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   その二

「どけ、どけぇ!」


 怒号とともに馬の駆けてくる蹄の音がいくつも聞こえてきた。この国の兵士だろうか。民を蹴散らせやって来た彼らは、伝導師たちが倒れているのをみると唾を吐きかけた。


「ずいぶんと苦渋を飲ませてくれたもんだ」


 にやにやと嫌らしく嗤う男。


「陛下は貴様の首をご所望だ。悪く思うなよ、伝導師さんよ」


 馬から下りた男は剣を抜いた。その後ろで同じような格好をした男たちも剣を抜き近づいてきた。


「そうはさせません」


 カルアがそう声を上げると、ようやくカルアに気づいたのか、男の顔が不審そうになった。


「なんだ? 見ない顔だな……だが、ずいぶんとお綺麗なツラしてるじゃないか。俺の愛人にでもしてやろうか? ええ?」


 下劣きわまりない言葉にぞわりと肌が粟立った。好色な顔で伸ばしてくる男の手を振り落とした。


「っ……、このアマ!」


 怒りに目を染め斬りかかってくる男と平然と対したカルアは、鎌を地面から抜くと柄を肩口目がけて突き出した。


「ぐぅ」

「隊長!」


 軽々と吹き飛ぶ男に駆け寄る兵士たち。


「この国の王に伝えなさい! もしこの国に在留するナディア教の教徒や伝導師たちに危害を加えるならば、伝導師カルアが許しはしないと!」


 凛と言い放ったカルアからは、逆らいがたい威圧感があった。


「く…ぅ、このアマ! ぶっ殺してやる!」


 憤怒の形相で、ふらつく足取りで立ち上がるも、仲間に支えられている状態では格好が悪い。


「はい、そこまで」


 セラフィックがパンッと手を打った。


「おかしいなぁ。シュラク王は、ナディアの教徒たちに手を出さないと誓っていたはずだけれど。それが表面上だけだったのならば、――許せないね」


 冷ややかな一言を投げたセラフィックは、漆黒の服をまとった者を招き寄せた。


「もしシュラク王が同盟書を反故にしたというのならば、野心家の息子に味方してあげてね」


 それはつまり、息子に謀反を起こさせ、息子である王子に王位を継がせろ、という内容のものだった。

 シュラク王は今年で五十二歳になる。

 その冷酷非道な振る舞いは前王譲りだったらしいが、ナディアによってずいぶん戒められたようだ。嫡子である王子は良識的な人物で、病みきった闇の部分は受け継いでいなかったらしかった。二十五歳になるというが、実直で潔癖な性格はセラフィックも好いていた。

 彼が王となればこの国もよりよくなるだろうと。

 けれど彼には力がなかった。シュラク王に謀反を起こす勇気ある者はおらず、彼は長らくの間不遇の時代を送っていたのだ。

 しかし今回、セラフィックの尖鋭部隊である闇の一族の力を貸し与えれば、つつがなく計画は遂行できるだろう。


「御意」


 能面のように張り付いた顔で深く頭を垂れた彼は、獣族のような身軽さでその場から消えた。


「貴様、何者だ! 陛下のお名前を貴様ごときが軽々と口にしていいと思っているのか!」


 吠えた男を穢らわしいものをみるように一瞥したセラフィックの前に別の漆黒の服をまとった者が進み出た。


「無礼な! この方は蒼き国の偉大なる国王陛下であられるぞ!」


 細身であったが、全身からみなぎる気迫は鋭く研ぎ澄まされているようであった。男たちはびくりとすくみ上がった。本当に隊なのかと疑問を持ちたくなるような弱さであった。


「カルアに汚い言葉を吐き捨てた罰はきっちり償ってね」

「はい、は~い! その役目、俺がやりたいっ」


 爛々と瞳を輝かせたシーファスに、セラフィックが忠告する。


「ほどほどにね。殺してしまっては、せっかくの同盟がふいになってしまうかもしれないから」


 そう言いつつも冷めた目には、死ぬ手前までだったらどんなことをしてもいいよと書いてあった。よほど先ほどの言動が腹に据えかねたのだろう。


「カルアさま!」


 うずうずとした顔で様子を伺っていたアレイが飛び出した。その後ろで、漆黒の服に身をまとった者たちがほんの少し眉を潜める。

 それに気づいたのはセラフィックだけだった。けれど特になにも言わず、自らもカルアのもとへと向かった。


「あ、あの……」


 罰が悪そうな顔でカルアの前に現れたのは、麻の服を着た老人であった。その手には、包帯や薬草が入った籠があった。


「手当をさせていただけませんか? わしはこの町で薬師をしておりまして……」


 市民たちがざわめいた。

 裏切りだ、と罵る声もあったが、その輪の中から女性が意を決したように飛び出した。


「あ、あたしにもなにかさせておくれ!」

「え……」


 カルアは目を丸くさせた。

 ここまで痛めつけたのは彼らだったはずだ。


「十年なんかあっという間だね……今の暮らしがあるのは聖女ナディアのおかげだったことかっかり忘れちまった。あたし、聖女ナディアにお会いしたことがあるんだ。食べる物がなくて、雑草食ってたあたしの子供を見て、かわいそうにって抱きしめてくれて……」


 女性は皺が数本刻まれた目元を裾で押さえた。


「あの頃はみんなどこの子供も栄養が足りてなくてガリガリだった。不衛生な街のせいで、疫病にかかって死ぬやつもいっぱいいたんだ。それを聖女ナディアが払ってくださった。あたしの子が今もぴんぴんして生きてるのは、聖女ナディアのおかげなんだよ。あのとき聖女ナディアがいなかったらあたしの子は死んでたと思う……」

「母さん!」


 若い女が駆けてきた。彼女の娘なのだろう。


「でも、カンナやジンは? こいつらは命までとったのよ!」

「あたしらは、この生活に満足してなきゃいけなかったんだよ。二人は素行がよくなかった。知ってるだろ? みんな心の底じゃどっかいっちまえばいいと思ってた。同じ街の人間だから庇いたくなる気持ちはわかる。たかだか暴れていさかいを起こした程度で命を奪われるなんてね。まだ若かったのに……。でもみんな忘れちまったのかい? 十年前までそんな理不尽当たり前だったじゃないか。目をつけられたら、問答無用で切って捨てられた……。あたしらの命なんてあってなかったのさ」

「そうだな。わしも覚えとるよ。貴族だけじゃない。役人だってわしらを虐げて嗤ってた。わしの娘はあいつらに……!」


 老人は苦渋に満ちた顔で歯を食いしばった。

 彼の娘は、複数の役人によって性的暴行を受けたのだ。当時、思いを寄せていた男がいた娘は穢れた自分が許せず、橋から川に身を投げて死んだ。

 けれどそんなことはそう珍しいことではなかった。魅力的な若い娘は、権力者によって無理やり体を奪われるのが常だったからだ。だからこそ、そうならないよう汚らしい格好で役人たちの目を欺いた娘も多くいた。


「伝導師様、わしはナディア教の十の誓いに救われました。聖女ナディアがいかにわしらのことを考えてくださったか……。神にすがっても、なんの奇跡も起きず絶望していたところに、救世主のように聖女ナディアが現れて、わしらの生活を変えてくださいました。伝導師様、ご覧下さい。十年前まで己の美貌を恨んでいた若い娘たちが、今はあんなに着飾って街中を歩いておる。人生に絶望して命を絶つ者も少なくなってわしも喜んでいたというのに、聖女ナディアを裏切るような真似を……! お許し下さい!」


 老人の手から籠が滑り落ちた。

 地面に跪き、額をこすりつける老人の肩に、カルアがそっと手を置いた。


「顔を上げてください」

「!」

「罪を悔いる者に、許しは必要ありません。……きっと聖女ナディアもそう思うことでしょう」


 カルアは優しく微笑んだ。

 過去のカルアならば、この老人のことを容赦なく斬り捨てたかもしれない。許しなど必要なかった。ナディアの教えは、懺悔など受け入れなかったからだ。罪を犯す者か、罪を犯さない者か。それだけであった。

 けれど今のカルアは、無闇に命を奪うことが正しいのではないとちゃんと知っていた。


「カルア! それは教えに反し……ぅっ」


 伝導師が声を荒げたが、すぐに苦悶へと変化する。痛みに耐えながらも、その目はカルアの裏切りが信じられないといいたげであった。


「伝導師デイト、教えに反したからといってもう殺す必要はないのです。だれも……民の命を奪ってはならない。聖職者が、手を血で穢すことがあってはならないのです」

「……」


 痛みに顔を歪める伝導師には理解できていないようだった。ほかの教徒区員も同じだ。ナディアの洗脳を解かなければ、永遠に彼らは気づかないのだろう。教えの矛盾に。


「陛下」

「ん?」


 老人と女性に手当を任せたカルアは、静かにこちらを見守っていたセラフィックに声をかけた。


「お願いがございます」


 いいよ、と言いたげに鷹揚に頷くセラフィック。


「私と同じように彼らの洗脳も解いてくださいませんか?」


 セラフィックはにっこりと微笑んだ。


「もちろん。最初からそのつもりだったよ。けれど君のときよりも少し時間がかかるかもね」

「……なぜです?」

「君たちが聖肉と呼んでいる葉には、強い催眠効果があってね。常用しなければ問題はないのだけれど、禁断症状のようにそれが欲しくなるんだよ。君は獣族の娘だから、普通の者よりも中毒症状は軽かったし、治りが早かったけれど、ほかの教徒では一日でも口にしないと発狂してしまうかもしれない」


 セラフィックは、カルアの荷物を預かったときに、聖肉を一枚盗んでいたのだ。それを分析して得た結果が、催眠の効能があるということだった。


「一日……? まさか、あのとき……」


 カルアは、気分が悪くなるような甘い香りが鼻先をかすめたかと思った。カルアが聖肉を口にしなくなったのは、蒼き国で臥せってからではなかったか? そして、信仰心が薄れたのもその頃であった。


「そうでなければ、君を解き放つことができなかった。悪いと思ったけれど、正直に打ち明けても君は拒否をしただろ?」

「それは……」


 当たり前だろう。

 聖肉を祈りのあとに含むのは慣習であったのだから。それをナディアにいわれればやめただろうが、セラフィックにいわれても反抗心だけがわき起こっただろう。


「ゆっくりと時間をかけて彼らの目を覚まさせるといい」


 セラフィックはほんの少し悲しげにカルアから視線を外した。

 カルアもまた、憂えた目で手当を受けている伝導師たちを見下ろした。

 彼らは、自分たちの罪を知ったとき、どうするだろう?

 耐えきれなくなって精神が崩壊するか、それとも自害して果てるか……。

 もしくはカルアのように罪を背負ったまま生きるか……。


「……願わくば、彼らに神の導きを」


 カルアはぽつりと呟いた。

 一連の騒動によって、暴動も少し治まったようだった。伝導師たちの傷を癒そうとする者たちは先ほどより増えていた。ナディアに恩義を感じている者がほかにもいたのだろう。


(ナディア様、やはりあなたの教えは悪ではありませんでした……)


 カルアにはそれが嬉しかった。

 みんながみんなナディア教を心の底から恨み、憎しみを抱いているのではなかったのだ。

 思わず涙がこみ上げてきそうになったが、歯を食いしばって耐えた。できることなら、この光景をナディアに見せてやりたかった。



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