蟹
「でもおかげで食料事情はすぐにどうにかなりそうっすねぇ。水が透き通ってるからモンスターの有無も分かりやすくて運がいいかもしれないっす」
樹木に大量にへばりついた貝類。手のひらサイズの蟹が水底で木の実を啄ばんでいる。見ていると腹の虫が鳴った。だいぶこの島に慣れてしまった気がする。
(ああ、でも落ち葉に居たゴキブリたちはこの様子だと壊滅か……。好きだったのに)
「ノーチェ、泳いでも問題ないと思うか?」
「泳ぎたいんすか? エッチっすねぇ」
その言葉が聞きたかったと言わんばかりにノーチェが身体をくねらせて胸を華奢な手と両翼で身体を隠して内股になる。昨日も全裸だったのに咄嗟に目を背けてしまった。数日も彼女の露わな褐色肌を見ているけど、そう、これは最低限の境界線だ。
「エッチだとかじゃない! モンスターがいないかどうかとか、あとは足場になりそうな岩とか樹木が苔むしてて危ないからで……!」
「ジョークっすよ小悪魔ジョーク。ヨースケは大陸の人間と違って忌避感ないから楽しいんすもん」
至って真面目な口調でノーチェは言い切った。俺は出来る限り彼女を視界に入れないようにしたけれど、それでも言葉だけで顔が真っ赤になってくる。……見られたくない。
「まぁ、マジな話をするとっすね。どこだって安全とは言えないっすけど、あの泥水のマングローブ林と違って水中の視界があるから泳いでもいいと思うっすよ」
「オーケー。なら一緒に行動しよう。蟹が食べたい。そしたら爪を針代わりにして魚を釣るのはどうだ?」
「んじゃ、パパっと捕まえるっすよ。大物捕まえたほうが勝ちっすよ!」
バキベキといつものストレッチをしてから水に浸かる。身震いするくらい冷たく思えたのは数秒だ。すぐに慣れた。
水中はやはり透き通っており、視界は鮮明だ。ぶくぶくと気泡を漏らしながら周囲を見渡すと思いのほか大きな魚もいる。サイズ的には鯛くらいか。虎柄だったり、黒い鎧みたいな鱗を持った奴がいた。どれも美味しそうで、運が向いてきたのかフグの怪物みたいな明確なモンスターは見当たらなかった。
(本当に地面が浸水しただけなんだな。明らかにマングローブ地帯と違う)
水底まで潜る。水流は穏やかで腐葉土の木の葉が時々舞い、水に浸かりきったシダ植物が靡く程度だ。至る所で魚、海老、蟹が根を食み、樹液を摘まんでいる。夢みたいな光景だった。
ノーチェは背中の両翼で器用に水を漕ぐと一瞬でロブスターみたいなサイズの大物を鷲掴んでいた。こちらを見てしたり顔で笑ってくる。負けてられなかった。
(一匹……四匹、六匹。大量だ。皆何かを食べてる。隙だらけだ)
掴んでは椰子の葉籠に放り込む。もしかしたらこの時期に合わせて樹木の種がばら撒かれてるのかもしれない。水面にも水底にも沢山木の実がある。あとで樹のほうも見てみるべきか。
拠点から離れすぎない程度に雨水の池を泳いだ。昨日までと違って霧だって一切ない。おかげで大量に獲物が密集してる場所を見つけられた。水蓮の桃色の花の下、気持ち悪いぐらい泥色の蟹が集まっていて、一網打尽にするチャンスだった。息を整えようと一度水底を蹴って上がる。
「ノーチェ! すごいぞ! ここに何匹も蟹がッ――ガぁッギ……!?」
不意に貫くみたいに頭痛がした。誰かが俺の頭のなかで叫んでる。見たくない。見たくない。……なにを?
「どうしたんすかヨースケ!?」
慌ててノーチェが飛び込んで俺を抱き抱える。水を蹴り漕いで浅瀬にまで戻った。蟹の群れから距離を取ると頭痛がゆっくりと収まっていく。
「フー……! フー……!! 蟹は……あそこの、……なにを! ッなにを食べてた?」
見たくない。なんで気づかなかったんだ。おかしい。あり得ない。釘づけにされた。明らかな異常から目が離せなかった。円形に広がる蓮の葉に引っかかっている半透明の物体。俺の物か? けど、けど拠点に置いてるはずだ。
「落ち着くっすよヨースケ! 水を飲んだなら吐くっす。呼吸はゆっくり!」
(思い出したくない。だって、だって――)
言葉が出なくて震える指でそれを差す。ノーチェの表情が引き攣った気がした。蒼い瞳が見開く。思考が真っ白になった。鳥のさえずり、虫のさざめき、水の滴り……全ての音がノイズみたいに掻きまわす。
浮かんでいたのはペットボトルだった。……確かめなきゃ。そう思って、俺はゆっくりと水を漕いだ。
「行っちゃ嫌っす! もう戻ろう!? 私でっかいの捕まえたっすよ! もう蟹なんていらないっす!」
何かを察したようにノーチェが俺の代わりに泣いていた。張り上がる声。このまま何も見なかったことにして戻るには手遅れだった。浮かんでいたペットボトルを手に取る。……同じ。同じだった。小さな傷。覚えている。俺の物だ。
(おかしい。なんで二つもある? これも偶然流れ着いたのか? あり得ない。偶然じゃ片付かない。見ないと。見れば全部……)
潜った。透明な水を掻いて、蟻みたいに集まって貪る蟹をナイフで払って、払って、薙いで。悍ましい自然に覆い隠されていた物が見えた。
水を吸いきって白く濁った死体。砕かれた頭蓋。右腕がない。顔も原型がなくて、水の中なのに異臭がする。吐きそうだった。
(俺の服……、ノーチェのナイフ。なんでこいつが。こいつは誰だ? 俺? なら俺は誰なんだ。頭痛がする。俺は、俺は――)
今までの直感は――こいつが俺だったときの。肺が圧迫されている。もう息は限界だった。死体が着ている衣服。底に沈んだ大振りのナイフ。
ぜんぶ見間違えようがなくて、そのどれかに指一本でも触れたら思い出す気がして。――俺は柄を強く握り締めた。




