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火起こし――魔術式

 3




 再び朝日が昇っていた。目覚まし時計ではなく陽の光で目を覚ます。元の世界にいたときより、睡眠バランスは健康的かもしれない。これで二泊三日。小さな旅行なら宿でチェックアウトして家に帰る頃合いだが、俺は元の世界には帰れていない。


 海風が吹きつけると椰子の葉が靡き、ザワザワと擦れる音を発していた。ノーチェは小さな寝息を立ててまだ眠っている。エメラルドグリーンの海は波打つたびに光を煌めかせていた。見栄えだけは素晴らしい朝だ。


 けど寝心地はやっぱり良くないし、体は汗臭いし、歯磨きだってしたい。海に入るか? 汗は流せそうだけどそれはそれでベタつきそうだ。


(とりあえず……歯だけでもどうにかするか)


 その辺に生えていた葉っぱを茎ごと切って縦に裂く。それで爪楊枝みたいな要領で歯を擦った。そのあと葉っぱを噛み締めて舌で転がして地面に吐き捨てる。少しさっぱりした。さっぱりしてから毒草の可能性が頭に過ったけど舌が痺れたりとかもない。平気そうだ。


「おっ、歯磨きっすか? 確かにそれならちょっとはマシになるっすかね」


 いつのまにかノーチェも起きたらしい。疲れを見せない快活な声を俺にかけた。けどまだ眠いのか、大きなあくびをする。凝視していたつもりはないが人間にはない尖った八重歯がよく見えた。


「ノーチェ、できれば体を洗いたいんだがいい方法はないか? 船ではどうしていた?」


(さすがに海に飛び込んだりはしないはずだが)


 こんなことできれば女の子に聞きたくなかったけど、俺一人では打開策が浮かばなかったので仕方ない。ココヤシの果水を被るとかも考えたけど、そっちのほうがベタベタするし虫も寄ってくるかもしれない。


「確かに……ちょっと臭うっすね」


 ノーチェはすんすんと自身の服の臭いを嗅ぐとしかめっ面を浮かべた。それから遅れて表情を濁す。誰だって体臭のことを聞かれたくはないだろう。


「うーん……。あっ! 船でも真水は貴重だからやってた方法があるっす。今ならできるっすね。ナイフ借りてもいいっすか?」


 ナイフを手渡すと、ノーチェは寝床に敷いていた帆の一部をびりびりとナイフで斬っていく。彼女の物のはずなのだが律儀に返してくれると、とてとてと海辺まで歩いて布切れになった帆を海水に漬けて戻ってくる。


「これで体を拭けばいいんすよ。まぁ……これ以上引き裂いたら寝る場所に不便するっすから、二人で1枚この布切れを使うかたちになるっすけど……」


「ええと、……どっち先に拭く?」


 嫌だなこんな話。したくなかった。あまりにも生々しい。というか惨めになってくる。ラッキースケベだとかそういうやましい気持ちが一ミリも湧きそうにない。俺は……無力だ。


「嫌なことは早く終わらせたいっす。私先でいいっすか? 拭いたら海水また漬けるっすけど……! 嗅ぐなっすよ!?」


「嗅がねえよ」


(俺は断じて臭いフェチじゃない)


「椰子の実取ってくるから終わったら言ってくれ。服の内側も蒸れてたりするだろ」


「その気遣いができてそうで全くできてない発言はどうにかならないんすかねぇ……!」


 ぐちぐちと言われながら昨日と同様に椰子の実を取る。近場のサボテンの果実などは大体取ってしまったが椰子だけは大量にある。戻ったころにはノーチェは体を拭き終わっていて、布切れを手渡された。服の中、首、腰回りを拭っていくと清々しい気分になれる。数輪の花とまずい根を食べて、今日も力の入らない体を働かせる一日が始まる。


 まずは漂着物採取ビーチコーミングを二手に別れておこなった。一日、二日だけでも麻袋や帆の布など意外と使えるものが流れ着いてくれているので期待して周囲を探る。


 海辺を歩くこと自体はまだ慣れ切ってないおかげか楽しく思える。少なくともマングローブに沿って草木を掻き分けての移動よりは遥かに楽だ。けど俺が拾えたのは手のひらサイズのぶよぶよした卑猥なソーセージみたいな珍生物が一匹と木で出来た厚底の右足用の靴だけ。裸足よりはマシか?


「ヨースケ! めっちゃ大当たりなものあったっすよ! そっちはなんかあったっすか!?」


「……謎生物と片足の靴だ」


「キモッ! なんすかそのモンスター。早く捨てるっすよ」


 ペチンと俺のペットになってくれたかもしれない生き物が手で叩き落とされて海に吹っ飛ぶ。小さな水音を立てて、もう戻ってくることはなかった。


「あっ、俺の非常食候補が」


(ゲテモノほど旨いなんて言葉がある。火がないと食べる気はしないが)


「非常食!? あんなの食べるのお姉さん許さないっすからね!? 貝のほうがまだ可愛げあるっすよ。そんなことより見るっすよこれ」


 ノーチェはしたり顔で綺麗な水晶のようなものを見せてくる。拳ほどの大きさをしたそれは、太陽の光を反射すると同時に自身でも淡く発光していた。


「宝石?」


「宝石なんて無人島で拾ってもむなしくなるだけっすよ。これはっすねぇ。魔石っす。聖印がないから非合法っぽそうすけど、これを使えばヨースケがどんな魔法を使えるかわかるっすよ」


 魔法。いくら無人島でサバイバルな状況でも俺の心は確かに揺れ動かされていた。火やら水やら、積み重なった問題ももしかしたら解決するかもしれない。それに単純に未知な力を行使してみたい。


「……どうやったら使えるんだ?」


「ふっふっふぅ。その少年みたいな期待に満ちた目。嫌いじゃないっすよ」


 ノーチェは俺の顔を見て嘲るように笑いながら、手に持っていた魔石とやらを渡してきた。


「私のほう向けるなっすよ? やり方は単純っす。それ持って指先に力を込めて魔法っぽい言葉叫ぶっすよ。理屈は分からないっすけどそれでトリガーになる筋肉的なものが動くらしいっす。まぁ火の魔法を使いたいなら火に関する言葉を叫ぶと出やすいとかあるっすけど、才能がなければ出ないから、それを見る道具っすね」


 ノーチェがよそよそと距離を取り始める。まぁ確かに雷やら炎やらが出たら危ないな。俺は手を突き伸ばして魔石を海に向けた。……何が出るだろうか。水? 火? 氷とかでもいいな。せめて無人島に役立つ魔法が欲しいし、どうせならビジュアルがいいものがいい。


「…………っ」


(……出ないってことはないよな。いや、考えても仕方ないか)


 深く呼吸を整える。ゆっくりと指先の一点を見つめた。……魔法っぽい言葉を叫ぶ? これで反応しなかったら恥ずかしくないか? いや、大丈夫だ。自分を信じろ――――。


「ファイア!」


 叫んだ瞬間、水晶は淡い輝きを強く灯し、心臓から指先へと強い力のようなものが流れ出る。宙に五芒星が展開され、さらさらと……赤褐色の土が砂浜に零れ落ちた。


 嫌な沈黙が朝の海辺に広がる。さっきまで遠ざかってたはずのノーチェが警戒を解いて近づいていて、俺を慰めるようにぽんと肩をたたいた。


「つ、土属性っすね! 大規模な戦争とかだと特に活躍するっすよ! 土壁を出したり、大人数が軋めくところなら岩石をぶつけるだけでも全然有効っす。……冒険者のなかではあまり当たりじゃないっすけど。無人島での使い道は……、使い道……あるっすかねぇ?」


「ファイア! ……ファイア!」


 土。土。


「ファイアァアアアア! フレイム! フレア! アイススピアー! ブリザド!」


 ちょっと多めの土。砂。多め砂利。ちょっと冷えた土。少し冷えた石粒。……是が非でも俺を土属性にしたいらしい。


「その辺にしとかないと魔力使うから疲労感が――」


 憐れむような眼差し。いや、多分俺がメガティブな目線になってるだけだな。もういい。土属性なのはわかった。認めてやる。だからこれが最後の一回だ。


「【岩槍アースバレット】!!」


 次の刹那、巨大な岩の柱が宙に形成され、それは俺の想像通りに、加速的に海へと突き立った。巨大な水柱が上がる。飛沫が虹を作り出す。ぽけーっと口を開けて呆然とするノーチェに、俺はドヤ顔で言ってやった。


「ふはっ、本気を出せばこれぐらいな」


「……その魔石は能力を識別するためのもので魔法の補助道具じゃないっす。初めてちゃんとしたもん唱えたら素人なら気絶するっすよ?」


 不穏な発言。フラグ回収は早かった。急に眩暈がして、指先が痺れ始める。体とは別の疲労もあった。食料だとか水の問題がどうでもよく思えてくるような虚無感。ピシリと魔石に亀裂が入ってそれは砕け散ってしまった。一緒に俺は砂浜に倒れる。


「……っ」


(足が波に使ってるけど動く気になれない)


「魔力不足っすね。時間経てば治るっすけど、食べ物とか水とかに含まれてるの地道に蓄積しないと魔法は使えないっすよ」


「あー……」


 何か言いたいことがあったのだけれど、発言すら億劫で言葉が途切れる。海に濡れた砂が頬にべっとりとくっついてくるのが不快でも、立つことすらできなくて、俺はノーチェに肩を抱えられて介護されながら岸部にまで戻っていった。まともに動けるようになったのは午後になってからだった。


「ヨースケ、ほら、椰子の実取ってきたっすよ」


「そろそろ大丈夫だ。迷惑かけてごめん」


 ……手足の痺れ。肉体というより精神の疲労。肉体が重いような感覚は抜け切らないけど立ち上がれるくらいにはなった。もう少し回復してからでも良かった気もするけれど、きっと今の状態は魔力以外にも原因がある。それに日陰で休んでる間、ノーチェは一人で俺のために椰子の実を取ろうとしたり食べられそうな物を探したりと、流石に申し訳なく感じてきたところだった。


「無理はしないほうがいいっすよ。魔力疲労は本当に辛いっすから」


「なったことあるのか?」


 立ち上がって、服に付いた砂を振り落としながら尋ねると感慨深いように頷いて、ノーチェは自嘲しながら語り始める。


「あれは忘れもしないっす。確か……春か夏か秋のことで」


(あんまりきちんとは覚えてないじゃないか)


「まぁ結局のところ魔力補給をろくにしないで魔法使いまくってぶっ倒れただけっすからね。でも魔族は文字通り、魔力が重要な種族っすから、その分人間よりも熱とか幻覚とか、枯渇したときは酷いっす」


「流石にそこまで症状は酷くなかったな」


 手足を伸ばしてストレッチ。背筋、腹筋に力を込めて、一気に脱力。これは三回ぐらいやると心なしか怠さは消えた気がする。


「……よし。今日こそ火をつけるぞ」


 休んでいる間にいいアイディアが浮かんだ。手で棒を回すこと自体が馬鹿だったんだ。小学生のころに火起こしを一度したのを思い出した。弓ぎり式だったか。ちゃんとした構造は覚えてないけど紐を使って効率的に回転させる方法だ。


「おー! 聞いた限りヨースケの世界のほうが科学に傾倒してるからそういうことは任せたっすよ。必要なものがあったら教えて欲しいっす」


「弓に使える柔軟な木が欲しい。頼めるか?」


「あいあいさーっ!」


 ノーチェは純白の髪を乱しながら楽しそうに笑みを浮かべる。悪魔の尾がゆらりと揺れ動いていた。

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