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9 ちびボットvsヴィート

 ボットに出会ってからというもの、私の一番大切な時間は食事の時間になった。

 ボットがお皿からすくった料理をスプーンで口に運ぶ。

 わくわくしたような期待に満ちた笑みを浮かべて、赤い小さな唇をモグモグさせる。

 そして、ボットはいつも目をキラキラと輝かせながら、咲き誇る花のような笑みを顔いっぱいに浮かべて、おいしいねって言ってくれる。

 その瞬間が幸せで、幸せで、私は大きな鍋を掻き回すこの時間が大好きになった。

 ボットにおいしいって言ってもらえるから、ボットがいっぱいの笑顔を私にくれるから、料理を作ってるこの時間が、食事の次に幸せな時間になった。


 昨日のうちにワインや香辛料で漬け込んでおいた豚肉を、朝からグツグツと弱火で煮込んで、もう少しで三時間になる。

 ふと気がつくとニヤニヤと顔がふやけてしまっている自分がいる。

 ダメだ、ダメだ。今日はちょっと出かけてるけど、ボットがいたら頬っぺたをちょんちょんとつつかれているところだ。

 いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、それはそれは楽しそうに、ボットは私の頬っぺたをつつくのだ。


 入学してしばらくは毎日のように食事を作っていたのだけど、ここ最近は休日に一週間分の食事を作るようになった。

 体力というか、魔力がもたないからだ。入学直後は講義が中心だった授業が、次第に魔力を必要とする内容に変わってきたせいだ。

 魔石を使うことが多い九組の授業とはいえ、魔石の粉を魔法陣に塗り込めるのは自分自身の魔力だ。

 授業の度に干上がりそうになる魔力。

 放課後に残っている魔力ではコンロの火力を保つのにも一苦労で、やむをえず休日に一週間分の食事を作るようになった。


 休みの日に大きな鍋でたくさん作っておいて、減った分は野菜や穀物を足して食べる前にまた煮込む。

 そうすれば、次の休みまで鍋が空っぽになることもない。

 魔力がもっとたくさんあれば、もっと違う料理をボットに作ってあげられるのにな、と思わなくもないけれど、なにせ新入生きっての低魔力持ちだ。あきらめるしかない。

 それに、ボットお手製の高性能コンロがなければ、弱火とはいえ三時間近くも鍋を煮込むだけの魔力すら持ち合わせていないのだ。

 料理が作れるだけでもありがたい。ボットのおかげだ。

 そう思いながら鍋を掻き混ぜていた私の背後から、突然ソフィーの大きな声が響き渡った。


「えっ!? あなた、朝からずっとそれ煮込んでたわよね!? おかしいわよね、それって!? それ何!? コンロと鍋の間に何かあるわよね!? ちょっと、それ見せて!」


 びっくりして振り返った私に、いつの間にか台所に入ってきていたソフィーが、つかつかと大股で迫る。

 次の瞬間、私のすぐ傍でふわふわ浮いていたちびボットが、ソフィーとの間に大きな魔法陣を浮かべた。

 ソフィーがそれ以上近寄るのを押し留めるかのように、地面に垂直に描かれた大きな魔法陣がゆっくりと回転する。

 その魔法陣を見て、ソフィーは見開いた目をさらに驚愕の色に染めた。そして、大きく舌打ちした。


「ちっ! 今頃気が付くなんてバカにもほどがあるわ! そうだった。最初に見た時からこのロボットは……小さかったから気が付かなかったなんて言い訳だわ。何度も、何度もこいつは訳のわからない魔法陣を。これこそが――」


 そう言いながら、ソフィーは魔法陣に手を伸ばした。

 だが、その手が触れた瞬間、眩い光とともに魔法陣が発動した。

 あっ! と思ったその時、ソフィーの首に巻きついていたヴィートが吹雪を起こし、魔法陣の力を抑え込もうとした。

 一瞬だけ拮抗したように見えた相反するふたつの力だったが、次の瞬間、ソフィーの体は魔法陣の光に弾き飛ばされ、宙を舞った。

 瞬く間もなく、ヴィートの吹雪が渦を巻く。

 壁に叩きつけられそうになったソフィーの体をクッションのように守り、宙にとどめる。

 フラフラしながらも床を踏んで体勢を立て直したソフィー。

 そのソフィーを守るように浮かび上がったヴィートが、真っ白な毛を逆立て、ちびボットを威嚇するようにシャーッと牙をむいた。

 宙に浮いたヴィートは氷の塊のようなものを身のまわりに何個も浮かべ、クルクルと回しながら戦闘態勢に入る。

 対するちびボットも新たに浮かべた魔法陣を高速で回し、淡い光の壁を作り出した。


「ちびボット! やめて! ソフィーは私の友達よ! 魔法陣をしまって!」


 私の叫び声が部屋に響くのと同時に、ソフィーも大声を出した。


「ヴィート! 大丈夫よ! 今のは私が魔法陣に触ったせいだから! 戻って!」


 その声に、ヴィートがクルクルと回していた氷の塊をとめ、ゆっくりと後方へ下がる。

 そして、ちびボットが魔法陣の回転をとめたのを見て、氷の塊を消し去った。

 それを見てかどうか、ちびボットが魔法陣を消した。

 一拍おいて、ヴィートが目を細め、くるっとソフィーの首に巻き付いた。

 ホッと胸をなでおろした私は、手を伸ばしてちびボットを掴んだ。

 ちびボットの頭をぺこりと下げて、私も頭を下げる。

 ごめんなさ――と言いかけた私を遮って、ごめんなさいとソフィーが頭を下げた。


「本当にごめんなさい、ティーナ。その、びっくりしちゃって思わず、ね……でもね、ティーナ」


 ソフィーは私の後ろにある大きな鍋を指差した。漆黒の目を鋭く細めながら。


「弱火とはいえ、朝から今の今までずっと鍋を煮込むなんてことが、果たして可能かしら? あなたの魔力で」


 その言葉で、鍋を火にかけたままだったことを思い出した私は、慌てて振り返り、お玉を手にとってグルグルと鍋を掻き回した。

 よかった、焦げてない。もう充分だろう。ふーっと息を吐き出しながら、コンロの火をとめた。出来上がりだ。

 背中に刺さる視線を何とか無視したまま、どうしようかなと思いながらも、振り返るのが恐くて、また鍋を掻き混ぜた。


「ティーナ、今、火をとめたわよね。そのコンロと鍋の間にある、四角い箱のようなものから火が出てたわよね。それは何なの? それを使えば、あなたの魔力でもずっと火が使えるの? ねえ、教えてくれないの?」


 冷静さを取り戻したソフィーの声が、背中をチクチクと刺す。

 ソフィーは気が付いてる。キッチンに最初からついていたコンロの上に、ボットお手製の高性能コンロが載っていることに。

 ソフィーはいつも図書館で勉強しているから、私がずっと鍋を煮込んでいるところを見るのは初めてなのだろう。

 だから、今まで気が付かなかった? ううん、ソフィーだから気がついたのかもしれない。

 魔力をほとんど使わない九組の授業ですら、放課後には魔力切れでクタクタになっている私に、こんなに長い間、鍋を煮込めるわけがないって。

 どう答えればいい? ちびボットに手伝ってもらってたことにしようか? うーん、そうしようかな。


「それと、そのロボットの魔法陣ね。何が描いてあるのかさっぱり読めないのよ。たしかに、精霊の魔法陣は人にははっきりと読めないと言われてるけどね。まったく読めないっておかしいわよね。それについてはどう思う、ティーナ? あなたの考えを聞かせてくれないかしら?」


 背中に感じる視線が冷たすぎる。冷え冷えしてきた。

 まさか、ヴィートが冷気を蒔き散らかしてるのではと思い、体を半分だけソフィーに向けて、視界の隅でヴィートを確認した。

 いや、違った。ヴィートは何もしていない。ただ、ソフィーの目が冷たいだけだった。

 そういえば、ソフィーは私のお目付け役だった。

 女王陛下に報告しないといけないんだろうか。

 それで、こんなに目つきが鋭くなってるんだろうかと、ふと思った。その時だった。


「見合った対価を差し出すのであれば教えてやろう、ソフィー・エレオノーラ」


 ちびボットがしゃべった。いや、ボットだ。

 ボットがちびボットのいる場所に立っていた。右目にボット、左目にちびボットと重なって見える。

 王宮に出向いたとき以外で、ボットが人に話しかけたのは初めてだ。ちびボットもそうだ。

 ソフィーの顔が盛大に引き攣っている。

 ちびボットがしゃべったから? いや、ちびボットがしゃべるのは知っているはず。私のお目付け役なんだから。

 ああ、対価とか言われたからかな。どうする気だろう、ボット。

 でも、ボットが来てくれたから安心だ。あとは、ボットに任せよう。うんうん、よかった。


「しゃべ、れる、の? そうか、そういえば辺境公爵の言葉を伝えたって…… じゃあ、その、あんたってちびボットなの? それとも……? 対価って魔石のこと?」


 ちびボットがちいさな腕でソフィーの斜め後ろの辺りを指し示しす。

 弾かれたようにソフィーが首を回した。

 遅れて追いついた視線が、そこに浮かんでいる辺境公ロボットを見つけた。


 ソフィーの動きはびっくりするほど素早かった。

 すぐさまヴィートを手で押さえ込み、腰を落として片膝をつくと同時に腕を前に回して頭を下げた。

 ただ、それは騎士の礼であって、公爵令嬢の礼ではなかった。

 ボットが辺境公ロボットを出現させたことよりも、そのことに驚いた私もどうかしているのかもしれない。


「対価は貴様の命だ。それでもよければ教えてやるぞ、ソフィー・エレオノーラ」


 ちびボットの甲高い声が部屋にこだまする。私は思わず前掛けをギュッと握り締めて、ボットに向かって一歩踏み出した。


「ボット! 魔術なんかより命のほうが大切だよ! 何のための魔術なの! 命を守るための魔術でしょう!」


 ふいにボットの姿が涙で滲んで、グニャリと歪んだ。歪んだボットが大きな瞳をパチパチと瞬く。


『えーっと、ごめんね、ホルン。そういう意味じゃないんだ。違うんだよ、ホルン。ねえ、泣かないでよ、ホルン、ねえってば』


 あたふたしたボットの声が頭の中に響き、真下から、右下から、左下からと、うつむいた私の顔を覗き込む。

 頬を伝う涙がとまらない。ポロポロと溢れる涙を手で押さえる私に、ねえ、ホルン、ねえ、ホルンと、右耳、頭の下、左耳、頭の上と場所を変えながら、ボットがうろたえた口調で呼びかけてくる。

 辺境公ロボットがギリギリギリと歯車を回す音が部屋に響く。

 そんな喧騒の中、ひっくひっくと胸を押し上げるしゃっくりと、流しても流してもとまりそうにない涙に、私は自分自身どうしたらいいかわからず、床を向いたまま立ちつくしていた。

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