その三
蒼き国は表向き平穏であった。
警戒態勢に入りながらも、穏やかな一日が流れていき、民の間にも目立った混乱はなかった。華王の時代とは違い、国の周辺には高い塀があり、民も武芸の心得があるからかもしれない。
カルアはそんな民とは違い、どこかぴりぴりとした空気をまとっていた。今どうなっているのか状況が把握できなかったからだ。
「カ~ルア! 暇でしょ? 街へ行かない?」
突然部屋へ入ってきたシーファスに、お茶の用意をしていたアレイはゆっくりと元の位置に戻すとこめかみに青筋を立てた。
「シーファスさま! 何度申し上げればよろしいのですか? 淑女の部屋へいらっしゃるのなら、せめて扉を叩いてくださいませっ」
「え~、めんどくさ。いいじゃん、カルア姉ちゃんとは宿だって一緒に泊まった仲なんだし~」
「な……っ!」
アレイの顔が青ざめる。
「へ、陛下がお知りになったら……っ」
カルアに執着しているセラフィックのことだ。いくらシーファスといえども許さないだろうとアレイは考えていた。
「僕がどうかした?」
「うわっ」
シーファスの首根っこを掴んだセラフィックは、失礼するよと断りを入れてから足を踏み入れた。
畏まるカルアを制し、洗練された所作で長いすに腰掛けたセラフィックは、邪魔そうにシーファスを放った。
「ひっ、ひどっ! セラ兄様、なんだか俺への態度がぞんざいじゃない?」
「シーファス、胸に手を当ててよく考えてごらん?」
シーファスは素直に胸に手を当てるが、よくわかっていない様子であった。
セラフィックの耳に先ほどの会話は届いてしまったのだろう。シーファスに向ける笑みは冷ややかであった。
ひやひやとした顔で見守っていたアレイは、カルアの前でそれ以上の暴虐な態度は示さないのを知るとほっとした顔で三人分のお茶の用意をしにいったん下がった。
「え~、わかんないし」
むぅっと頬を膨らませるシーファスは可愛らしかった。まだ成長途中のせいかもしれないが、末っ子らしい自由奔放さは微笑ましい。
「ま、いいや。ね、カルア~、遊ぼうよ。俺、すっごく退屈!」
シーファスは、カルアの隣に座ると顔を覗き込んだ。
子猫というよりは、子犬のようないたいけな瞳を向けられ言葉につまったカルアは、どう返事をしてよいかわからず視線をさまよわせた。
「シーファス、あまりカルアを困らせてはいけないよ。それに僕がここへ来たのは、カルアにも会議に出席してもらおうと思ったからだしね。もちろん、シーファス、お前もだよ」
「それってついに仕掛けるの!?」
シーファスが興奮したように頬を紅潮とさせた。
「仕掛けてくるのはナディアだよ。つい先ほど同志から伝書鳥による連絡があってね。ナディアが教徒を引きつれてこちらに向かっているそうだ」
「ならば、逃げなければ!」
カルアは立ち上がった。
「逃げる? どうして?」
「なぜです! 民の命を危険にさらしてもよいとおっしゃるのですか! 十数万という民しかいない小国が、大陸の半分を掌握したナディア教の教徒たちに勝てるとお思いですか?」
珍しく興奮したようにそう言い放つカルアを面白そうに見守っていたセラフィックは、ゆっくりと口を開いた。
「負ける戦はしない。僕たちはずいぶん前からナディアに牙を剥くために用意をしていたんだ」
「……!」
「カルア。なぜ数多の国々がナディアの保護区に甘んじていたと思う? なぜほかの宗教は身を潜めていたと思う?」
「それは……ナディア教の教えに感銘を受けたからです」
「そうだね。伝導師ならばそういうだろう。けれど、それはずいぶんとお気楽な考えだね。伝導師や進んで教徒となった者には、暗示がかけられているけれど、無理やり保護区に置かれた国々はどうだろう。さすがのナディアも伝導師や教徒を使って表面上だけ押さえつけているだけではないかな」
「そん、な……」
はずはないと反射的に返そうとしたカルアだったが、粛清を行ったあとの民の顔を思い出せば、自ずと答えは見えてくるだろう。しょせん伝導師は、恐怖政治のように武力を持って支配していたのだ。反する者には死を与え、反抗する気を失せさせていた。
「だから僕は、ナディアの保護区に置かれている国々と接触し、密やかに同盟を結んだんだ。幸いなことに、ナディアは蒼き国を外交のない閉ざされた国だと思いこんでいたようだしね。伝導師にも気づかれることはなかったよ」
そのとき、支度を終えたらしいアレイが戻ってきた。お茶の用意をしようとするアレイに、必要ないとセラフィックが声をかける。
「アレイ、君もカルアと一緒に来るんだ」
「畏まりました、陛下」
アレイが呼ばれるということは、侍女ではなく闇の一族としての彼女が必要なのだろう。顔を引き締めたアレイは一礼した。




