表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

大災害の片隅で。

作者: みなみ

変わらない日々が続くと思っていた。








3月11日 金曜日








その日私は職場にいた。

翌日の行事に備えて慌ただしく忙しい午後だった。



私は子どもを世話する職種についている。

丁度、お昼寝の時間が終わって、布団を片付けて、おやつにしようかと思っていた時だった。




わずかに揺れ出した。



以前から小さな揺れはあった為、いつものか…と軽い気持ちだった。


それは子ども達も同じ。


部屋の中央には持ち帰りように並べまとめた布団があり、そこに集まるように声をかけた。



「ぐらぐらこわーい!」


「ふとんにのっちゃえー!」



やや、ふざけたような態度であったものの日頃の避難訓練の成果もありすぐに集まり頭を手でおおう子ども達。

それでも笑い声やにやけ顔の子が多かった。





けれども揺れはおさまらなかった。





ドオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォン




そんな音が聞こえた瞬間、激しく揺れ出した。



あがる悲鳴。

泣き声。

ひきつる顔。

こわばる顔。




「やあぁぁっ」

「ママぁ」

「たすけて」

「パパぁ」

「こわいよ」

「やだよぉ」




消える電気。

更に上がる悲鳴。



それでも、おさまることの無い揺れ。





「大丈夫!

大丈夫。ぜったい立っちゃだめだよ!」



手当たり次第、より集まって泣いて震える子ども達に布団をかぶせた。



幼児施設には棚が多い。

いつ天井近くにある高い棚から玩具や本、昔からしまいこんであるものが降り注ぐかは分からない。


古い施設には特に天井に扇風機がついている事が多かったりする。

その時はまだ扇風機がついていた。

扇風機は激しく軋んで今にも落ちてきそうだった。



むしろ天井が落ちてくるんじゃないかと思うような揺れだった。



もし落ちてきたら…



子どもに当たれば怪我もしくは最悪死亡するかもしれない。






私は勇敢なわけでも、痛みに強い人間でもない。

びびりのチキンである。




けれどもその時、覚悟はストンと落ちてきた。






たとえ、命にかえても。





扇風機真下に移動して布団をかぶせた子どもに覆い被さりながら、

なにがあろうと、どうなろうとこの子たちだけは守ろうと、必ず家に帰すのだと強く思った。


万が一、

例え扇風機が落ちてきても、大人の私ならば軽くて打ち身、最悪大怪我で済む。

例え、動けなくなったとしても他の職員が必ず子ども達を連れ出してくれるだろう。

立ち上がるのもままならない揺れの中、頭の中は妙に冷静に幾つもの最悪の事態を弾き出しては対応を考えていた。




何を大袈裟な。

何当たり前の事を。


そう思う人も居る事でしょう。

けれども、全く予想していなかった瞬間に覚悟を決められるのか。

動けるのか。

それはその時にならないと分からないもの。

今でも何故そこまで覚悟が持てたか分からない。

今思い返せば、そこまで悲愴に思わなくてもよかったかなぁなんて思うけれど。




けれども、その時は必死で。

扇風機が落ちてきてぶち当たるのが先か、

窓ガラスが割れて飛び散るのが先か、

天井が落ちるのが先か、

床がぬけるのが先か、

どうなっていくのか全く分からず、

揺れがいつおさまるかも分からず。


そんな中で自分にできる最善を考えた結果が、その思いだった。




震える声を押さえて、ひたすら


「大丈夫だよ」

「頭を上げちゃだめ、お布団をかぶっていようね」


を繰り返し言うしかできなかった。


子どもにかぶせた布団を上から握りしめる手は、笑えるほど震えていた。

それでも、私が怖いと言うわけにはいかなかった。


怖がったらだめだ、泣くなんてもっての他だ…


そう思った。





第二波の揺れのさなか、備え付けの高い棚が開いてしまい、しまっていた玩具が降りそそぐ。


血の気が引いた。



「怪我は?!

痛いところはない!!?」



「いたくないよ!」

「けがしてないよ!」



半べその顔で、それでもしっかりとした答えが返ってきた。




そして、

大きな地鳴りと共に、

一番大きな第三波の揺れが襲った。










かみさま、











もしいるのならばと願った。












どうか子どもたちだけでも助けてください。













四分以上の激しく長い揺れだった。













揺れが収まったとき、一瞬呆けてしまいそうになったがすぐ立ち上がった。



早く避難をさせないと、と。





振り返った時見た子ども達の顔が今でも忘れられない。



どの子も蒼白な顔で泣くこともできず、ただただ呆然としていた。




「二列に並んで、手を繋いで。余ったときは三人ね。」



誰も彼も青い顔のまま手を繋ぎ並んでいった。



二階の部屋だったので下に降りるのに外階段を使うことになった。

先に行ったはずのひとつしたのクラスが中々進まない。


職員(その子)も気が動転していたんだろう。

余震で揺れるため階段が怖くて子どもがなかなか降りれないと焦っていた。


階段の横には緊急避難用の滑り台がついている。

それを指摘すると、ああっ!と声をあげて小さいクラスの子達を誘導しはじめた。


その滑り台も怖がる子も多かったが、

大きいクラスの子達が、こうだよ!と先に滑って降りて見せてたこともあり、無事全員降りられた。

近くのちょっとした山みたいになっている所に避難をした。



道のりは砂利の登り坂。



私は、最後についた。

といってもはじめはなにも考えず子どもと共にかけ降りようとして、よくよく考えれば私のクラスが最後に建物から出たのだからと、あわてて足を止めた。



「最後つきます!」


「お願いします!」



二階から叫ぶと、

別クラスの足がとても早い職員が応え、ぐんぐんとスピードを上げ先頭になり子ども達を誘導する。

こんな時でなければ、あまりの速さに驚くやら拍手をおくるなりしていたに違いない。


一番最後を走る二階の部屋では一番小さなクラスの子ども達。

なんとか階段と滑り台を使い降りるも、遅くなってしまっていた。

二人ペアになったその子達四人の手を引き走った。



もしかしたら地割れするかもしれない。

もしかしたら崖が崩れるかもしれない。

もしかしたら更に大きな地震がくるかもしれない。



気持ちばかりが焦った。




「せんせぇっ」



そんな時、泣きそうな声が聞こえた。

手を引く子どもだった。

いや、もう泣いていた。



「あしいだいよぉ」




全員裸足か、靴下だった。



靴や上履きは持ち帰る日だし、子ども達が寝ている間に行事準備を進めなくてはいけなくて、皆お昼寝前に鞄に入れたのだった。



この子たちはお昼寝から起きて着替え終えたか、終える直前に地震にあったのだろう。




抱っこしてあげたかった。

けれども、私の手は二つ。つれている子達は四人。

どうしようもなかった。

皆、今にもへたりこみそうだった。

誰かがしゃがめば皆動けなくなってしまう。



「こっちの二人はつれていきます!」



先に避難先に移動していた職員が戻ってきて二人を抱えあげてくれた。


その背を追って私も残り二人を連れて走った。

裸足の子は抱え、靴下の子は手を引き走る。

もっと力があれば二人とも抱えてあげられたのにと、苦い思いがよぎった。




子ども達をなだめる職員と、避難がすんでいない更に幼いクラスの誘導・手伝いにあたる職員とにわかれた。


私は手伝いチームになり何往復かした。



最後のグループが避難終えたときにはへたりこんだ。

もはや、足ががくがくと震えているのか余震なのか分からないほどだった。






津浪警報が鳴り響くなか、近くでは火の手が上がり、雨がだんだんと強まっていった。


子どもを笑顔でなだめたり、落ち着かせる裏ではやっと新人を卒業したまだ若い職員が泣いて震えていた。

ベテラン職員がその背をさすり、「怖いのはみんな一緒よ、だけどね私達が泣いてはいけないし怖がっては子ども達はよけいに怯えるわ。だから頑張りましょう、ね?」と励ましていた。

その職員のお子さんはまだ幼く、海辺の園に預けて働いていた。

さっき、旦那さんに連絡つかない、子の園の近くに高台の建物がないと蒼白な顔で携帯を握りしめていた人だった。




いろんな思いや願いか交錯したあの日。



結果として、職場のある地域は沿岸地区は津浪にやられた。

亡くなった方も幾人か出た。


ベテラン職員のお子さんは無事だった。

旦那さんが二次避難先を探し、迎えにいってくれたそうだ。 


東北に比べれば微々たるものだけれども、それでも家を職を、家族を親しい人を失った人はたくさんいた。







5年たっても思い出したり、津波の映像を見ると震えたりするけれど涙は出なくなった。


人は忘れるモノだから、残しておこうと今打っている。


どうか、

これを見てかわいそうにとか辛かったねと思って終わりにはしないでください。


もっと悲惨で辛い悲しい思いをした人が大勢います。



職場から、家からどこに避難するのかどこを通ればいいのか、最低でも二通りの道を考えて、実際に歩いてみてください。


お子さんを幼児施設や学校に預けている人は二次避難先もあれば聞いておくことをおすすめします。

最後の一人が帰るまで、職員はいます。

だからまず、自分の安全を第一に。

津浪が想定される地域では特に。

悲しいことにお迎えに来て帰る途中に巻き込まれるケースもあります。


自分には関係ない、一人だから別にいいと思う人もいるかもしれません。

もしも、なんてこないにこしたことはありませんが、この国にいる以上大なり小なり自然災害はやってきます。


なにもなくて震災にあうと、本当にひもじい思いしますよ…

私の家は余計な備蓄はしない主義の母だったので食べ物が本気でなくて近くの店があくまでだいぶひもじい思いをしました。

過剰備蓄はよくないですが、少々の備蓄は必要です。



なにから準備すればいいか分からない、という人もいると思います。

わが家もそうでした。


経験から思うことは水が何より大事、です。

1ケース水を買っておいて普段の生活でも使うようにするといいかなと。

キャップに買った日付を書いて、一本使ったら一本補給する、というようにすれば一体いつのものか分からない…というのは避けられるかと思います。


震災翌日、母以外帰宅難民となってしまったので母は一人ご飯だったそうですが、水がなく(断水は一週間以上でした)お茶で水を入れて煮込むタイプのうどん(百円以下で買えるやつ)を卓上ガスコンロで煮込んで食べたそうですがものすごく不味かったそうです。

思い返すと、それが我が家に備蓄された最後の食料でした。


そして水がないと、トイレが流せません。

断水だから。

トイレットペーパーは流さない。

別ごみ袋に入れます。汚いというなかれ、です。


つまっても溢れても修理の人がすぐ来る保証はありません。電話信号止まってるし、道かところどころ波打ってるので…


できればお風呂に湯を残しておくといいですね。


数日間断水したあと出るのは赤茶けた水です。

それがしばらく続くので飲み水確保は大事です。

そのまま飲むと鉄臭く、吐き出しても口をすすぐのはその鉄臭い水。沸かしても残りますので…


水があれば、とりあえずどうにかなります。

ラップとビニール袋もあるとよいですね。


後はそれぞれ必要なものを考えてみるといいかなと思います。

もちが嫌いな人が水で戻せるもちを買っていても切なくなりますしね。

好きな缶詰を備蓄と普段の食事やつまみをかねておいておくのも手です。


市販の防災セットを買うのも手ですが、置場所考えたりや定期的に中を点検する習慣を忘れずに…

この間、自分でまとめた防災セットを押入れから取り出したらカビが…


まとめ直したものはトートバッグに入れて部屋の出入り口に置きました。

予備の眼鏡と、ビニール袋、常備薬、500ミリリットル水、タオル、ゴム手袋、個別密封のマスク、軍手、レジャーシート(百均にあるふわふわめのシート)、ノートとペン、マスキングテープを入れました。まだ足りないかなとは思うのですが、とりあえずでまとめてみたものです。

食べ物は別場所においてます。


ひとりひとり必要なものは違うし、ライフスタイルが変われば必要なもの不要なものも出てきます。



大切なのは考えること。

怖いな、嫌だねで終わらせないでください。

もしもに備える、備えてなにもなければ一番いいんです。

変わらない日々は実はとても尊い。














亡くなった方の冥福と、行方不明者の方が家族の元に帰れることを祈っています。


どうか、このようなことがもう二度とおこりませんように。









明日も変わらない日でありますように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
改行が多くて読みづらいです
[一言] 私も保育に携わる者です。黙祷のサイレンの後、まだその時生まれてなかった3歳の子どもたちに話をしました。私の住む場所はほとんど災害が起きません。でも、子ども達が大人になってこの地から出た場所で…
[一言] 私は先年GWに千葉から青森まで津波被害のあった太平洋沿岸を見て回りました。 ささやかながら、現地にお金を落とすことが支援になるだろうと思いまして。 ですが途中で見かけたのは小さくも賑やかな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ