手に取ったもの
(昨日弓ぎり式が失敗したのは耐久性が原因だ)
より柔軟で堅い木を探すのに小一時間。採取した樹皮のなかでもそれなりに強度があるだろうもので弓を使って火おこしを試みる。火切り板に砂粒を落として摩擦を高め、弓を上下する。無心に、ただ我慢強く。
「…………」
(今度こそ上手くいくはずだ。そしたら貝を焼こう。マングローブの根に腕みたいにでかい牡蠣が沢山張り付いてたんだ。あいつらは逃げない)
火が着いたあとのことを想いながら回転。回転。逆回転。回転……繰り返す。摩擦する。汗が落ちないように注意しながら遠くを眺める。太陽で煌めくエメラルドの海。
「ヨースケ……。私、そろそろ体調戻って来たしやるっすよ」
「ダメだ」
(彼女に無理はさせられない。魔力欠乏がつらいことは俺も理解している。火が出ない所為もあったが、あれは立てるものじゃない。精神から死にたくなる)
淡々と摩擦を続けた。苛立ちを、焦燥を力に変える。海風が吹いていて涼しいはずなのだが熱帯空気のせいでつらい。胃がムカムカして、腕が筋肉痛で痛む。疲労もあるがそれ以上に、身体中からエネルギーが搾り取られるような錯覚。
摩擦点が着実と黒く焦げて始めた。回転。回転。火が着けば余裕ができるはずだ。火が着けば、着けば――――。
ブチッ!
嫌な音がした。弦が先に限界を迎えて千切れた。支えがなくなって、かつんと小さな物音とともに棒が倒れる。心を虚無が満たした。
「スー……! はー…………」
ベキベキに弓をへし折ってしまいたい憤りを必死に抑える。呼吸を、大きく、十五秒。八つ当たりしたって無駄に体力を消耗するだけだ。
「…………糞!」
我慢できなくて弓をぶん投げる。白い砂に突き刺さった。……弓ぎり式では着けられない。耐えられる紐がない。ならどうすれば火はつけられる?
(……ダメだ。頭が回らない)
一度立ち上がった。喧しいぐらいの蝉のざわめき。鳥の囀り。むわりとした熱気。思わず眩んだ。時間の感覚が遅くなって、ぐらぐらと嗅覚と舌に吐き気が昇る。酸っぱい。
「ヨースケも限界なんすよ。一度休むべきっす。ほら! ほら、私はもうゆらゆらしないッ、っすよ?」
ノーチェが空元気を振り絞って、必死になって笑みをぴょんぴょんと跳ねる。艶やかにアピール。パタパタと翼が仰いでいた。けどすぐにぜぇはぁと息が上がってしまうと、気まずそうに頭を掻いて体育座りをした。
「私だって無理してほしくないっすよ……!」
「寝てろって」
近くに置いていた椰子の実にガツガツと穴を開けて渡す。ノーチェは乱暴に受け取るとヤケになって飲み干した。俺も自分の分を一気飲む。胃を液体が満たす。少しばかり気力が戻った気がするけど、根本的な力が湧かない。
「言い方があるじゃないっすかぁ……! こう、もっと優しくできないんすかぁ」
「ごめん。してるつもりだ」
言い返すと呆れるような、不満そうな瞳で見上げてきて、けどフッと鼻で笑うとノーチェはヤシの木に寄り掛かった。
「ヨースケだって、どう見ても慣れないことして体壊してんすから。マジで無理しちゃダメっすよ」
「わかってる。ちょっと探して無理そうだったらすぐ戻る」
(何もしなくたって疲弊する。樹皮より頑丈で、紐になる物がいる)
そうすれば今度こそ火をつけられるはずだ。熱帯雨林なんだから探せば蔦の一本や二本。……なくたって砂浜に漂着物があるかもしれない。
俺はもう一度立ち上がって、砂浜と周辺を見て回った。燦々と日光が照らす砂を踏みしめる。裸足の所為で熱い。一歩二歩と踏みしめるたびに小さな指先置ける程度の小さなヤドカリが殻にこもり、米粒みたいな砂団子を大量に作ってた手乗りサイズの蟹達が一斉に駆けだして、巣穴に逃げ込んでいく。
「火がついたらこいつら全員食ってやる……くそ。くそ……」
気を保とうと独り言が多くなる。無様だ。額から流れ堕ちる汗を手で拭うと砂がつく。拭っても拭っても。昨日迂回したマングローブ林とは反対側の砂浜を歩き進んだが、こちらも一時間ほど歩くと岩場になっていた。聳え立つ岸壁。
落ちていたものといえば名前のわからない植物の種や廃材。昨日も見かけたソーセージの成り損ないみたいな珍生物とか。投げ捨てた。ようはろくでもないものだけ。
(さすがに都合よく流れちゃいないか。あとは……)
鬱蒼と視界を塞ぐ森を見る。絵具で描いたみたいな濃い緑と極彩色。意識すると途端に虫と鳥の鳴き声が広く重なって聞こえた。蔦だの樹皮だの、とにかく紐の代わりの植物を探すなら行くしかない。
(入るしかないか……)
そう思った矢先、また視界がくらむ。今度はさっきよりも酷かった。じりじりと焼き付ける直射日光。砂、海から反射する光。暗闇のなかから晴天に晒されたみたいに目が痛む。頭がキリキリする。
「は……やばっ」
日射病? 火おこしのときより激しい運動だってしちゃいない。わからない。ただとにかく、手足に力が入らなくてガクガクと震える。膝をついた。態勢を戻そうとして、逆にバランスを崩した砂浜に崩れ落ちる。似た症状は昨日にもあった。けど今のほうが酷い。毒? いや、違う気がする。
(まずい……。まずい。まずい! ノーチェから離れ過ぎた。とにか、く立たないと)
……立てない。砂の熱気が直に肌を焼く。思っていた以上に俺の身体は深刻な状態だったらしい。腹痛とかはない。ただ力が入らない。指先が痙攣して止まらない。
「ノーチェ! ……ノーチェ!」
必死になった叫ぶ。来るはずがない。分かってる。張り上げた声は波に消えた。無理をするなって言われてたのに、彼女の不安の通りになった。頭がぼんやりとする。眠い。眠い。脱力感がする。
(ここで寝たら確実に死ぬ)
せめて日陰に、森のほうへ。まだ手足が動くうちに這い蹲ってでも進んだ。ずるずると身体を引きずって、珊瑚や貝殻が肌を切るのを堪えて、砂を蹴って、掻いて進んだ。椰子の巨大な枯れ葉をどかして木陰に向かおうとして、視界が一点を捉える。
「……っ」
数匹の黒い塊だった。カブトムシ程度の大きさで、小さな尾のようなものを立ててこちらを威嚇していた。枯れた椰子の葉に隠れていたらしくて、砂のうえをのそのそと移動していく。動きは遅いけど、見た目は……何かに似ている。思考が回らない。
手足の痺れに同調するみたいに頭は呆けていて、ああ、けど無意識のうちに手が伸びていた。がしりと、数匹のそれを纏めて手で捕まえる。
(俺はなにを……)
手の中で蠢く肢。くすぐったい。気持ち悪い。けど頭が手頃な生き物を目の前にして脳みそが。食べろって。急に胃が締め付けられる。乾いていた口のなかに唾液が込み上げる。
ぎゅっと握りしめた。甲殻は柔らかくて、手の中でどろりと色んなものが出てくる感触がした。酢みたいな臭いが広がる。鼻を突いて来るけど、目が見開くばかりで、むしろそのぐらいの毒しかないと思うと残っていた躊躇が消えた。
目を閉じて手の中のものを――――ジャクジャクと。ヌチャリと。




