その二
それから一年後――。
カルアは十六歳になっていた。
あれから背も伸び、あどけなさの消えた顔つきは凛々しかった。すらりとした手足を包む藍色の制服も新調し、中に穿く麻の下衣も替えたばかりだった。
真新しい服で心機一転させたカルアは、頭高く結い上げた青灰色の髪をなびかせながら古びた家が建ち並ぶ通りを颯爽と歩いていた。
その顔つきは爽やかというよりも無表情で、大きめの目や口元には柔らかさの欠片もない。
凛とした芯のある美貌が周囲との温度を隔てているかのようだった。彼女の周りだけ温度が下がっているような、または清らかな空気が流れているような、そんな不思議な雰囲気をまとっていた。
どこか尻込みをしてしまうような空気が流れる中、人のよさそうな顔をした女が店から出てきて、わざわざ声をかけた。
「カルアさま、おはようございます。また店に寄ってくださいね。カルアさまにならたっぷりと負けとくよ」
ここアッソは、大都会のような華やかさはなく、どこか寂れた感じのする町だ。人口もそう多くなく、自然の豊かさだけが自慢の小さな町であったが、町の人はみな朗らかであった。
「アンソさん、おはようございます。一昨日、アンソさんからいただいたパンはとても美味しかったですよ」
町の人に挨拶を返したカルアは、無表情だった顔に柔らかな笑みを浮かべた。
とたん、どこか近寄りがたい雰囲気は消え失せ、彼女を包む空気が穏やかになった。すっとカルアと町の人たちとを隔てていた膜が溶け消えると、離れたところから伺っていた年頃の娘たちが素早く動いてカルアを取り囲んだ。
「カルア様、お菓子を作ったんです。お口に合うといいんですけど……」
「伝導師さまにお似合いの飾りを見つけたんです。よかったら受け取ってください!」
きゃあきゃあとはしゃぐ彼女たちに、礼を言ったカルアはにっこりと微笑んだ。
――天使の微笑。
そう評される笑顔を間近に拝んだ娘たちは顔を赤らめ、ほぅっと熱い吐息を漏らした。たとえ同性だろうとカルアには人を惹きつける華があった。
まだ若いせいか艶はないものの、卵形の小さな顔は繊細であり、澄んだ輝きを放つ紫色の双眸は見つめられると吸い込まれそうな力があった。年頃の娘ならだれもが憧れる美貌に加え、それを鼻にかけない性格は娘たちの心をくすぐった。
伝導師の男らしい服装が拍車をかけたのかもしれない。気高く、品のある服装は、男装の麗人のようだった。
そんなかましくも、楽しげな会話を弾ます彼女たちの雰囲気を壊すように、突然、硝子の砕け散る音がした。
何事かと顔を引き締める視線の先で、昼間でも盛り上がっている酒場の扉がバンッと乱暴に開かれた。
その奥から、ふらついた足取りで男が出てきた。男は、カルアたちを睨みつけると、忌々しげに吐き捨てた。
「けっ、死神に媚びを売りやがって」
顔は真っ赤に染まり、明らかに泥酔しているようだった。片手には、麦酒の入った木の容器があった。
彼は、それをぐいっとあおると、薄汚れた袖で口元を拭った。
「……デバンだわ」
「いつ帰ってきたんだろ」
「やだ、怖い」
カルアに身を寄せる娘たちとは対照的に、大人たちは関わりたくないとばかりに家の中に引っ込んだ。
「デバンさん、ですか?」
見知らぬ顔を不思議に思いカルアが問うと、勝ち気な目をした娘が小声で囁いた。
「傭兵みたいなんですけど、仕事がなくなると生まれ故郷であるこの町に帰ってきては諍いをおこして……。町の厄介者なんです」
「諍い……」
「つい数ヶ月前も……」
娘がデバンの悪事を告げようとした刹那、デバンは持っていた容器を彼女に向かって投げつけた。木なのでそれほど大怪我を負うものでもなかったが、娘は身をすくませた。
娘に当たる手前で、カルアが容器の取っ手を素早く掴んだ。そのひょうしに、中身が少しだけ地面にこぼれ落ちた。
「なっ」
絶句するデバン。
容器と娘たちからのもらった品を地面の片隅に置いたカルアは、すっと前に進み出た。顔から笑みが消える。
「あなたが町の人間であるのならば、見過ごすわけにはいきません」
「な、なんのことだっ」
「わが名は、伝導師カルア。聖女ナディアの名において、この場で粛清を行います」
すっと背に手をやり、相棒を取り出したカルアは、たたまれていた柄を伸ばした。腕の長さより短かった鎌は、伸ばすとカルアの身の丈ほどもあった。刃先の布を懐にしまうと、獲物を逃がさないよう構えた。
きらりと光る曲がった刃先に、デバンの顔が青ざめていった。
「お、おれがなにをしたってんだ!」
「アッソは二ヶ月前から聖女ナディアの保護区域となりました」
――保護区域。
まず、教徒区員と呼ばれる者がまだ保護区となっていない国に赴き、町や村に伝導師を受け入れるか否かを決めさせる。受け入れた地だけに伝導師が教えを広め、保護区に入るか入らないか選ばせるのだ。
そして、保護区に入ることを承諾すると、教会がその地につくられた。教会には教徒区員が常駐し、入信したいと望む者に門戸を開くのであった。
アッソは、町長が二ヶ月前にようやく受け入れる意志をナディア教に伝えたのだった。
そしてナディア教の教えを浸透させるようにと選ばれたのがカルアであった。
「聖女ナディアの教えに反する者は、いかなる事情があろうとも伝導師が排除します。あなたは、保護区域に属する者でありながら、私の目の前で公然と罪を犯しました」
デバンから視線を外さずカルアは淡々と説明をした。
「罪だと!? なんでぇ! おれはなににもしてねぇぞっ。ただ投げつけただけじゃねーか」
「みたところ、あなたは教徒ではなく、迷い民のようですね」
保護区になったからといっても、神を選ぶ権利は民に与えられている。国教を選ぶもよし、また己が信じる宗教に身を捧げてもいいのだ。
けれど、ひとつだけ。
保護区の温情を受ける地は、ほかの神を崇拝しながらもナディア教の教えは守らなければならないという掟があった。
つまり、保護区となったならば、民は二つの宗教を信仰することになるのだ。
ナディア教だけを崇拝する者だけが教徒と呼ばれ、二つの宗教を信仰する民は迷い民と呼ばれる。迷い民という呼び名は、蔑称ではなかったのが、こうして罪を犯すのは決まって迷い民が多かった。
「迷い民といってもナディア教の戒律、十の誓いをご存じのはずです」
「はっ、それがなんだ!」
「まだわからないようですね。十の誓いのうち、ナディア様の恩恵を受ける地でナディアの教えに背く者は容赦なく罰しなければならない。ナディア様の恩恵を受ける地で弱き者には、常に優しさを持って接しなければならない。ナディア様の恩恵を受ける地で民の平和を妨げてはならない、との文言がありますが、あなたは今、この三つの戒律に反した行動をとったのです」
「な……っ」
男の顔がますます赤くなった。今度は怒りのためだろう。
「くっ、この死神風情がッ!」
怒りで酔いがいくぶんか覚めたのか、素早く剣を抜いたデバンがカルアに襲いかかった。
きゃあっ悲鳴をあげる娘たち。恐怖に体を震わす彼女たちとは対照的に、カルアは冷静だった。まだ酒の抜けきらないデバンの太刀筋は危うく、闇雲に剣を振るっているだけだった。
長い鎌でやすやすと受け流しながら、カルアは言葉を続けた。
「聖女ナディアは、平穏をお望みです。そして民の幸せを……。それを脅かす者には武をもって制します」
カルアの目が鋭く光った次の瞬間、鎌はデバンの首を切り落としていた。目を見開いたまま絶命したデバンの首が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「キ……ッ、キャアァァァァァァッ」
娘たちの悲鳴が響き渡った。
顔色一つ変えず頭部を失った体がゆっくりと地面に伏せるのを確認したカルアは、顔についた返り血を拭った。
「どうしました、伝導師カルア」
「今、粛清を行いました」
娘たちの悲鳴を聞きつけたのか、カルアとよく似た制服に身を包んだ男たちが駆け寄ってきた。
カルアの藍の制服とは違う、濃紺の服に身を包む彼らは、ちらりと死体に目をやると、カルアに笑顔を向けた。
「町に平穏が戻ったのですね。お疲れ様です」
「これで聖女ナディアの教えが町の隅々にまで行き届くことでしょう」
がっしりとした体格の中年の男二人は、年下のカルアに向かって恭しく頭を下げた。
聖女ナディアの教えを広める伝導師の地位は、彼らよりずっと高かった。ましてカルアは史上最年少で栄えある伝導師の地位についた身である。ナディアの信頼も厚く、実の娘のように育てられたカルアに向ける視線は、崇敬の色があった。
「あとの始末は我々にお任せください」
「お願いします」
ナディアの保護区となった町には、五人以上の教徒区員が常駐している。こうして適正な粛清が行われると、伝導師に代わり彼らが死体の片付けをしてくれるのだ。
血がついた鎌をぬぐい、しまおうとしたカルアは、震える娘たちに気づいた。
「大丈夫ですか?」
「ひ…ぃ…っ」
心配そうに近寄ったカルアに、先ほどまでカルアの顔を見て頬を赤らめていた娘たちの口から悲鳴が漏れた。
青ざめ、カタカタと震える体。
その目は、信じられないといいたげに見開かれていた。
「ひ、人殺し……!」
カルアの服についた血を見た刹那、娘のひとりが耐えきれなくなったように叫んだ。
「貴様……! カルア様に向かって無礼な口を!」
気色ばんだ教徒区員が剣を抜こうとした。
それをカルアは手で制した。ぐっと息を呑んだ男は、悔しそうな顔で柄を持つ手を離した。
カルアは何の感情も浮かばぬ目で娘たちを見つめた。けれど彼女たちは目を逸らして合わそうとしなかった。
軽く肩をすくめたカルアは、娘を助けようとしたときに手から滑り落ち、地面に散らばった包み袋を丁寧に拾った。娘のだれかが踏んでしまったようだ。足跡のついた袋には、お菓子がつまっていたようで、甘い匂いが鼻をついた。
中を確認したカルアは、大事そうに持ち、彼女たちに向かって一礼してから去っていった。
まとわりつく視線。きっと町の人たちのだろう。
窓の隅から伺うようにしてカルアを見つめる視線をいくつも感じた。
けれどカルアは臆することなく姿勢を伸ばして通りを歩いていった。彼らは怖がっているのだ。カルアはそのことを知っている。最初は優しく接してくれても、粛清を行ったあとはみな恐怖の色を浮かべて遠ざかっていくのだ。
「いつになったらナディア様の教えが浸透するのかしら……」
呟いたカルアは、恥じるように唇をほんの少しだけ噛みしめた。
それは禁句であった。
伝導師であるカルアが口にしてよい言葉ではない。
ナディアの教えが浸透するよう尽くすのが伝導師の使命である。いかに聖女ナディアが民を想い、愛し慈しんでいるのか伝え、保護区にいられることへの僥倖に感謝すべきだと訴える。
けれど公の場で声を張り上げても、ときとして伝わらない場合がある。迷い民とのいつまで経っても埋まらぬ温度差は、カルアの力量不足だからにほかならない。まだこの町は保護区に入って日が浅いせいか、ナディアに対して敬虔な心を抱いていないようだ。
しかしそれも今日限りかもしれない。
粛清を目にしたからには、ほかの都市のように従順になっていくだろう。
命が失われればその分だけ、民の心はナディア教へと傾く。なぜそうなるのか、その心理をカルアは理解しないだろう。
彼女はただ、ナディアの教えを広め、それに反する者が現れれば首を斬るだけだからだ。
そっと相棒を持つ手に力を込めたカルアは、無表情だった目に少しだけ悲しげな色を宿した。
(ナディア様の教えを守れば命はとらないというのに……)
人はなぜ愚かな行動に走る者が多いのだろう。
聖女ナディアに保護されていれば、光に満ちた暖かい平穏なときを過ごせるというのに、あえて反抗的な態度をとる者はあとを絶たない。
ナディア教を悪と罵り、伝導師を殺りく者と貶める声は、密やかに広まっているのだ。
その根源を根絶やしにしても、それは掌から零れる砂のようなもの。零れた砂は砂漠のように埋もれ、どこまでも果てしない永遠の戦いをみせる。決して相容れぬ存在なのだ。
聖女ナディアに従うことに否と唱える彼らの存在が、カルアには厭わしい。
ナディアの素晴らしさを知らぬ彼らの腐った耳に向かって、ナディアの素晴らしさを声高に主張できればどんなにすっきりするだろう。
ナディアを語るには一言では難しい。それこそ一晩かかっても言い尽くせないだろう。その稀な存在こそが奇跡であり、女神の化身のような方なのだ。
慈愛に満ちあふれ、常に民の幸せを願う聖女ナディア。
彼女に救われた者は多い。彼女の言葉は胸に染み渡り、暗闇を切り裂く一条の光のように照らしてくれるのだ。
カルアもそのひとりであった。
いや、カルアの場合は少し特殊かもしれない。一族を蛮族に殺され、生き残ったカルアをナディアは実の母のように慈しんで育ててくれたのだから。感謝しきれないだろう。
「伝導師カルア……ああ、こちらにいらっしゃいましたか」
息を切って駆け寄ってきたのは、先ほどの男たちと同じ制服に身を包む教徒区員の男だった。
「どうかしましたか?」
「聖女ナディアより書簡が」
「ナディア様から?」
普段は冷静なカルアが双眸に喜色を宿し、声を上ずらせた。恥じらうように頬を染め、跪いて書簡を差し出す男からそっと受け取った。
ナディアの印が刻まれた封を手早く切り、中を確認する。
「――ダントン、私はこれより聖地ハーエルへ向かいます。旅の支度をお願いします」
「なにか遭ったのですか?」
緩んだカルアの表情から察することができなかったのだろう。男の顔つきが少し険しくなる。
それに気づいたカルアは、照れを隠すかのように空咳をした。
「ナディア様及びに聖地で生活なさっている方々は平和にお過ごしです」
「ならばなぜ……。カルア様がいらっしゃらなければ、秩序も保たれません。聖女ナディアの教えに背く無法者をだれが粛清できましょう」
「安心なさい。すでに代わりの者は向かっているとのことです。私が戻らなければ、その者を次の伝導師として受け入れなさい」
「しかし……っ」
「ダントン」
カルアの声が低くなった。
男は顔を強ばらせ、わずかに身を固くした。
「二度はいいませんよ」
「も、申し訳ございません」
ダントンは地面に額をつく勢いで頭を下げた。
護り手である教徒区員が聖職者の伝導師に反論するのはありえないことだ。
そもそも人数がさほど多くない伝導師がひとつの都市に留まることはないのは教徒区員が一番よくわかっていたはずである。
教徒区員は、ただ伝導師の命を諾々と受け入れる存在だ。ダントンのように口答えしようとしたのは非常に珍しかった。
もしカルアがほかの伝導師のように非情に徹することができたのなら、先ほどの罪人と同じように首をはねていただろう。
けれどダントンがいかに聖女ナディアに対して忠実であり、伝導師に対しても心血を注いでいるかを身に染みて知っているだけに躊躇する。
ましてナディアは、教徒となった者が命を落とすことを憂えていたのだ。聖女ナディアは教徒を我が子のように愛し、慈しみ、心を砕いているのだから。
すぐさま非を認める相手に対し、命をとるなどという暴挙はできなかった。なによりもナディアの悲しむ顔をみたくなかったのだ。
書簡を大切そうに持ったカルアの心はすでにこの場にはなく、ここからずいぶんと離れた聖地にいるナディアへと飛んでいた。




