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6 クリスティーネ女王陛下

 上機嫌な大公殿下の声に、ビョーンと弾かれたように、私の頭が大理石を離れる。

 見開いた視界に女王陛下が映り込む。

 思わず立ち上がった私に大公殿下が、お忍びだからね、座ったままでいいよと優しく微笑んでくださる。

 どうしたらいいかわからなかった私は、腰を思いっきり曲げ、またしてもテーブルに額を押しあてた。

 固まっている私の頭上で、座りなさい、と抑揚のない威厳ある声が響いた。

 女王陛下の声だ。謁見の間で聞いた声と同じだ。

 女王陛下がテーブルの向こうに座る気配がした。


 恐る恐る、頭を持ち上げ、椅子に座り直す。

 思わず、女王陛下と目が合ってしまう。しまった。目を合わせて良かったんだろうか? 貴族としてのマナーは習ったけど、頭が真っ白になってどこかにいってしまった。

 目を見るのは不敬だったろうか? いやいや、女王陛下と大公殿下と話すときのマナーなんて習っていない。

伯爵家とはいえ、養女の教養としては間違いなく不必要なものだ。

 ボットは謁見のマナーを教えてくれなかった。

 まっすぐ前を見ていればいいよって言った。

 そうなんだろうか? いや、たぶん、それが許されるのはボットだけだ。

 無理だ。なんだか頭がクラクラしてきた。


 動悸でかすむ視界の中で、女王陛下のたかく持ち上げられた茶色の髪が、ガサッと動いた気がした。

 髪が動いた? いや、髪飾りが動いた? えっ? しっぽの髪飾り?

 目をパチパチと瞬いていると、茶色の髪飾りが髪から飛び出して、大きなロボットの頭の上にピョンと乗っかった。

 えっ? モモンガ? いや、違う。精霊だ。女王陛下の守護精霊だ。


「シルも辺境公が懐かしいのか。ずいぶん会っていなかったからな」


 大公殿下が優しく目を細める。たしか、風の下位精霊だったはず。

 クーデターの時、王女様が宰相の追っ手から逃げおおせたのは、王族で唯一守護精霊を持っていたためだと言われている。

 危険を察知する能力が高い風の精霊。

 そのおかげで、王女様はなんとか魔境の奥深くまで逃げのび、ボットと出会ったのだ。


 大きなロボットの頭から肩へ、肩から腕へ、右腕から左腕へとせわしなく走り回るモモンガそっくりの風の精霊の姿に、心がスーッと落ち着きを取り戻していく。

 かわいい。癒やされる。

 いいなー。私もこんな守護精霊が欲しいな、と思っていると、ちびボットがじーっとこちらを見ているのに気がついた。歯車が回っていない。

 まずい。思ったことが顔に出てるのかな? ううん、私にはちびボットがいるからね。かわいいかどうかはともかく、頼りにしてるからね、と思いながら、ちびボットを見つめ返す。

 歯車が回り始めた。機嫌を直してくれたのだろうか。さっぱり、わからない。


「神の色ね……その右目に辺境公が何かを見い出したとでもいうのかしら?」


 女王陛下の声が、低く地を這うように聞こえてきた。

 ふんわりした大公殿下の優しさに接していたせいだろうか。

 かわいらしい守護精霊になごまされたせいだろうか。

 女王陛下がお優しいお方なのではと、つい思ってしまっていた。うっかりにもほどがある。

 ホルン伯爵家の皆様の命を奪い、私の命を奪おうとしたのは、目の前にいるこのクリスティーネ・ドルテア女王陛下その人なのだ。

 その声は謁見の間で聞いた声色よりはるかに低く、氷をまとっているかのようだ。

 大公殿下と同じ青い瞳を持っているというのに、その瞳はまるっきり違う色を帯びているかのように、こちらを見つめている。

 スーッと細められた切れ長の目に宿った暗いゆらめきを隠すかのように、長い睫毛がゆっくりと瞬いた。

 薄い唇と尖った顎も、どこか冷たく感じられ、私は思わず目を伏せる。


「それとも、その瞳には私には見えない何かが映るのかしら?」


「ホルン伯爵に何の罪があった?」


 女王陛下の言葉を遮るように、ちびボットの声が私の頭のすぐ傍で響いた。

 驚いて顔を上げると、私と女王陛下の視線の間でちびボットがフワフワと浮いている。

 その小さな体の向こうで、女王陛下が首を傾げた。


「……罪? 王族の死に罪など必要ないように、貴族の死に罪など必要ないわ。あえて言うなら、ホルン伯爵に隙があった、そんなところかしら。そんなことが気になるの、辺境公?」


 女王陛下の投げ捨てるような物言いに、慌てて大公殿下が割って入る。


「辺境公、それについては私が説明しよう。先の宰相のクーデターの時に、ホルン伯爵の兵が王族を何人か殺めたことが確認されている。今回の処罰の表向きは領内の統治の不行き届きということになっているが、実際の罪状は広く知れ渡っていると思うよ」


「クーデターでは、ほとんどの貴族が宰相に味方していた。ホルン伯爵に限ったことか?」


 ちびボットの問いかけに、大公殿下は、うんうんと頷きながら女王陛下に身を寄せた。


「もちろん、辺境公の言うとおりだよ。ただ、罪のあるすべての貴族を罰していては国が成り立たない。いや、罰せないと言ったほうが正しいな。わかっているとは思うが、女王陛下が国を取り戻せたのは、軍事力によるものではない。君の力だ。ドルテアは昔から王国とは名ばかりで、王家などお飾りとして祭り上げられているだけの貴族の連合国家だからね。今回、ホルン伯爵が貴族閥から少しばかり浮き上がったという情報を掴んだから、この機会に処罰したんだ。死をもって罪をあがなったいうよりも、女王陛下のおっしゃるとおり、隙があったから殺されたというほうが現実には近いかもしれないがね」


 そう言って、大公殿下は女王陛下を気遣うような視線を送った。

 そうだった。女王陛下は王族の唯一の生き残りだ。他の王族は宰相や貴族に殺されてしまった。

 今でも、親や肉親の仇がまわりにいっぱいいるのかもしれない。

 でも、ホルン伯爵家の奥様は? お嬢様は? お坊っちゃまは? 何か悪いことをしたんだろうか?

 私は何か悪いことをしたの? 

 ああ、でも、女王陛下も王女様だった頃には同じことを思ったに違いない。

 何も悪いことををしていないのにって。

 わからない。でも、貴族になんてならないほうがいいな。あっ、もう、なってるのか。困ったな。


「何のためにそんなことを聞いたの、辺境公? この女の子のため? いいわね、あなた。あれほどの力を持ったロボットに、こんなにも愛されて。このロボットは私にはほとんど口すらきかなかったわ。私の目も金色だったらよかったわね。そうしたら、お父様の仇も、お母様の仇も、お兄様の仇も、お姉様の仇も、弟の仇も、妹の仇も、おじい様の仇も、おばあ様の仇も、伯父様の仇も、伯母様の仇も――」


 大公殿下が腕を大きく広げて、女王陛下を抱きしめた。胸が押しつぶされてしゃべれなくなるほど強く強く抱きしめた。

 女王陛下は目を大きく見開いて、息を吸おうと口をパクパクさせた。息が、と言いながら大公殿下の背中を叩く。

 おっとこれは失礼、と大公殿下がすかさず席に戻る。

 ヒューヒューと喉を鳴らしながら必死で息をととのえる女王陛下に、ちびボットが冷たく言い放った。


「国ごとでよければ、今すぐにでも綺麗さっぱりなくしてやるぞ。ただし、その前にキッティラ王立魔術学院への推薦状を書いておけ」


 その言葉に息をととのえていた女王陛下が目をまん丸にして、また息をとめた。

 そして、顔を真っ赤にして、また大きく息を吸った。

 大公殿下が弾かれたように笑い出し、女王陛下も苦しそうに胸を押さえて苦笑いを浮かべる。


「辺境公、あなた冗談が言えるのね。いえ、冗談ではないのよね、きっと。本当にやりかねないわね、あなたなら。そうね、それなら私の抱えてた問題もすべて解決するわね。いいわね、ふふっ」


 女王陛下はそう言って、目尻に溢れた涙を指先で拭った。大公殿下が慌てて立ち上がり、ハンカチで女王陛下の目元を拭う。


「でも、いいわ。自分でなんとかするわ。あなたに任せて国が滅んでしまうよりは、よっぽどましなことができるわ。私にはフラン大公がいるし、あなたよりはよっぽど頼りになるわ」


「ええ、お任せ下さい、女王陛下。女王陛下のためなら、たとえ黄泉の国にでもお供いたします」


 大公殿下が女王陛下の手をとり、優しく包みこむ。お互いがお互いを求め合うように見つめ合い、距離が縮まる。

 えっ? こんなところで? と思う間もなくふたりは熱い口づけを交わした。

 えー! 女王陛下と大公殿下が人前でー! いいの? あっ、そういえば、人払いしてるんだ、ボットと会うために。でも、こんな目の前でー! ふたりから目が離せず、私はドギマギする胸を押さえ、ふるふるとまぶたを震わせながら、ずっとその光景を見続けた。

 ふー、顔がほてってきた。思わず頬に手を当てた私の目の前で、ようやくふたりはキラキラとお互いを見つめながら、名残惜しそうに離れた。


 そして、こちらというか、ちびボットにぐるんと顔を向けた大公殿下が、無邪気な笑みを見せた。


「辺境公、今のももちろん撮っているんだろう? 一枚もらえるかな?」


 いいだろう、とちびボットが答えると同時に、大きなロボットの前に魔法陣が浮かび上がり、その光が消えるとともに一枚の額縁がカランとテーブルの上に転がった。

 その額縁には一枚の大きな写真が入っていた。

 ついさっき目の前で繰り広げられた、熱い口づけを交わす女王陛下と大公殿下の姿を収めた写真が。

 大喜びで額縁に手を伸ばす大公殿下の背中に、真っ赤な顔をした女王陛下が覆いかぶさった。

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