮かべて胸を張る。広がる両翼。意気揚々と俺の手を掴んでそれを握らせた。半透明の銀色。手のひらに収まるゼリー状の球体が必死に逃げようと腕を這う。咄嗟にもう一方の手で捕まえたけどグニグニと暴れる。
(……これはなんだ?)
端的に言って気持ち悪い。虫以上に得体が知れなくて鳥肌が立つ。その生物が触れた部分は嫌に脂っぽいし、なんだかわからないけど有機的な臭いがして――つまりはベタベタして臭い。
……分からない。何に使うんだ? 虫だのを食べたがらないノーチェがこれを食料だと言い張るとは思えない。なら……燃料? サラマンダーがいるのに?
「そいつは軽く茹でるだけでめちゃくちゃ旨いんすよ? もしかして食べたことないんすか?」
「虫は食べないんじゃなかったのか?」
気持ち悪いのでノーチェに返した。彼女の華奢な指に銀色の粘液が絡み付く。ぬるりと手のなかで滑って彼女の太腿に落ちる。……なんというか見ていてむずむずする。あまり健全じゃない。
「虫じゃなくてスライムっすよ! 魔力満天で飴みたいに甘い! 至高の一品ッス!」
(虫のほうが得体の知れてる分マシだ)
「まぁ……毒味ぐらいなら」
ノーチェの瞳がパッと見開いて尾が激しく揺れる。悪戯が上手くいった小悪魔みたいな笑み。食べるのに忌避感はあるけど今更だ。
「どうせなら調理して食べよう。今なら色々試せるし」
道中でノーチェが仕留めた蛇みたいな魚もある。貝と蟹はそこら中に。考えると浮足立ちそうだった。文明レベルが向上してる気がする。
「スライムが美味しかったら私の言うことなんでも一つ聞いて貰うっすからね」
「じゃあまずかったらノーチェに言うこと聞いてもらうからな」
反射的に言い返したら彼女の蒼い双眸が妖しげに煌めく。色に濡れたような。どことなく威圧的な表情。ぺらりと胸を隠す布切れをわざとらしく指先で掴んでみせてくる。影に隠れた膨らみ。ここ数日ふつうに見ていたはずなのに思わず唾液を飲み込んでしまう。
「……ヨースケはやっぱりえっちっすね」
「ち、ちが。違うからな」
顔が真っ赤になって動揺してしまう時点で負けてる気がした。虫の鳴き声に騒々しいぐらい鳥の囀りが響くなか嘲るみたいにギャーォーと、一際姦しい声が飛び去っていく。熱気とは別の汗が垂れた。気を紛らわすみたいに昼食の準備を。まずは竹を斬ることに取り掛かる。
ナイフを振り下ろして竹にこれでもかと打ち付けた。何度か繰り返して切れ目を付けたらノコギリの要領でいくつか斬っていく。
その間にノーチェが血腐沙魚を捌いてくれていた。凄く手慣れた仕草で細長い身を三枚に下ろしてしまう。内臓を火にくべて廃棄。
「なんすかその、ノーチェって料理できたんだ的な目ぇー! これでも海賊の端くれっすよ。魚ぐらい捌けて当然っす」
デロデロとした魚肉を見せ付ける。灰色の身に血を塗したみたいな色合いだった。
「本当に食べられるんだよな……?」
疑いたくなるが話が進まないのでぶつ切りにして竹筒の中に放り込む。それから柑橘系の果物を一切れにミント風味の草。海老を殻ごと入れたら穴を葉っぱで塞いで、たき火に立てかけるみたいにして放置。
「ずっと思ってたんすけど、意外とヨースケって手際いいっすね。野郎が炊事を仕切ることなんて全然ないから関心っす」
覗き込むように俺の作業を見ていたノーチェが不意にそんなことを言った。親があまり作ってくれないから自炊せざるを得なかっただけだが今にしてみればありがたい限りだ。
汗を拭って好奇に翼をパタつかせる彼女は猫みたいで可愛かった。顔がすぐ隣に来ると白い髪が首を撫でる。こそばゆい。
「惚れちゃうか?」
冗談混じりにさっきの仕返しもかねて軽口を叩いたけれど、ノーチェは大きく目を見開いて肩を竦めてしまった。それからたじろうみたいに一歩距離をとって、カッと褐色の肌を朱に染める。
「……ってるっスよ?」
「――――グにビッ!?」
人生で一番の奇声を出したと思う。高鳴る心臓が一気に飛び出しそうになる。いつものからかいかと思ったけど声はか弱いし、とても冗談には聞こえなくて。ジッとノーチェの顔を見つめ返すことしかできないでいると突然クスクスと笑い出す。
「からかうならもう少し度胸というか強情さというか、冷静になれないんすか? 冗談に冗談返しただけでそんな反応されたら…………マジで照れるっすよ」
(冗談か。……いや、なんでショックを受けてるんだ俺は)
うっすらと赤らんだ顔が目に焼き付く。肌に触れる空気すら熱っぽい。焦げる臭いがするくらいだ。
「あっいや、焼けてる! 料理!」




