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   その二

「ん……っ」


 カルアが目を覚ましたとき、高い天井が目に入った。

 神々の山脈らしき山と霞がかった霧。

 そこに、漆黒の馬にまたがった雄々しい騎士が、山に向かって剣を構える姿が描かれていた。華やかな色合いに繊細な筆遣いが、美しさを際だてているかのようだった。

 聖地でもお目にかかれない見事な天井画にほんの少し魅入っていたカルアは、すぐに思考を切り替えた。


 ――――ここはどこだ?


 いつもの習慣で枕元に置いていた相棒を掴もうとしたが、固い感触がない。

 顔色を変えたカルアは素早く起き上がった。

 服はゆったりとしたものに着せ替えられていた。純白の衣は、絹のようなさらっとした手触りであった。金の縫い取りがところどころに施されたこの衣が平民ではなく、上流階級の人間が好むものだということはすぐにわかる。

 カルアの眼差しが険しくなる。

 覚えているのは、優しい男の声と力強い腕であった。

 彼が自分をここに連れてきたのだろう。

 大人数人が寝ころぶことができそうな寝台には、ふわりと薄地の織物がかかっていた。

 幾重にも重なった布は、四方の金の支柱に絡みながら雲のように垂れていた。風になびいたら溶け消えてしまいそうなほど薄く、柔らかそうだったのだ。

 乱暴にその布を払いのけたカルアは、素足のまま床におりた。毛の長い絨毯はカルアの少し冷えた足を温めてくれるようだった。

 一枚だけだと寒く感じる。

 身震いをしたカルアは、こちらのほうが気温の低いことを知った。やはり山脈に近いからだろうか。

 寒さにはあまり慣れていないカルアは眉を寄せながらも、広々とした室内を見回した。

 窓掛けからは光が透けてみえるようだった。

 もう朝なのだろう。

 いや、昼頃かもしれない。

 窓掛けがあったても室内を照らす光量は十分であった。淡い光は、優美な家具を浮かび上がらせていた。


「これはまた……」


 思わずこぼれ落ちたのは感嘆としたため息であった。

 ナディアの生活空間もそれは見事な意匠がこらされていたが、ここはそれを凌ぐ贅と品を感じさせた。

 まだ伝導師となって一年のカルアには王侯貴族との関わりはなかったが、きっと彼らの居室を拝見する機会があったならこの部屋のような美しさだったのかもしれない。


(王族か貴族……。もし私を助けた者がそうであったのなら……)


 これは好機とみるべきだろうか。

 どちらにせよ、ここがどこなのか把握する必要があるだろう。

 そう考えていたカルアは、扉の外に人の気配を感じてすっと背に手を伸ばした。しかしすぐに手元にないのを思い出し舌打ちする。

 カチャリと小さな音を立てて開いた扉。


「まあ……!」


 入ってきた女性は目を見開いた。

 カルアより少しだけ背が高い。年齢は二十前半くらいだろうか。ぱっちりとした茶色の目が印象的の人好きのしそうな顔をしていた。

 彼女は、カルアを怖がる様子もなく、まあまあと声を上げながらてきぱきと動き回った。

 薄紅の袖無しの上衣は厚手で、膝より下まであった。上衣には、細かな縫い取りがされており、目を凝らすとその繊細な模様が際だってみえた。編み込まれた太めの綾を飾りのように腰に巻きつけ、その下にゆったりとした袖のついた白い服を着ているようだった。裾は床につきそうなほど長い。けれど彼女は足をとらえられることなく歩いていた。

 きっと蒼き国の衣装なのだろう。


「お目覚めになられたんですね。申し訳ございません。今朝はいつもより冷えて……。さ、こちらを羽織ってくださいませ。少しは寒さをしのげましょう。今、暖炉に火をつけますので、もうしばらくこの寒さには我慢くださいね」


 厚手の上かけに袖を通したカルアは、その温かさにほっと息を吐いた。

 暖炉が赤々と燃え上がるのを確認した女性は、カルアが素足なのに気づき、大変と声を上げた。


「まあ、なんということ。お客様に対して!」


 せわしない動作で履くものを用意した女性は、カルアに布靴を履かせると、安堵したように肩を落とした。どこかやりとげたような満足そうな顔には、輝くような笑みが浮かんでいた。


「ご紹介が遅れました。わたくし、カルアさま付きの侍女となりましたアレイと申します。なんでもお申し付けくださいませ。カルアさまは大切なお客様ですもの。お客様だなんていつぶりかしら」


 ひどく楽しげに言葉を紡ぐアレイという女性の目はどこか夢見心地に潤んでいた。


「なぜ私の名を……」

「あらあら」


 現実に戻ってきたようにハッとカルアに視線を定めたアレイは、くすくすとおかしげに笑い出した。


「存じておりますとも。ええ、ええ! この城でカルアさまのお名前をご存じないのは、言葉の通じない動物だけですわ。おかしなことをおっしゃいますのね」

「城? ここはお城なのですか? いったいどの国の……」

「まあ! カルアさま、ご冗談を。それとも気を失っておいででしたし、少し記憶が錯乱なさっているのかしら。カルアさまがいらっしゃるこの城は、もちろん偉大なる蒼き国ですわ。ああ、豊かな実りに満ちた黄金郷。すばらしきわが国!」


 生まれ育った国を心の底から愛しているらしいアレイは両手を握りしめうっとりと叫んだ。


「蒼き国……」


 アレイの底抜けの明るさとは反対にカルアの双眸は鋭くなる。

 いつの間にか敵陣に乗り込んでいたらしい。

 いや、敵陣という言葉には語弊があるかもしれない。

 蒼き国の王はようやくナディアの教えを受け入れようとしているのだから。


「あらいけない。お召し替えの準備をしなければ。ああ、陛下のお耳にも入れないと。大変、大変。やることは山ほどあるわ。カルアさま、ご不自由をおかけしますけれど、もう少し寝室で体を温めていてくださいね」


 カルアの返事も待たず嵐のように去っていったアレイ。

 残されたカルアはただ呆気にとられていた。あれが城で働く使用人……。多分、彼女が特別なのだろう。あんなに騒がしい使用人は初めてであった。

 疲れたようにため息を漏らした。

 相棒がないせいか、それとも彼女の言動に振り回されてか、いつもの調子を取り戻せなかった。


「アシュはどうしたのかしら……」


 心配そうに眉を寄せたカルアは愛馬を想った。

 それでも取り乱さなかったのは、ひとりで悩むよりも自分を助けた男に訊いたほうが早いと考えたからだ。

 アシュも利口な馬だ。カルアの帰りをその場で待っているだろう。

 もし男がアシュの存在に気づかなくても、その場に留まっていることは確信していた。

 ただ難点はアシュが憔悴していたことだ。気を失ってどれくらい時間が経っているのか定かではなかったが、アシュの体が心配だった。


「カルアさま、お待たせいたしました! お食事のご用意もいたしましたわ。さぞお腹がお空きになったでしょ? 料理長が腕を振るいましたので、苦しくなるまで召し上がってくださいませね。あら、その前にその格好をなんとかしないと。さあさ、お召し替えいたしましょうか。陛下が早くカルアさまにお会いしたいようですわ。陛下もずいぶんとカルアさまのご容態を気遣っておいででしたもの」


 軽くノックをしたあとに現れたアレイは、カルアに口を挟むすきを与えずひとりで喋りまくった。けれど、喋っていても身のこなしは軽く、アレイについていけずまたも呆然としてしまったカルアの服を脱がせていく。

 真新しい服を着せようとしたアレイをようやく視界にいれたカルアは焦ったように声をかけた。


「ちょっ、ちょっと待ってください」

「はい? どうかなさいました? もしやこの着物はお気に召しませんか? わたくしが選んだんですが……。鮮やかな藍の色が御髪とよく合って、とてもお美しいと思うのですが……」

「私の服と荷物はどこに?」

「ああ! カルアさまの身につけていらっしゃった衣装は、少々汚れておいでてしたので洗濯中ですわ。荷物に関しましては陛下が預かっておいでです」

「陛下自ら? なぜですか?」


 少し目を見開いたアレイは恥ずかしげに、けれどどこか楽しげに目元を和ませた。


「それはわたくしの口から申せませんわ。ああ、けれどようやく陛下にも春が訪れたということですわ。あのお小さかった陛下が……」


 またもや自分の世界に入りそうになったアレイだったが、手に持ったひらひらの衣服に気づくと顔色を変えてカルアに着せようとした。


「ささ、お召し替えを」

「申し訳ありませんが、そのように裾が広がった女物の服は……。私の服が乾いていないのならば、せめて男性のものを用意していただけますか?」

「まあ、なぜです? 年頃の娘なら喜んで袖を通すというのに……。もう少し華やかな装いのほうがよろしかったのかしら」

「アレイさん」

「アレイで結構ですわ、カルアさま。わたくしはカルアさま付きの侍女ですもの」

「ではアレイ。私が伝導師であることはご存じですか?」

「もちろんですわ!」


 伝導師という言葉に一瞬眉をしかめたアレイだったが、すぐに嬉しそうな顔で返事を返した。


「ならば話は早いですね。伝導師はいついかなる場合においても素早く動けるよう男性と同じような格好をしています。裾がひらひらとしたものでは動きづらいのです。ですからそのような服はとてもではありませんが着られません」

「まあ……! まあ、まあ!」


 服を持ったままよろけたアレイは、信じられないといいたげに目を見開いた。


「なんて非道な……っ。カルアさまのお年でしたら一番このような美しい着物に興味がおありでしょうに……! ああ、なんて惜しいこと。カルアさまが滞在なさる間は着飾って差し上げようといたしましたのに。わたくし、お美しいとご評判のカルアさまのお噂を耳にして、それこそ国一番のお支度を致しましたのに。ああ、本当に惜しいこと。伝導師さまは堅くていらっしゃるのですね。殿方ばかりだと聞きますもの。女性が着飾ることがどんなにすばらしいかわかってらっしゃらないのだわ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、カルアに寝間着を着せ直したアレイは、服を取りにいったん室をあとにした。

 それから少し経ってから男性用の服を持ってきたアレイは、素早くカルアに着せていった。

 主に貴族の令息が身につける礼装は、ゆったりとした木綿の下衣に太めの帯を巻き、無地の衿なしの上衣の上に、床を引きずるほど長い、袖ありの外衣が基本だ。色鮮やかな外衣は、繊細な刺繍が施されていた。

 公の場では、権力の誇示をするのに役立つせいか、年々派手さを増していく外衣は、カルアの細身の体を引き立てるようだった。靴も、先が尖ったものと替えていく。

 そして、少し離れてカルアを見つめると、上出来とばかりに晴れやかな笑みを浮かべた。


「味気ないと思いましたが、これはこれで……、ええ、男装の令嬢のようですわ。凛々しくて素敵……」


 半ばうっとりと呟いたアレイは、少しでも女らしさを加えようと、帯を取り払い、飾りのついた長い薄布を何重にも腰に巻き付け、余りを端に垂らした。揺れると軽やかな音を立てる鈴の珠が先端に二個、水晶を丸く削った大小の珠が三個ついていた。たったそれだけで、ぐっと女らしさが増すから不思議だ。

 さらにアレイは、カルアが異議を申し立てないのをいいことに、本来なら羽をつけた帽子を被らせるところを、青灰色の髪を半分だけ緩やかにまとめ上げ、華やかな飾りを差した。これで化粧を施したら、国一番の美女の称号に相応しいだろう。

 凛とした涼やかな美しさの中に、瑞々しさを感じさせる。これで艶があったのなら、婉美さも漂うが、少女らしい清らかな透明感がどこか中性的であった。

 女物であったならば、こうも倒錯的な美しさは表現ではなかっただろう。

 見事な出来映えに、改めて魅入ったアレイは若い娘のように頬を赤らめるのだった。


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