第九章 ナディアの処遇 その一
それから数日かけてカルアたち一行は、ナディアを捕らえたと伝えてきた国へ赴いていた。
保護区に置かれた半数の国はナディアの洗脳にかかっており、反乱を企てた国同士の戦争へと発展していたが、ナディアが捕らえられたという情報が東の地を駆けめぐると争いは休戦となった。
シュラク王の民のように暴動を起こす民もいたが、セラフィックの同盟書のおかげか教徒に甚大な被害は及ばなかった。
ナディアを快く思っていない連中が望むのはナディアの首であり、教徒たちの命ではなかったのだ。
セラフィックのおかげですんなりと国内へ入り込めた一行であったが、ナディアを捕らえたのが最も信の厚かったフル=ブシェ大国の王だと知ると、顔から血の気を引かせた。
フル=ブシェ大国がナディア教の保護区に入ってから二十年以上は経つはずだ。ナディアの右腕であるハルヴィとも親交があったはず。カルアは王に会ったことはなかったが、ナディアを崇拝しており、信仰心が強いと聞いていた。そんな人物のまさかの裏切りに、カルアは戸惑いを隠せなかった。
城へ向かう途中の街で宿をとったカルアたちであったが、カルアはどうしてもゆっくりと休めなかった。ナディアのことを考えると、いてもたってもいられず、アレイを連れセラフィックの部屋へ赴いた。広々とした客室には、セラフィックとともに寛ぐシーファスの姿もあった。
セラフィックを目に入れたカルアは、バッと駆け出した。
「お願いですっ、ナディア様を刑に処さないでください!」
カルアはなりふり構わずセラフィックにすがっていた。
もう自分ではどうすることもできなかったのだ。
フル=ブシェ大国の王はナディアを処刑すると明言していた。それを同盟国が賛同し、ナディアを崇拝している国の意見は棄却された。
フル=ブシェ大国はどの国々よりも領土が広く、また武力においても勝っている。そんな国相手に争おうとは、さすがにしなかったのだ。
ナディアの処刑の日は二日後に迫っていた。
公開処刑にすべきだという意見もあったが、王は民の暴動を憂慮してか、新しく断頭台を荒れ地につくった。周りを柵で囲み、市民と断頭台の距離は遠くなっていた。そして、王侯貴族のためにか物見用の見物席を設け、着々と準備は整っていた。
「カルア。それでみんなが納得すると思っているの? 暴動が起こるよ。今度は生やさしいものじゃない。ナディアを取り戻そうと保護区の国々が手を組んで動き出すかも知れない。そうしたら全面戦争だよ? 東の地の半数の命が失われるかもしれない。ナディアひとりの命を救うために」
「わかっています! わがままなのはわかっているんです……」
無理だということも重々承知だ。
けれど言わずにはいられなかった。
カルアは唇を噛んだ。
なにもできない自分が情けなくて、恥ずかしかった……。
カルアは間に合わなかったのだ。それを受け入れなければならない。ナディアの命と多くの民の命をはかりにかけてはいけない。
カルアだって、一族を滅ぼされた身だ。自分と同じような境遇の子をつくりたくなかった。
それでも願ってしまう。
ナディアを救いたいと。
奇跡を信じてしまうのだ。
各国にも影響のあるセラフィックならばどうにかしてくれるのではないかと。
ナディアを恨むセラフィックにすがること自体筋違いだ。本来なら命を賭してでもカルアが道を探さなければならないのだから。
でも焦るカルアには良い案がなにも浮かばなかった。時間だけが無意味に流れていくのだ。
「カルアさま……!」
そばで見守っていたアレイがカルアの口元に絹のハンカチを当てた。真っ白なそれが赤く染まっていく。唇を噛みすぎて切ってしまったのだろう。
それでも辛そうな顔で耐えるカルアは、血が出ているのも気づいてなさそうだった。
セラフィックはため息を吐いた。
「泣けば、同情かと流せるのに……」
カルアは絶対に泣かなかった。
ただ苦しそうに顔を歪めるのだ。それが余計に痛々しい。
女の武器ともいえる涙を流して訴えてきたのならば、カルアの美貌だ。心を動かされる者だっているだろう。
けれどカルアは自身の魅力には無頓着で、うちにため込む性格であった。そんな手管など知らないのであろう。
もしカルアはそうしていたのであれば、セラフィックは否と答えていただろう。カルアの涙に心は揺れるかもしれないが、それでもたかだかナディアひとりのために多くの命を犠牲にはできなかった。
しかし。
「ああ、僕は本当に君に弱い。そんな死にそうな顔で語られたら、この命を悪魔に差し出してでも叶えてあげたくなってしまう」
ふざけたように語りながらも、その穏やかな目はカルアに注がれている。かわいそうなくらい弱っているカルアをセラフィックは放っておけなかった。
「セラ兄様!」
シーファスが声を上げた。さすがの彼にも状況の判断ができたのだろう。ここにゼフィストがいたのならば、なんとしてでもセラフィックを止めただろうが、今この場にいるのは、セラフィックとカルアを除けば、セラフィックを崇拝するシーファスと、カルアを敬愛しているアレイだけだ。弁の立たないシーファスひとりでは荷が重いだろう。
「シーファスも可愛いはとこのためなら願いを叶えてあげたくない?」
「それは叶えてあげたいけど……」
ちらっとカルアに視線を動かしたシーファスは少し口ごもった。でも、と言葉を続ける。
「ナディアは死ぬべきだよ。父様が死んだのはナディアのせいなんだよ? ナディアが血塗られた虐殺で聖ラザス教の教皇を殺さなかったら、父様だって心痛のあまりに倒れなかったのに! セラ兄様だって言ってたじゃない。父様が死んだのは、ナディアのせいだって! だからゼフィー兄様も俺もナディアを憎んで……っ」
「そうだね……」
「ハーミアだってナディアが殺したんだよ!? ハーミアから連絡が途絶えたとき、父様は自分のせいだって言って……。もともと教皇の死で精神が弱っていた父様は、それから起き上がることもできなくて衰弱死したのに、なんでそんなこと言うのさ。俺たち三人でナディアに復讐しようって誓ったのに……!」
シーファスの激昂は最もであった。
立ち上がったセラフィックは、涙を流すシーファスを抱きしめた。
「ねえ、シーファス。僕だってナディアに対する憎しみの心が消えたわけではないんだよ。父上を間接的にだけれど殺したナディアが憎い。それでも、僕は信条に反してまでカルアの願いを叶えたくなってしまうんだ。それほどカルアが大切なんだよ」
「セラ兄様……」
ぐすっと鼻をすすりながら顔を上げたシーファスは、ぎゅっと眉を寄せた。
「俺だって……俺だってカルアは大好きだよ。父様だってカルアに目をかけてた……」
獣族とは親交がないように思われていたが、ナディアの不穏な動きに不安を覚えていた族長は、密やかに蒼き国の先代の王と交流を持っていたのだ。暁の王妃の血縁者であるカルアの存在を知らせていたのは、族長であった。その見返りとして、獣族に何かが遭った場合は蒼き国の援助を受けるようになっていた。
けれど結果として、獣族の危機に駆けつけることができず、唯一の生き残りであるカルアはナディアに奪われてしまったのだ。悄然とした先代の王は、秘密裏にカルアの身を守る計画を立てた。その白羽の矢が立ったのは、カルアと年齢の近かったハーミアであった。ナディアのもとへ潜入させ、カルアのことを逐一報告させていたのだ。
「ならわかるだろう? カルアは僕たちにとって大切なお姫様。守らなければならない存在だよ? 悲しませたらいけない」
「父様もそのほうが喜ぶかな?」
「カルアが喜ぶのなら、父上も喜んだはずだよ。カルアを一番可愛がっていたのは、父上のようだからね」
セラフィックは苦笑した。先代の王は、娘が欲しかったらしく、カルアに対し実の娘のような感情を抱いていたようだ。
「そっかぁ~」
乱暴に袖で涙を拭ったシーファスは、にぱっと笑った。
「だったらセラ兄様に協力する!」
良い子だ、とでもいうようにシーファスの頭を撫でたセラフィックは言った。
「王とは、アレで取引しようかな」
「アレですか……」
それに反応したのはシーファスではなくアレイであった。『アレ』の指すところに思い当たったのか、少し口元が引きつった。
「だれしも国家の恥は好きこのんで外聞にさらしたくないよねぇ。持つべきものは有能な諜報員だね」
ふふふと笑うセラフィック。
セラフィックは闇の一族を使って、各国の内情を探らせていたのだ。いざというときのために王族や要人がひた隠しにしている醜聞を集めていた。
「国の要となる人物さえ押さえられれば、あとは表面上の処刑を行えばいい。それで民はナディアが死んだと思うだろう」
「陛下……、それでは陛下がお恨みを買うのでは……」
アレイの瞳は揺れていた。王を危険にさらしたくなかったのだ。
「アレイ、情報というのは有効に使うものだ。わが国は領土こそ小さく、民も十二万とどの国にも劣るだろう。けれど、過去の教訓が活かされ、成人を迎えた者は剣を持ち、戦うことを学ぶ。兵力では引けをとらないよ。だからこそ、各国は僕の言葉を黙って聞き入れるんだ。暁の王妃の活躍は、それはそれは素晴らしかったからねぇ。彼女の血が流れているというだけで畏敬の念で接してくる王族はいっぱいいるんだよ」
それに、とセラフィックは続ける。
「兄上の優秀な頭脳と弟の怪力があれば、小さな国くらいあっという間に滅ぼしてしまうよ。僕が王座で寛いでいる間にね」




