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   その三

「伝導師カルア、ただ今戻りましたっ」


 いつになく呼吸を乱したどり着いたのは、ナディアの執務室であった。ナディアの世話をしている教徒たちに通してもらい開けられた室内に足を踏み入れる。

 蔦のような模様が入った金がかった白壁に、趣味のよい調度品がカルアの目に飛び込んできた。

 ふわっと鼻先をかすめるのは、ナディアが好んでいる花の香りだろうか。さわやかな甘さのある香りであった。

 伝導師になる前は、よく訪れていた執務室。

 懐かしさに、胸が高鳴った。

 一年ぶりにお会いするのだ。

 まるで何年も顔を見ていなかったように感じられ、大理石で作られた机の前に座っていたナディアを探し当てたカルアは、子供のように輝く笑顔で見つめ、敬礼した。


「お帰りなさい、カルア」


 仕事を片付けていたナディアは、カルアに視線を合わせてゆっくりと微笑した。

 清らかな美しい笑顔は、みているだけで癒されるようだった。大きな窓から差し込む陽光が、ナディアの存在をことさら神々しくみせ、本当に女神のようなお姿だった。

 頭をすっぽりと覆う布が今日ほど残念に思えたことはないだろう。

 ナディアの黄金の髪が陽に透けて金糸のようにきらめく様は、本当に息を呑むばかりに美しいのだ。

 匂い立つような艶やかな美貌に、柔らかな天上の声がナディアを人あらざる者にみせ、人々は彼女の中に永遠の美と聖なる女性の面影を投影するのだ。


「さ、そちらにおかけなさい」

「は、はい」


 最も若い伝導師として名をはせるカルアもナディアの前では年相応の顔を覗かせた。パッと顔を輝かせたカルアは猫足の優美な長いすに座った。

 向かい合うように座ったナディアの前に、控えていた世話係が温かいお茶を置いた。薔薇の花びらを浮かべた紅茶はナディアの好むものだ。


「ありがとう」


 カルアに礼を言われた世話係は、わずかに目を見開くとほんのりと頬を染め、頭を下げた。カルアよりも年下だろう。透き通るようにハリのある肌が眩しい少女であった。


「私がいない間に見ない顔が増えましたね」


 ナディアの指示で退室していく世話係たちを見ていたカルアがぽつりと漏らした。みな、髪をきっきりとまとめ上げ、袖口が広がった丸襟の上品なお仕着せが、初々しさを残していた。まだ世話係に就いて間もないのだろう。


「――ええ」


 一口紅茶を口に含んだナディアは、陶器の器を置いた。


「優秀な者をわたくしの手元に置いておくのは惜しいですから、教徒区員の世話係として送り出しました」

「……ハーミアのようにですね」


 ハーミアは同じ教徒であり、伝導師を目指していた仲間であった。好敵手のような存在であったが、なんでも言い合えるハーミアはカルアにとって親友でもあった。

 ハーミアを思い出したカルアの顔は懐かしむというより、どこか複雑そうな顔になった。


「ハーミアには会いましたか?」

「いいえ……。きっとほかの国で教徒区員のお世話をしているのでしょう」


 現在、ナディアの保護区となっている国は七カ国。

 各地を渡り歩く伝導師という仕事柄、知り合いの教徒区員に会える可能性は極めて低いだろう。


「わたくしが会わせてあげられればよいのだけれど……。我が子のように可愛がっている子の行方を知らないわたくしは母親失格ね」

「そんなことありません!」


 カルアは言葉尻を荒げた。驚いた顔のナディアを見て、恥じ入るように俯いたカルアは続けて言った。


「日々ふくれあがっている教徒の行動を把握できなくて当然です。ナディア様の日常を煩わせないように教区があり、教徒を管理しているのではありませんか。ナディア様が私たちにお心を砕かれるのは嬉しいですが、そのせいでナディア様のお心に憂いをもたらすのならば、胸が苦しくなります」


 国々の中枢や要となる大都市に教区が存在し、入信した教徒の情報を管理したり、伝導師をどの地へ派遣するべきか判断しているのだ。

 伝導師であるカルアもまた、教区の指示により動いている。教区で働く者は、教徒区員より地位が高く、ナディアに選ばれた者だけがなれるだけに、信頼もひとしおであった。


「カルア……」

「いずれハーミアにも会えるでしょう。偶然出会うほうが驚きと喜びが一緒に味わえて嬉しくはありませんか?」


 いたずらっ子のように片目を瞑ったカルアに、ナディアがくすりと笑みを零した。


「まあ、カルア! あなたを伝導師として送り出したときは不安でしょうがなかったけれど……一年という月日はずいぶんとあなたを成長させていたのね」

「不安、だったのですか?」


 カルアの目が大きく見開かれた。


「それは、私が未熟だからですか?」


 ナディアは否定するように首を振った。

 そしてほっそりとした手を伸ばし、呆然としているカルアの頬に触れた。


「カルア……愛しい子。あなたが未熟なんて思わないわ。伝導師カルアの名は、聖地でも好ましく響いていますよ。最年少でありながら、熟練の伝導師のように教えを広めるあなたの名声は、ここにいてもわたくしの耳にはっきりと届くのです。あなたのおかげで教えを説く労が少なくなったと伝導師ハルヴィが嬉しそうに語ってくれましたよ」

「ハルヴィ様が……?」


 ハルヴィといえば、伝導師の中でも古参であり、ナディアの右腕とも評されている人物である。だれに対しても厳しい人物だけに、カルアも驚きを隠せなかった。

 実は、カルアが伝導師の試験を受けたいとナディアに申し出たとき、若すぎると反対したのがハルヴィだったからだ。

 身も心もじゅうぶんに成熟した者たちが試験を受ける権利を得るだけに、当初カルアへの風当たりは強かった。

 ナディアの表だった弁護がなければ、カルアは今も伝導師になるための勉強に励んでいたことだろう。


「ハルヴィはあまり感情を表に出しませんが、伝導師となったあなたをだれよりも目にかけていたのですよ。あなたの力量はハルヴィだけでなく、ほかの伝導師も認めています。ですからカルア。もっと誇り、胸を張りなさい。あなたはもう少し自信をつけなければ」

「そんな……もったいない御言葉です。まだ、学ぶことも多く、教徒区員のみなさまにご迷惑をかけているのに」

「迷惑ならばかけてやりなさい」


 ナディアは愉快そうに言った。楽しげに口元に笑みをのせ、ゆっくりと紅茶に口をつけた。


「え……」

「人というのはそうしながら成長をしていくのでしょ?」


 彼女は、水晶でつくられた傷一つない楕円の卓の上に、音も立てず器を置くと、飲み込めていない様子のカルアをみて、少女のような軽やかな笑い声を立てた。


「カルア、教徒区員は理解していますよ。伝導師に若い頃があったのは、なにもあなただけではないのよ。失敗を繰り返して彼らは学び、成長し、立派なだれからも尊敬される伝導師となっていったのです。それを支えていたのは教徒区員ですよ。まだ伝導師の数は足りず、熟練の伝導師が若い伝導師を指導することは叶いません。それを補うために教徒区員を置き、若い伝導師の手足となり、導いていけるようにしたのです」

「……っ」


 カルアは息を呑むとわずかに体を震わせた。


「カルア?」

「ああ、ナディア様……そうとは知らずに、私はずいぶんと酷い態度で教徒区員のみなさまに接していました……。なんとお詫びしたらよいのか……」


 教徒区員を見下していたわけではないが、いくぶん横柄な態度をとったことは何回もあった。さぞかし彼らは呆れていたに違いない。彼らは自分を補助するために存在していたというのに。

 ダントンのことを思い出したカルアの顔から血の気が引いていく。

 あれは口答えではなかったのかもしれない。進言してくれるつもりだったのかもしれない。

 それをカルアが冷たく切り捨てたのだ。知らなかったとはいえ、許される態度ではないだろう。


「落ち着きなさい。もしあなたに伝導師らしからぬ振る舞いがあったのならば、必ずわたくしの耳に入ります。けれど、今の今まで、あなたの頑張りを褒め称える声はあれ、厭う声はひとつもありませんでしたよ。あなた自信が己の言動を恥と感じていても、周囲の者はそう捉えていないのですから安心なさい」

「はい。取り乱してしまい申し訳ございません」


 恥じ入るように目元を染めたカルアは、ナディアの視線から逃げるように俯いた。


「カルア」


 少し強い口調にカルアも顔を上げた。


「本題に入りましょうか」


 それこそがカルアをここへ呼び出した本当の理由なのだろう。


「はい」

「蒼き国は知っていますね?」

(さかい)の地にある閉ざされた国のことですね」


 ここ、カルアが住まう大いなる大陸は、豊かな実りある東の地アーゼル、悪霊がすまうと噂される西の地ヘーベル、そしてその中心である境の地ローンでわけられている。

 境の地ローンは、東と西の地を隔てるようにそびえ立つ山脈の一帯を指す。中でも蒼き国は、東側に位置し、神々の山脈の(すそ)に存在しているという。あまり周囲の国々と関係を持たないせいか、印象は薄く、東の地の国々の王国記の中でも記録に残らないことが多い。


「わたくしの教えもずいぶんと広く行き渡ることになりましたが、西の地に広めるためにはまず蒼き国を手中に収めなければなりません。けれどかの国は、伝導師の受け入れを公然と拒否し、何年も交渉は決裂したままでした。王に拒まれてしまえばわたくしも打つ手がなく、頭を悩ませていましたが、ついこの間蒼き国の使者と名乗る者がこの聖地に訪れたのです」

「それは、受け入れるということですか?」

「察しがいいですね。けれど条件付きとのことです」

「条件ですか? ナディア様の教えを乞う立場でありながら、条件を付けるなんて、なんて卑劣な……っ」

「まだ若い王のようなので道理もわきまえていないのでしょう。先王がお亡くなりになり跡を継いだ王子は、まだ十五だったそうですよ」

「十五……」


 伝導師となったカルアと同じ年か。

 ほんの少しだけ興味を持った様子のカルアに気づいたナディアはうっすらと微笑んだ。


「今は十八だったはず。あなたと二つしか違わないわね」

「その若い王様はなにをお望みなのですか?」

「それほど難しいことではないわ。王は、あなたをご所望なの」

「わ、私を?」


 カルアの声が裏返った。

 それをおかしそうに見つめながらナディアが続けた。


「伝導師カルアならば、入国し、教えを説いても構わないそうよ。ふふ、王も伝導師カルアが若く美しい娘であるということを耳にしたのでしょう」

「そのような重要な任を私が……」

「これはあなたにしかできないことよ」


 ナディアは立ち上がった。


「伝導師カルア、あなたに新しい任務を命じます。必ずや蒼き国のすべてにナディアの教えを広めなさい。失敗は許しませんよ」


 凛とした声に、静かに立ち上がり、横にずれたカルアは、片膝をつき、右腕を胸に当てると深く頭を下げた。


「命にかえても遂行いたします。すべてはナディア様の御心のままに」


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