悪夢
二章:暗雲が見せた牙
雨が降っていた。濃厚な熱帯雨林の奥深く。複雑に絡み合う木の根が歩みを遅める。不快なくらい岩を覆う苔が足を滑らせる。音を立ててはいけない。この周囲は奴の縄張りだ。
気配を殺して、けど急いで俺は歩き続ける。切り立った崖の下。一面を覆う蔦を切り払いながら、食獣植物の葉を切り裂きながら探して、探して、探し続けて、霧雨に打たれながら、泥だらけになりながら、ようやく彼女を見つけた。
彼女は大木に寄り掛かっていた。穏やかな笑みを浮かべて目を瞑っていた。華奢な腹部を真っ赤に濡れた手で押さえていて――――。
「ノーチェ!!」
俺は自分の叫び声で目を覚ました。ヒューヒューと胸が締め付けられるくらい呼吸が苦しい。額にじんわりと浮かぶ冷や汗。心臓がバクバクと鳴り続けていて、目が見開くのを抑えられない。
咄嗟に起き上がって周囲を確かめる。もはや見慣れてきた砂浜。夕ぐれの海は橙と紫の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたみたいな色合いをしていて、日が沈んでいない割には嫌に涼しい風が椰子の葉を靡かせる。
「ど、どうしたんすか……? 突然私の名前叫んで。それに表情……こ、怖いっすよ」
「いや、なんでもない」
(寝てたのか俺は。にしても……嫌な夢だ。絶対ノーチェには言えない。それで彼女の名前を大声で呼びあげて起きたなんて恥ずかしすぎる)
「ご飯食べて椰子の葉を編む作業してたら寝ちゃってたっすよ? 疲れてたかと思ってみてたっすけど、起こしたほうがよかったっすかね。その様子なら」
言われてみると昼食の前よりも椰子の葉と樹皮の紐を使って出来た編み物の数が増えていた。ちょっとした籠や腰巻なんかも作ってある。器用だ。
「ごめん。作業中に寝てたのか」
「それだけ疲れてたってことっすよ。気にしちゃダメっす。けど歌で寝かせたときはすっごい熟睡なのに一人で寝たらこれって……やっぱり私がいないとダメっすね。うへ、うへへ」
(笑顔が怖い)
蟹を捕まえるときはあんなにはしゃいでいたが、まだ魔力欠乏も治りきってないのかノーチェは力のない引き攣った笑い声をあげて口角を釣り上げる。斜陽に照らされた艶肌をココナッツカラーの髪が撫でていた。
「ほら、寝てた分働け働けっす。椰子の実とビネガローチ以外の食べれる奴採ってくるっすよ」
とすとすと背中を叩かれて慌てて立ち上がる。椰子の実を落とすのも慣れたものだ。これからは貝を引っぺがす作業と蟹の捕獲速度も上がる気がする。
「何匹ぐらい食べる」
「うーん、沢山っすかね。それに……しばらくは蟹が採れないかもしれないっすね。明日までにこの場所で寝るのやめたほうがいいかもしれないっす」
ノーチェはぺろりと自分の指を舐めて空に突き向ける。釣られて空を見上げるけれど、島の真上はうっすらと雲が棚引く夕暮れだった。青空が太陽の光に染められて暗くなりつつある。足元の影が、バチバチと燃え続ける焚き木の火によって一層濃くなっている。海の向こうは既に藍色で、落ちぼった雲が漂っていた。




