表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/61

現実はすぐに突きつける

 ――――使えそうなものを持ち、抱き、首にかけ、砂に引きずりながら元の場所に戻ると彼女はいつのまにか目を覚まし、木に乾かしていた服を着ている真っ最中だった。


 物音で俺の存在に気づいたのかハっとしてこちらを振り返り、そして歯を軋ませながら酷く赤面した。褐色の頬が朱に染まり、悪魔のような黒い尻尾がピンと張り詰める。不快感と恥ずかしさが混ざったような表情だった。


「……人間。あんたが服を脱がせたんすか?」


(言葉は通じるのか。けど彼女が日本語を話しているように思えない)


 少女は透き通った蒼い双眸で睨みつけると近くに落ちていた手頃な石を手に取った。命の危険を感じて、俺は彼女から拝借していた短剣を構える。思っていたよりも重量のある刃だった。


「……誤解するな。助けただけだ」


(俺はあんたのプライベートな場所は見てないし、揉んでもない。触ってもない。恥ずかしくて目を閉じながらやったんだ。慎重に。ただ体温があんまりにも低いから濡れてた服を脱がせた。本当に冷たかったんだぞ。死体みたいに。ナイフは変なタイミングで起きたら勘違いで刺されそうだから取っただけだ)


 いや、翼と尻尾は触ったか。けどわざわざ馬鹿正直に言う理由はない。


「ううううううう……!」


 少女は納得いくようないかないような唸り声をあげて身体を震わせたが不意に頭を押さえると、ふらふらと立ち眩んで倒れ込む。咄嗟に駆け寄って肩を貸した。貸してから、彼女がまだ服を着替えてる途中なことを思い出す。


 少女の熱は戻っていた。柔らかな肌の感覚。俺も裸だった。


「……最悪だ」


(こんなつもりはなかったんだ)


「ひゃっ!? 大丈夫っすから……離れて」


「……すまない」


(けどいきなり倒れるから駆け付けただけだ。確かに色々配慮は足りなかったかもしれないが)


 俺はすぐに離れた。吹きつける風によって靡く白銀の髪は綺麗だったが、海の香りがしてくれて冷静さを取り戻してくれた。彼女、俺と違って本当にこの島に流れ着いたなら大量に海水を飲んでしまってるんじゃないだろうか。


 不安をよそに彼女は着替えを再開した。気温が高いことと砂からの照り返しもあって服は着れないことはない状態にまで乾いている。


「一つ聞きたいんすけど。あんたはここの島? 大陸? に住んでる人っすか? それとも私と同じで海に流された口っすか?」


(どっちでもない。俺は昨日まで東京にいた。それだけは間違いない。けど言っても信じてくれないだろうな。どう嘘をつこうか。……いや、待て)


「あんた日本人なのか?」


 自慢じゃないが俺は英語すらまともに話せない。話せたとしたって英語で会話されたらこんなこと聞かない。けど彼女と言葉が通じている。顔立ちも肌も、髪色も異国情緒あるものだったし、服装だって海賊みたいだったから想定すらしてなかったことだ。


「なるほど。だから助けれたんすね」


 少女は勝手に納得するとポンと手を叩いた。自嘲するような笑みを浮かべる。キラリと垣間見えた八重歯が魅力的だった。


「言っておくっすけど私はニホンジンではないっす。それと助けてくれたのは感謝するっすけど、だからってあんたに――げほっ! ごほっ!」


 ぐらりとよろけると彼女は今度こそ砂に倒れた。ぺたりと尻餅をついて脱力する。顔色が悪かった。虚脱感を堪えるに砂を力強く握り締める。


「……飲むか?」


(貴重な飲み物かもしれないが、仕方ない。ここで倒れられるほうが面倒だ)


 本で読んだことがある。漂流者の大半は海にいる間に海水を飲んでしまうせいで脱水症になるのだと。このあと水を確保できないかもしれないのに、バカなことをしたかもしれない。


 彼女は恐る恐るペットボトルを手に取って、怪訝そうに俺の顔を見上げた。


「……麻薬とか入ってないっすよね」


「よく分かったな」


(入れるか馬鹿)


「え? 本当に入ってるんすか?」


「……ああ。これが本当のジョークだ」


 彼女はしばし呆然としてから我に返ったように鼻で笑うと、肩の力を卸した。安心してくれたのか蓋を開けようとして、開け方が分からずに俺に差し戻した。


「開けるときは反時計回しで閉めるときがその逆だ」


「あいにく時計なんて高価なもの。私は触れたことすらないっすよ。そもそもなんすかこの容器。初めて見たっすよ」


(やめろ。考えないようにしていることを確信に近づけるな)


 俺が蓋を開けてやると少女は両手でボトルを握った。ゆっくりと一口飲んで、目を見開いてこちらを凝視する。


「あっ……。待て、誤解だ」


(間接的キスはわざとじゃない。本当に今気づいたことなんだ)


 悪気はなかったのだと言おうと思ったが余計な考えだったらしい。彼女は再び喉にジュースを通した。ゴクゴクと、貴重な水分を瞬くまに空にしてしまうと、満足そうに口を拭い、キャップを閉めて俺に返してくる。


「……ぷはっ。あんた本当に本当なんすね」


「何の話だ?」


(間接キスのことは気にしてないのか? 俺だけが考えて馬鹿みたいじゃないか。いや、俺だってそんな別に気にしてはいない。こいつが余計なことを喚き散らすかと思って身構えただけだ。俺は別に細かいことは気にするタイプじゃない)


 俺の質問を華麗に無視して彼女はふわりと立ち上がった。バンダナとベルトを締め直し、小悪魔的な笑みを浮かべてゆらゆらと尻尾を揺らす。


「……あんな美味しいもの初めて飲んだっすよ。ええと、だから、その、……名乗ってやってもいいっす」


 照れているようなしどろもどろした口調。けれど顔を引き攣らせていて、俺のことを怖がっているようにも見えた。


「名乗るなら名乗ればいいだろ」


(名前を言ってくれるならありがたい。なんと呼べばいいか困っていたし、距離感が分かりづらかった。けどなんで怯えられなきゃいけないんだ。……いや、さすがに名前も知らない男に服を脱がされて武器を盗られたら警戒もするか)


 怖がられたって仕方ない。ちょっとでも安心すればと思って、俺は笑みを浮かべる。顔が引き攣っている気がしてすぐにやめた。なんで俺がこいつのために恥ずかしい想いをする必要があるんだ。


「なんすかその変顔。くく……。口数は少ないっすけど、変なやつっすねあんた。私はノーチェ。ノーチェ・ディ・フィジーっす。もし名前を教えてくれるなら、お礼にいい事を一つ教えてあげるっすよ」


(誰が変な奴だ)


江流(エリュウ)陽助(ヨウスケ)だ」


「うへぇ。やっぱり思った通りの変な名前っす。言いにくいからヨースケって呼ぶっすね」


 ――――名前を呼ばれるまで俺は全く気づけなかった。昨夜、俺を必死に、泣きそうな声で呼んでいたのは彼女だ。……なんでこうして出会う前に俺の名前を知っている? それに、なんであんな嗚咽混じりだったんだ?


 背筋が凍りそうだった。恐怖……とは全く別の、理解の外にある運命力とでも言えばいいのか。何か途方もないことに巻き込まれてしまった気がする。


「どうりで悪魔の私を人間が躊躇いなく助けてくれると思ったんすよ。んじゃ、約束通りいいこと教えてあげるっす」


 ノーチェは蒼い瞳で水平線の向こうを眺めた。その眼に煌めく水面が映る。釣られて視線の先を見た。雲一つない快晴は水平線と溶け合っている。


 俺はごくりと唾を呑み込んでいた。緊張して指先が強張る。バクバクと心臓が痛いくらいに高鳴っている。


「あんた転移者っすね? ようこそ別世界へ。けど運がねえっすね。ここ多分無人島っすよ。大陸は遥か先。海を越えた場所じゃないと勇者にも賢者にもなれねえっす」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ