2 ハールバルズ辺境公爵
宙に浮かぶ私と同じぐらいの背丈のロボット。その姿に一瞬呆けたような表情を浮かべた騎士たちが、次々と腰を折って跪く。私を吊るし上げるように運んでいた男たちも遅れて跪いた。
木枷の重みを支え切れなかった私は、投げ出された格好となり、そのまま地面に打ちつけられた。
「これはこれはハールバルズ辺境公爵様。わたくしは国境警備騎士団リット砦隊隊長のステファン・ベックと申します。この度、辺境公爵様領に罪人が逃げ込みましたので、先ほど捕縛し帰還するところであります。正式な書類にて許可もとっておりますので、仔細に関しましては町長にお尋ねください」
衝撃で歪む視界の向こうから聞こえる騎士隊長の事務的な声に、ギギギギとロボットの動く音が混じる。ここを逃したらもう機会はない。私は木枷のはまった腕をなんとか持ち上げ、力一杯地面に叩きつけた。木と鎖のこすれ合う音に、ロボットの頭がギギッとこちらを向く。
揺らぐ視界を木枷で支え、回る歯車に向かって声を限りに叫んだ。
「物語をたくさん知っております! 辺境公爵様にお聞かせしようとやってまいりました! どうか、わたしの話をお聞きください!」
ハールバルズ辺境公爵――王女様を助けて国を取り返した英雄。
その英雄に、まことしやかに囁かれる噂話に縋って、私はここまで逃げてきた。ドロテア王国では小さな子供でも知っている噂話。
その内容はこうだ。ハールバルズには絵物語やおとぎ話が大好きなロボットが住んでいた。そのロボットは夜寝る前に、ベットで必ず物語を一冊読む。
ある日、ドルテア王国の王女が宰相の追手を逃れ、魔境と呼ばれるハールバルズに迷い込んだ。魔獣が生息する深い森でふたりは出会い、ロボットは王女を助け国を取り戻した。
ただ、ロボットの所蔵していた本の一冊に、王女が乗っ取られた国を取り返すという絵物語があったというだけの理由で。その絵物語をたいそう気にいっていたロボットは、何の見返りも求めず、気まぐれに王女に力を貸したのだという。
実際に、辺境公爵の領地であるとされるハールバルズは、もともとドロテア王国の領地ではなく、魔境と呼ばれる深い森に覆われた山岳地帯。つまりは空白地だ。
国を取り戻した報酬として与えられたのは、ヨーンと呼ばれる魔境に隣接するこの小さな町だけ。ロボットがたまに買い物に訪れる町だけが、ハールバルズ領で唯一人の住まう所なのだ。
誰が考えても低すぎる報酬は、ロボットの噂話の信憑性を高める。
「ガ・ガ・ガ・ガ……モノガタリ……ガ・ガ……タクサン」
ロボットの歯車が私の姿を認識したかのように、逆向きに回転し始める。
「はい! 毎日ひとつずつ読んでも、百年はかかるほど、たくさんの物語を知っております! ぜひ、私を辺境公爵様のお傍で働かせて下さい!」
このロボットの傍にいなければ、私はまちがいなく殺される。だから、喉が潰れてもいいからと、力いっぱい叫んだ。
目の前にいるこの変なロボット以外に、王命に抗ってまで私を庇ってくれる存在などいやしない。
それに、私はたくさんの物語を知っている。古い滅びた世界の物語。いなくなった神々の物語。
私が熱にうなされて生死の境をさまよっている時に、誰かがずっと語りかけてくれた、この世界が生まれる前の、遠い昔の神話。
「何を言っておられるのかな、アルベルティーナ・ホルン伯爵令嬢? あなたが伯爵家の養女となったのはわずか一年前のことであろう。それまで、孤児院にいたのだ。本など読めるような身の上ではなかったのではないか? これ以上、罪の上塗りを重ねるのはいかがなものであろうな?」
ロボットが横にいるせいか、騎士隊長の物言いがずいぶん穏やかだ。それでも、その目は冷たさを通り越して怒りの色が混じっている。
でも、関係ない。死罪と決まっているのに上塗りなんてない。私はさらにロボットに向かって口を開こうとした。
「ガ・ガ・ガ・ガ……ホルン……ガ・ガ……ホルン……ガ・ガ」
ロボットの歯車がガ・ガという音を最後に止まり、予期せぬ静寂が訪れる。ロボットはゆっくりと高度を下げ、私の顔の前で動きをとめた。
チューブの先についた手のような取っ手がクルクルと静かに回り出した。その瞬間、ロボットの頭上にルーン文字の刻まれた光の円が何重にもなって現われた。
回転しながら音も立てずに次第に上空に上がっていく。
「ハールバルズ辺境公爵様! お気を静められてください! どうなさったのですか?! これは何の魔術なのですか?! お教えください!」
跪きながらも、後ろ脚に力を入れて体勢を起こした騎士隊長が、ロボットと魔法陣を交互に警戒するように目を配る。
周りにいる騎士や男たちにも動揺が走る。
その様子を見て、私は何故か悲しくなった。このロボットは騎士に信用されていないんだ。国を取り返した英雄なのに。辺境公爵なのに。
自分の命が風前のともしびなのにも関わらず、そんな馬鹿な考えがふっと頭をよぎった。
「ガ・ガ・ガ・ガ……ホルン……ガ・ガ……ホルン……ガ・ガ」
同じ音をまたロボットが発する。動きは止まったまま、魔法陣のみが回り続ける。
「ホルン伯爵がどうかしたのですか?! この者はホルン伯爵令嬢とはいえ、養女でございます! 高熱にうなされ、右目が金色に変わったため、物珍しさで養女として迎え入れられただけの孤児でございます! 辺境公爵様がお気にかけられるような者ではございません! どうか、ご安心ください!」
騎士隊長の必死の叫びが届いたのだろうか。魔法陣の回転が止まり、小さくなってロボットの頭に吸い込まれた。
騎士隊の動揺が収まり、代わりに私の心臓の鼓動が早まる。何かを言わなければと気持ちが焦る。
このロボットだけが私の命綱だ。何か言わないと。駄目だ。思い浮かばない。物語のほかに、洗濯だって炊事だって何だってできる。
私は伯爵令嬢なんかじゃない。命さえあれば何だってできる。そう思ってロボットに手を伸ばした。
「ガ・ガ・ガ・ガ……キンイロ……ガ・ガ……ミセロ……ガ・ガ」
ロボットは私の右目に手のような取っ手を伸ばした。
クルクルと回り始めた取っ手に今度は小さな円が現われた。さっき見た魔法陣よりもずっとずっと小さな光の輪。その光の輪が私の右目に吸い込まれるように消えていった。
さっきまで熱を帯びていた右目が、すーっと冷やされたように軽くなる。
「ガ・ガ・ガ・ガ……キンイロ……ガ・ガ……ミセロ……ガ・ガ」
もう一度繰り返された言葉に、私は思い切って右目を開けた。
久しぶりに光を捉えた右目が、眩い世界に怯えるかのようにブルブルと震える。
左目でしか見えなかった世界が、次第に奥行きを増し、色付きを深くしていく。次第にその姿をより鮮やかなものへと変えていく私の世界。
そして……右目はその視界に見たことのない男の子を映し出した。
私と同い年くらいの男の子。プラチナブロンドの巻き毛からすこしだけ覗く耳が、ピクンと跳ねたように動いた。大きく見開かれた目が私と同じで左右で色が違う。左目が金色で右目が銀色。私とちょうど正反対だ。小さな顔に大きな瞳。きめの細かい白い肌が、その小さな唇の赤を際立たせる。
私を見つめる大きな瞳がよりいっそう見開かれ、すっと通った鼻筋に隠れた鼻の穴が一瞬だけ大きくふくらんだ。
「ホルンだ……本当にホルンだ……見つけた……とうとう、ホルンを見つけた……」
頭の中に男の子の声が響き、耳からはロボットの出すガ・ガ・ガ・ガというノイズが聞こえる。
右目には目をランランと輝かせた興奮気味の男の子の姿が映っているのに、左目には歯車を高速で回しているロボットが映っている。
えーっと、どういうことだろう。頭が混乱してきた。
この男の子はホルン伯爵の知り合いなのだろうか。見つけたホルンというのは、ひょっとしてお嬢様のことなのだろうか。
そうだとしたら、伝えなければいけない。あの可愛らしいお嬢様はもう処刑されてしまった。
私はホルンじゃない。ホルン伯爵とは血の繋がりのないただの孤児なのだ。
「ごめんなさい。私はホルン伯爵様のお嬢様じゃないの。アウロラ様はもう処刑されてしまったの。わたしはホルン伯爵様の養女なの。でも、たくさんの物語を知ってるのは本当よ。古い滅びた世界の物語。いなくなった神々の物語。いっぱい知ってるの。それに炊事だって、洗濯だってできるし、傍において……えっ? あれっ? 申し訳ございません、ハールバルズ辺境公爵様。その、私は――」
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱して、目の前の男の子とロボットが右目と左目で二重に映る。どうしたらいいかわからなくなった私の額に、男の子が満面の笑みで額をくっつけてきた。
「ホルン、僕の話してたことを覚えてくれてたんだね。僕とホルンでずっと一緒にいたことを覚えてくれてるんだね。夢が叶ったんだ。僕のたったひとつの夢が。ねえ、ホルン。もう絶対に君を奪われたりしないよ。僕は動けるようになったからね。君だって意志を持って動けるようになった。ふたりでいれば今度こそ大丈夫。約束するよ、ホルン。僕がいる限り、誰にも君に手出しをさせないってね」
男の子が金色の左目を私の金色の右目にピッタリと合わす。その頭の向こうで、ロボットがガ・ガ・ガ・ガと大きな音を出した。
私は目をパチパチと瞬きながらも、伯爵家から逃げ出してこのかた味わったことのなかった安心感を、男の子の金色の瞳に感じていた。