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1 伯爵令嬢アルベルティーナ・ホルン

 久しぶりに見た空はどこまでも澄み渡り、天高く昇った太陽は私の命までも溶かし尽くしそうだった。


「アルヴィド・ホルン伯爵令嬢アルベルティーナ・ホルン様でいらっしゃいますな」


 地下の隠れ部屋から引きずり出された私に、恰幅の良い騎士が憐れむような視線を馬上から投げかける。

 返答する間もなく、ひとりの男が私の両腕に木枷をはめた。

 さらに、私の髪を鷲掴み、血でこびり付いて開かなくなった右目を強引に押し広げようとする。

 肉を引き剥がされるような痛みに、耐えきれず悲鳴とともに弁明が口から溢れだす。


「ひぃぃっ! ち、違います! わ、私はそのような高貴な身ではございません。私は捨て子なのです。フルダール孤児院出身で院長先生はブリットマリー様でございます。ブリットマリー様はそれはそれはお優しいお方で、私のようなものにもそれはそれは――」


 木枷から伸びる鎖がジャリッという音とともに引っ張られ、私は頭から地面に叩きつけられた。

 まわりから降ってくる大きな溜息と冷笑。

 鎖を手にした男の腕が再び私の頭を掴みあげる。

 痛みと唇についた鉄のような血の匂いが、かろうじて私の意識を現実につなぎとめた。


 かすむ視界の中、騎士が馬から下りる。ザッザッという靴の音を響かせ、私の頭上から威厳ある声を放った。


「手荒なことをするな! その者は伯爵令嬢として扱うことになっている! たとえ、死罪と決まっていようと、そのように扱って良いはずがなかろう!」


 死罪――騎士の声が頭の中でグルグル回る。頭を、胸を、殴りつけられたような感覚に、私は息を忘れた。

 逃げだしてからずっと、睡魔と一緒に私を襲い続けた現実が、今、目の前にある。何もしていない。何もしていないのに、命を奪われる。

 どうして? どうして、私なの? 溢れる。口に出したところで何にもならない思いが溢れそうになる。

 無駄なことはわかっている。でも、口に出さずにはいられなかった。


 精一杯に開いた左目で騎士をまっすぐに見上げ、震える唇の隙間から漏れる息を声にかえた。


「……なぜですか? なぜ、私が死罪などに……」


 騎士の瞳から、感情が消え去った。


「王命だ。申し開きの場など、おまえには与えられていない」


 左目からこぼれ出した熱いものが、頬を伝って顎から滴り落ちる。


 ああ、孤児院で暮らしていればよかったんだ。お優しい院長先生や先生方に囲まれて、何不自由なく、いっぱいの愛情を与えられて育てられた。

 仲間たちもみんな優しかった。やんちゃな子や暴れん坊な子もおませな子も泣き虫な子も甘えん坊な子も、みんな、みんな、優しかった。

 親には捨てられたかもしれないけど、きっと何か事情があったんだ。

 あそこにいれば、そんなことはどうでもよかった。私は幸せだった。

 右目さえなければ、いや、あの高熱さえ患わなければこんなことにはならなかった。こんなことになるのなら、病気になったときに右目が腐り落ちていればよかった。

 その右目すら逃げる途中でしたたかに打ちつけた。私に死をもたらすことになった右目は、その光を失い、まぶたの後ろに閉じこもったままだ。


「わずか一年とはいえ、ホルン伯爵家で養女であった身だ。貴族には貴族としての義務があろう」


 冷え冷えとした騎士の声が、再び頭上から降ってきた。


 ホルン伯爵家――伯爵様にお目にかかったのは一度だけだったが、聡明で思慮深そうな方だった。

 伯爵夫人もお優しく、平民の孤児である私に声まで掛けてくださった。

 お坊っちゃまもお嬢様も何度かお話をさせていただいた。わたしの右目を珍しそうに覗き込んで、綺麗な金色ねと褒めてくださった。

 伯爵家の養女としての教養を身につけるために家庭教師までつけてくださった。

 読み書きや身だしなみやマナーのみならず、ルーン文字や初歩的な魔術までも身につけさせていただいた私は、たしかに伯爵家へのご恩返しとして共に死を賜るべきなのかもしれない。


 でも、伯爵様が何か悪いことをしたわけでもなく、私が何か悪いことをしたわけでもない。

 嫌だ。死にたくない。だから逃げた。お屋敷のみんなも私を逃がしてくれた。お前が死ぬことはないって言ってくれた。

 みんな、知っていた。十歳のときに高熱にうなされて、死の淵から舞い戻った私の右目が金色に変わっていたことを。

 神の色とされる金色の瞳を持った私を伯爵様が養女とし、いずれは他家に側女として送り出されるか、恩賞代わりに騎士のもとに嫁ぐことになることを。


 男がふたり、左右から私の両腕を掴んで、足が宙に浮くほどに引っ張り上げた。

 腕がきしむ。でも、もういい。私は死ぬんだ。右目が潰れようと、腕が折れようと、死ねばみんな同じだ。

 貴族じゃないから命が惜しくて惜しくて、辺境公爵領まで逃げてきた。でも、ここまでだ。

 思えば、私の運命は熱にうなされたときから決まっていたんだろう。

 ひょっとしたら、熱で死ぬことになっていた私を憐れんだ神様が、贈りものをくれたのかもしれない。

 寿命を少しだけ延ばされて、金色の瞳を与えられて、みんなにすごいねって言ってもらえて、よかったのかもしれない。


 神様にお礼を言うべきなのだろうか? 伯爵令嬢として死を賜ったことに感謝を捧げるべきなのだろうか?


 噛みしめた絶望を、今なお飲み込むことができず、私はふと空を見上げた。視線が固まる。


 足が浮いたまま直立状態で運ばれていく私の斜め上に、ロボットがいた。

 銀色の四角い頭に銀色の四角い胴体。ふたつの歯車のようなものが人間でいうところの目の部分に付いている。

 とってつけたような二本のチューブが腕だろうか。先端が丸く挟めるようになっている。

 それと、これまたとってつけたような脚のような二本のチューブ。

 先端に足の裏のような板が付いている。

 胴体には何かの計器だろうか。プルプル震える針のようなものが三つ付いている。


 硬直していた私の顔の筋肉が、ピクッと動いたのを感じた。

 見間違えようがない。ハールバルズ辺境公爵だ。噂どおりの外見。通称、ロボット辺境公。

 七年前の宰相のクーデターの時に、王族で唯一生き残った王女様を助けて、国を取り返した英雄。

 たったひとりで十万もの軍勢を打ち破った自称、壊れたロボット。

 世界最強の魔術師とも精霊とも言われる謎の存在。


 そして……私の最後の希望。


「ガ・ガ・ガ・ガ……ナニヲ……ガ・ガ……シテイル」


 辺り一帯に不快なノイズを撒き散らしながら、ロボットは目のように見える歯車をギリギリと回した。

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