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背を向けて

「火、つけるっすよ」


 ノーチェが雨で濡れた樹の枝で蜥蜴の頭を突くと一瞬で点火した。しなるほど水を吸っていたのも関係なしだ。慌てて俺は炭と空になった椰子の実を用意する。火はパチパチと弾けながらちゃんと移ってくれた。


 雨風に煽られないように手頃な石やら巨大な葉っぱを使って最低限のバリケードを築く。そのころには地面に置いた葉や貝殻。ペットボトル諸々、雨水が零れるぐらいに溜まっていた。


 ノーチェが作ってくれた椰子の葉を編んだものを枝で立てかけたけど服も体もびしょ濡れで寒い。洗ってしまおうかなんて冗談も言えないくらい肩がガクガク震えるし、耳を暖めようと両手で覆うと指先が凍えてくる。


「いつやむんだ。水が手に入ったのはいいけど……ああ、くそ。洞窟があれば」


 無いものねだりを思わず口にする。鳥肌が収まらなくて身体を縮めて必死に火の熱に当たる。雨が止む気配もさらさらなくて、熱帯雨林を覆い尽くす白い霧はより塗りたくったように。数メートル先すらも霞んで音だけが鳴り渡る。ざぁざぁと。


「背中を向けたほうが効率的に火の熱を……受けれるっすよ。あと服脱いだほうがいいっす」


「いや、けど……」


(確かに初めて会ったときはお互いそういう状態だったが、今この状況から脱ぎだすのはどうなんだ? いや、確かに最初だって体温が理由で脱いだ。それになんなら脱がせた。あのときはお互い知らなくて、けど今はどうなんだ? 火だってある。わざわざ無理してやることじゃないしそれに――)


 ぐちゃぐちゃと頭のなかが騒ぎ立てるなか、不意にノーチェが立ち上がった。気まずいような、微かに赤らんだ頬を隠すみたいに背を向ける。尾が機敏に揺れ動いていた。


(いや、俺は何ジロジロ見てるんだ? 前とは違う。前は彼女が気絶していたし、それに俺は目を瞑った状態で脱がせたし、そもそも知らない奴で正当性が、だからつまり――)


 真っ白になっていく。慌てて視線を背けるのも恥ずかしくて、どうすればいいかわからなくて釘づけになる。ノーチェは刹那、俺のことをちらりと一瞥したけれど、すぐに胸を縛るように結んでいた上着を解き始めた。


 ベルトを緩めてそのままショートパンツまで下ろしてしまって、ストンと、火に背を向けて座り込む。もう顔を合わせようともしない。うつむいたままピクピクと翼だけが震えて、尻尾が風に乗って揺れる。


 露わになる背中。バンダナで髪を纏めていたのか、数日より少し長い、雨に濡れた白い髪が肩をなぞる。肩甲骨の周囲から生える両翼の付け根。すらりとした体つき。黒い尾は――――。


 肩から段々と下に視線がズレてようやく思考にブレーキが掛かる。身体が強張った。呑み込もうとした唾でむせ返って、とにかく謝らないと。嫌われたくない。


「いや、ごめんなさい。好奇心がッ、じゃなくて……本当にごめんなさい」


 俺も慌てて背を向けた。視線を向けられない。ノーチェがどんな表情をしてても絶対に何も考えられなくなる。嫌われる。それは、それだけは嫌だ。


「……誤解するなって最初に言ったのはそっちっすよ。私はただ生き残りたいから最善の行動をしただけっす。ヨースケはここで風邪でもひきたいんすか?」


 どこかいつもより冷たい口調で詰問される。表情を見ることもできないから怒られているかもわからないが、お前も脱げと圧をかけられているのは理解できた。むしろノーチェは、俺に選択の余地をなくすために脱いだ気がしてならない。


(風邪を引いたら間違いなく死ぬか、生きてもまともに活動できなくなる。死にたくないし、ノーチェにそういう行動を選んだと思われたくもない)


「見られたらお互い気まずくなるから見ないでくれ」


「こっちの台詞っすよスケベ」


(それは本当に申し訳ないと思っているんだ。……ああ、もう何言っても見苦しいだけだな)


 観念してびしょ濡れになった衣服を脱ぐ。その瞬間だけは肌寒く感じたけど、肌身から離れると重く冷たいのがよくわかる。着たままだったら確実に体温を奪われるだろう。


(仕方ない。これは避けられない事態だ。俺達は火のおかげでどうにかなったけど火に執着しすぎて住処のことをまるで考慮できてなかった)


 思考だけは冷静に言い訳を垂れて今の状況を正当化しようとする。ノーチェを意識の外に追いやろうとする。背中に火の熱が当たると確かに暖かった。雨水が足先に打ち付けて凍えるような気分だけど。


「この雨じゃしばらくまともに活動できないかもっすね。サラマンダー食べちゃダメっすよ?」


「……食べないって。それよりノーチェは? 蜥蜴の管理でまた魔力欠乏の症状出てたろ」


 振り返って様子を見ようとは思わえなかった。火を挟んでお互い背中を向けたまま。俺は雨の降り注ぐ森林を眺める。警戒の意味もあった。けど頭に響いた痛いくらいの直観も来ないし、気配の類も感じれる限りではない。


「私は平気っすよ。魔族は人間より頑丈なんすよ?」


「ノーチェ。俺は風邪引きたくないからちゃんとこうしたぞ」


 ――沈黙。静寂が満たすと雨と滝みたいに流れ落ちる水の音しか聞こえなくて途方もない感覚に呑み込まれそうになる。


 けど少しすると、うぐぅ……と弱々しいうめき声がして、彼女も観念したのかやがて口を開いた。


「確かに正直酷いっす。一応食物から摂取してるっすけど……この島に来た時点ですっからかん。まぁ魔力をどうにかする方法はなくはないっすけど、そっちは本当に最終手段で。つまりは。えっと、私としてはもう少し見極めて――後腐れがあると嫌だし……」


 声はだんだんと小さくなってまた沈黙が戻る。背中に視線を感じるけれど、俺に振り返る勇気も開き直りもない。気まずいことに島に来て今この瞬間が一番彼女を意識してしまっている。……自分が嫌になる。最低だ。


 意識しないようにただジッと耐えるように雨を眺め続けた。豪雨と島全体を覆う灰の雲。切れ間から時折蒼い雷光が迸っている。


「そ、そういえば! 蒼い雷はモンスターが生み出すこともあるんすよ」


 ノーチェが気まずさに堪えかねて裏返った声でそんなことを言った。確か雷撃鰻だったか。マングローブにいるかもしれないって聞いた気がする。


「会いたくないな。モンスターはもう懲り懲りだ。あのフグですら死ぬかと思ったんだ」


「冒険者を名乗る人間は群れを成してああいう生き物を狩るんすよ。特にヨースケの世界から来た奴は怪物より化け物じみた力を皆持ってるっすからね。有名っすよ。だから正直、黒い髪の男がいたときは少し怖かったっす」


 ――――俺の世界。思い出すとあんまり思い入れがなくてもホームシックになりそうだった。暖房のある部屋。……壁と天井があって、飯は毎日ある。ここより全然いい環境だ。当たり前過ぎて感覚が麻痺していただけで。


「……そいつらは元の世界に帰ったりしないのか?」


「帰る方法は世界に点々とある……らしいっす。噂の域っすけど。けど皆、元の世界より恵まれるから悩んだりしても大体残るみたいっすよ。ヨースケは、やっぱり帰れたら帰りたいっすか?」


「……どうだろ。考えてもあまりイメージが湧かないな」


(確かにこんな環境から逃げられるなら逃げたい。死にたくない。ああ、でも俺だけが帰るのだろうか。ノーチェも一緒に……でもどうやって彼女が生きれる? 翼と尻尾を隠す? 無理だ。そもそも俺だけしか戻れなかったら、彼女はここで一人になる)


 ――――また一人ぼっちは嫌!!


 モンスターと対峙したときに彼女が発した叫びが、ふと頭のなかで蘇る。嗚呼、無理だ。帰還する方法があったとしても。正直に言って戻ろうとは思えないな。


「ッ……!?」


「どうかしたっすか?」


 不意に頭が軋んだ。突き刺すみたいな痛みが走って思わず息が漏れる。一瞬だけだった。視界がモノクロになって、得体の知れない何かが見えそうになる。――棘のついた緑肢。枯れ葉を踏みしめる音。雨の雫。


(朝からだ。あの嫌な夢を見てから変な感じがする)


「足に気持ち悪い虫が止まってビビっただけだから大丈夫。元の世界云々については……まぁあれだな。恥ずかしいけどここに帰れるなら道具だけ取りに行きたいぐらい。そしたら非常食とかバケツとか沢山持ってくる」


 咄嗟に適当な嘘をついて、俺は思ったことをそのまま口にした。曖昧なままにしておくのは嫌だった。


「なんすかそれ。変な奴っすね」


 ノーチェが呆れるように笑ってくれた。嬉しいような照れるような、気を紛らわすためにまた遠くを眺める。分厚く落ちぼった雲の所為でわからないけど、もう暮れ時だった。気温は見る見る低くなるくせに、雨はまだ降り続けている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に描写力が凄いなと思いました。テトラオディ・フォーパルと接敵した時の緊迫感のあるシーンやこういった何気ないシーンの光景が脳にヌルッと浮かぶので物語に没入できて読んでてとても楽しいです。…
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