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   その二


 二日後、ナディアの死刑が執行された。

 それを遠くから見つめていたカルアは、地鳴りのような歓声が沸き起こったのを最後に、きびすを返した。

 だれも気づかなかった。

 処刑されたのがナディアでないことにだれも気づいた様子はなかった。

 柵がしてあることが功を奏したのだろう。髪型と背格好が似ていれば、見分けがつかないのだ。

 ナディアの代わりに処刑されたのは、もともと死刑が確定されていた女であった。貧しさゆえに窃盗を繰り返し、ついには三人もの人を殺してお金を奪った罪で、長い間牢に閉じこめられていたのだった。

 長い牢屋生活で足は弱り、やせ細っていたが、髪を染めてしまえば、遠目からはわからなかった。

 高見で見物していた各国の王侯や貴族もよもや偽物とは思わなかっただろう。興奮したように身を乗り出していた。

 カルアは口元が緩みそうになるのを耐えた。頭からすっぽりと被った布を胸元で握りしめ、ナディアの待つ離塔へと急いだ。

 部屋の前で金切り声が聞こえてきた。


「いやあぁぁぁぁ! 醜く年をとりたくなんてない!」


 慌てて扉を開くと、アレイが困惑したように立ちすくんでいた。

 石塔は冷たく、囚人が閉じこめられているような狭さと空気の悪さであったが、今のカルアにはこの目立たない石塔の中がなによりも有り難かった。食事や衣服などには気を使ってくれているのか、上等な物を用意してもらったので、硬くひんやりとした床と壁に我慢すれば快適であった。


「アレイ、ありがとうございます。ここは私に任せてください」

「カルアさま! では、無事に?」


 アレイはカルアに気づくとほっと表情を和らげた。


「ええ」


 カルアはにっこりと微笑んだ。

 処刑されたのが偽物であることを知っているセラフィックとシーファス、それにフル=ブシェ大国の王は、高見台にまだいるだろう。そのあとに夜会が開かれるらしい。ナディアの死を祝って。

 その中には、ナディアの最期を見たいといっていた重臣やディエス司祭の姿ももしかしたらあるのかもしれない。蒼き国にもナディアが処刑されているという通達は届いているはずだからだ。


「少し、休んでください。疲れたでしょ?」

「いえ……、」


 否定したアレイだったが、カルアがナディアと二人きりになりたいのだと気づくと、休憩をいただきますと下がった。

 それを見届けたカルアは、すっかり老け込んだナディアの前に立った。ナディアはカルアに気づかぬ様子で悲鳴をあげていた。

 もうずっとこの調子だ。

 フル=ブシェ大国の王が捕らえてから娘の血を飲んでいないのだろう。そのせいで、皮膚は見る間に干からび、いっきに四十も年を重ねたようだった。真珠のように輝いていた肌には醜い染みがつき、黒ずんでいた。深い皺はたるみ、あんなに豊かで美しかった髪も薄くなり、真っ白になった髪は輝きを失っていた。禁術を使い、時を無理やりとめていた報いを今受けているのだろう。

 けれどナディアはそんな自分に衝撃を受けたようだった。


「ナディア様……」


 気高く慈愛深いナディアの姿はもうどこにもなかった。

 狂ったように悲鳴をあげるナディアを見ていられず、カルアは抱きしめた。


「ナディア様……」


 カルアの瞳から涙がこぼれ落ちる。憐憫だろうか。あんなにも気高く美しかったナディアの変わり果てた姿は見ていられなかった。


「ナディア様……」


 カルアが名を呼び続け、どれだけ経っただろう。ようやく老女の目に正気が戻った。


「カル、ア……」

「はい」


 しわがれた声に呼ばれ、すっと身を離したカルアは涙も拭わずにナディアを見つめた。


「な、ぜ……」


 ナディアは牢から離塔へと移動したのも気づかなかったのだろう。カルアは昨日から世話をしていたのだが、ようやくナディアの目に自分が映ったことに安堵した。


「ナディア様、私は考えました。これまでずっと考えることを忘れていた分、とても、とても……」

「……」

「ナディア様の教えが善なのか悪なのか……。私はどうしても答えが出なかった。けれどようやく悟ったのです。私たちが守るべき民に行った行為は決して許されるものではなかったけれど、それでもナディア様の教えに救われた者が大勢いたと」

「カルア……」

「私もそのひとりです。ナディア様。たとえ聖肉がなくとも、私はやはりナディア教の教えが好きです。ナディア様の教えは、不幸だけではなく平穏もしっかりともたらしていたのです」

「カルア……」


 ナディアはカルアの胸元に手を置いた。そこはちょうど矢じり首飾りがあるところだった。


「お前は知ってしまったのではなくて? わたくしがお前の一族を……」

「なぜですか? なぜ……」


 セラフィックの言葉が本当だったことを知ったカルアは悲しげにナディアを見つめた。


「蒼き国を滅ぼしたかったのです。そのためには獣族の類い希な能力が必要でした。けれどいくら交渉しても彼らは争い事を厭い、わたくしに手を貸そうとはしなかった。それならばいっそなくなってしまえばいいと身勝手な考えで、教徒に蛮族を装わせて襲わせたのです。……あなたが助かったのは誤算でした。けれど、必死に駆けるあなたを殺すよりも生かして、わたくしの手足となるように育てようと考えたのです。お前は恨むでしょうね。わたくしを。あんなにも蛮族を憎んでいたんだもの……。わたくしは愚かね。わたくしも蒼き国に国を滅ぼされたのに……。同じ事をあなたにしてしまった……。嘘はいけない、復讐はいけないと諭したわたくが公然と嘘をつき、私怨で動いていたのですもの」

「ナディア様……」


 ナディアの過去を聞いたのは初めてであった。蒼き国に滅ぼされたというのは初耳だ。だからあれほどに蒼き国に執着していたのだろうか。


「確かにナディア様の感情に流された行動は決して許せません。私の一族を滅ぼしたことは絶対」


 カルアが静かにそう告げると、ナディアの体がびくりと震えた。カルアの怒りは覚悟していたのだろうが、実際に聞くと酷く堪えたようだった。

 そんなナディアをじっと見つめていたカルアは、ふっと淡く微笑を浮かべた。


「ナディア様から真実を聞いたとき、私にどのような感情がわき起こるのだろうとずっと考えていました。ナディア様を蛮族と同じくらい憎むのか……この手で殺したくなってしまうのか……。そう考えるだけで恐ろしかった。ナディア様を憎むことが私には恐ろしかったのです」


 再び涙が溢れてくる。

 カルアは子供のようにナディアにすがりつくと大声で泣いた。


「わた……私はっ、ナディア様が許せませんっ」

「……ええ」

「でも、けれど、それ以上にナディア様を愛しているのです! 私には貴女を殺せない。貴女を憎むことすらできないんです……!」


 慟哭(どうこく)したカルアは、やがて思いの丈を吐きだしてすっきりしたのか、大きく深呼吸を繰り返して息を整えた。触れたナディアの体温があたたかく、まるで母親を抱きしめているようだった。

 涙声のままカルアは言った。


「私の人生は貴女のためにありました。貴女は、私を救い、導いてくださった。たとえその愛情が偽りのものだとしても私にとってはかけがえのない大切な思い出」


 噛みしめるように口にしたカルアは、すっと体を離し、ナディアを真正面から見つめた。


「ナディア様、今度は私に救わせてください。私に手をさしのべてくださったあの時のように」

「いいえ、駄目よ……駄目……」


 ナディアの目だけは、変わらぬ美しさをたたえていた。芽吹いた若葉と同じ色の双眸が見る間に潤んでいく。


「わたくしはもう罪を重ねすぎました……。身勝手な欲望から次々と若い娘を殺し、血をすすり……」


 ナディアは顔を覆った。彼女はもう何人殺したか覚えていなかった。それほど多くの命を奪ってきたのだ。


「ナディア様、覚えていますか? 私が伝導師となったあの日のことを……」


 ハッとしたように顔を上げたナディアは、懐かしそうに双眸を細めた。


「忘れるはずがありせん。あなたが獣族の娘だから目をかけていたのは事実です。けれどいつしか本当の娘のように思うときもありました。あなたがわたくしのために伝導師となりたいとそう言ってくれたとき、どれほど心の内で歓喜したことか。その願いが叶ったとき、わたくしは心の底から喜びましたよ。本当に嬉しかった……」

「ナディア様……」

「あなたの名をどうするか考えたとき、とても悩んで……ようやくカルアという名が思い浮かんだのよ。カルアという名は、わたくしの亡き国の古代語で、気高き光の女神を指すの。わたくしが名付けたあなたの名前……でももう、これからはカツェラと呼ばなければね。あなたはもう伝導師カルアではないのだから」


 どこか寂しそうに呟いたナディアに、カルアは強く首を振った。


「いいえ、ナディア様。私の名前はこれからもカルアです。伝導師カルアです」

「! どうして……」

「あの日、ナディア様が名付けてくださった名こそが、私の名前です。私は忘れません。犯した罪も……なにもかも。ですからナディア様、一緒に生きてください。一緒に罪を償いましょう。何年……いいえ、一生かかっても。そして、今度こそ本当の教えを広めるのです。だれも傷つくことのない教えを」

「ええ、ええ……」


 カルアの手を強く握りしめたナディアは震え声で同意した。すっとその目の端から涙がこぼれ落ちていった。

 しばらくすると落ち着いたのか、ナディアは訝しげに問いかけた。


「ハルヴィはどこに?」

「存じません。何人か亡くなった伝導師や教徒区員はおりますが、その中にハルヴィ様のお姿はございませんでした」


 ナディアに付き従っていた者たちの何人かは兵士との争いによって命を落としたのだった。最後まで抵抗していたのだろう。けれど、それだけの被害で留まったのは幸いであった。フル=ブシェ大国の王が穏健派でよかった。もしそうでなかったら、数千人は命を落としていただろう。


「そう……」

「何が遭ったのですか?」


 カルアはこうも簡単にナディアが捕まるとは思っていなかった。伝導師は強い。一国の尖鋭部隊並みの強さを誇っているはずである。こうもあっけなく倒れるはずがなかった。

 ナディアははれぼったい顔のまま、遠くを見つめるように虚ろな目で壁を見た。


「ハルヴィが裏切りました」

「え……」


 カルアは一瞬ナディアがなにを言ったのか理解できなかった。


「フル=ブシェの王とハルヴィに親交があったのは知っていますね。わたくしはハルヴィに誘導されるがまま、宿泊の地としてこの国を選びました。この城で寛いでいたところに、兵士が駆け込んできて、気づいたときには着の身着のままの状態で囚われていました。伝導師も異変に気づいて駆けつけてきましたが、ハルヴィと兵士によって殺されました……」

「そんな……ハルヴィさまが……?」

「いつかこのような日が来ると思っていました。ハルヴィはわたくしの迷いを感じ取っていたのでしょう」


 ナディアは苦笑した。その顔には、ハルヴィに対する憤りも、悲しみも、なにも浮かんでいなかった。


「迷い、ですか?」

「……あなたの裏切りをハルヴィは快く思っていなかったのよ。けれどわたくしはあなたを殺させたくはなかった……! 人の命を簡単に奪っておきながら、あなたの命だけはどうしても奪えなかったの」

「ナディア様……」

「カルア、決してハルヴィを憎んではなりません。復讐の心は負の連鎖しか生まないもの……。四十年も経ってから気づくなんてね……」


 ナディアは祖国を滅ぼした蒼き国に復讐しようとし、セラフィックたちは父親を間接的に殺したナディアに復讐しようとし、カルアは一族を滅ぼした蛮族に復讐がしたかった……。

 結局、みな私怨で動いていたのかもしれない。

 復讐は負の連鎖しか生まないというが、本当にそうなのだろう。だれかが殺されれば、それを恨む者がいる。どこかで止めなければ永遠にその連鎖は続いていくのかもしれない。


「ナディア様は恨んでいらっしゃらないのですか?」


 ハルヴィは右腕的存在であったはず。だれよりも親しい者の裏切りをナディアは許すというのだろうか。


「亡くなった伝導師は憐れに思いますが、ハルヴィを恨むわけにはいきません。たとえハルヴィに利用されていたとわかっていても、わたくしとハルヴィは光と影のような存在。影がいつか日の目を見たいと影であることから抜け出すのは承知していました。きっと今頃、どこかの国を渡っているのかもしれませんね」


 晴れ晴れと笑ったナディアをカルアはじっと見つめていた。今のナディアはとても美しいと表現できなかったが、内から輝くような清らかさがあった。やっとナディアは平穏を得ることができたのかもしれない。



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