その二
ナディアは蒼き国の王――華王に祖国を滅ぼされた生き残りであった。
当時、蒼き国を狙っていた祖国の王は、豊かな地を手に入れようと攻め入ったのだ。蒼き国は武力を持たない平和な国となめていた王は、思わぬ反撃をくらい、逆に攻め入られてしまったのだ。その爪痕はすさまじく、その地は今でも焦土と化していた。
祖国――アーベルンは、豊かとはいいがたい国であった。貧富の差が激しく、貴族たちが王のように振る舞う劣悪な環境だったのだ。虐げられた民の多くは逃げだし、国自体も傾いていた。
そんな国のまじない師の家系に生まれたナディアは、才能のなかった母親のおかげでずいぶんと零細な幼少時を過ごした。
けれどやがてナディアの美貌が開花されると権力を持った男たちが群がるようになった。
貧しい暮らししかしらなかったナディアは、若く美しいというだけで恵まれた生活を送れることを知ったのだ。それからますます己を磨き、どうすれば美が保たれるのか研究するようになった。
そんなとき家で見つけたのが禁書であった。先祖のだれかが記したのだろう。そこには、禁術とされる相手を呪う方法から、魂を現につなぎ止められる方法まで事細やかに書かれていた。
そして、ナディアは欲しかった禁術を見つけた。若さを保つ方法だ。ナディアは嬉々としたが、彼女ひとりでは若い娘を殺してその血を手に入れるのは難しかった。
そうして手をこまねいているうちにナディアは年を取り、だんだん男から相手にされなくなっていった。衰えた美貌に絶望していたそのとき、蒼き国が攻め込んできたのだ。ナディアは、その先頭を走るのが若い娘であることに気がついた。
美しい娘。
そして人あらざる者のように強かった。
まるで、そう。戦女神のようであった。
逃げまどう者の中、彼女の活躍を呆然と見ていたナディアに、ハルヴィが近づいてきたのだ。
『美しさは人を惹きつける。どうだ、わたしと組まないか? 貴女ならばあの娘以上に美しく輝き、多くの者を惹きつけることができるだろう』
美しく、という甘言にそそのかされたナディアは、彼の言葉に従った。
ハルヴィはナディアの家に伝わる禁書のことを知っていたのだ。聞けば、ナディアとは遠縁に当たるという。年はナディアより十五も下であったが、腕が立ち、学もあるハルヴィは何かと役に立った。
そして、彼は言葉巧みにナディアをアーベルンから連れ出すと、彼女が欲しがる若い娘の血を持ってきたのだ。
それを迷うことなく口に含むと、肌には艶とはりが出て、皺も見る間に消えていった。匂い立つ大輪の薔薇のような美貌を取り戻したナディアに、ハルヴィが教団を設立しようと提案したのだ。
ナディアの聖女のごとき微笑みと美しさがあれば、教徒を集めるのは容易かった。
けれどハルヴィは、それだけに満足せず、催眠効果のある葉を使って教徒を支配していった。
寝る前に必ずナディアの教えと称した祈りを捧げることで、自己暗示が強まり、彼らはいつの間にか盲信的な教徒になっていったのだ。噂は噂を呼び、慈愛深い聖女ナディアの名は広まっていった。
そうして三十年余りの月日が流れた頃には、聖ラザス教の教皇をも脅かす指導者となっていた。
「けれど、欲を出したのはあなただ」
ハルヴィは静かに告げた。
「そう、そうね……わたくしは復讐をしたかった」
祖国に愛着があるわけではなかった。
しかし、焦土と化した祖国をみてなにも感じなかったわけではない。母や父、そして兄妹さえも失ったナディアは、いつしか蒼き国も同じようにしてやりたいと思うようになったのだ。
だからこそ、兵士ともなりうる伝導師を育て上げた。兵士よりも強く、残酷で、ナディアの命令には絶対忠実の人形。殺してはならないと教えを説きながら、逆らう者は容赦なく切り捨てるという矛盾に気づかず、彼らはただひたすら純粋で従順だった。
「カルアは気づいてしまったのかしら……きっと気づいてしまったのね」
ハルヴィに問いかけるでもなく呟いたナディアは目を閉じた。
任務も遂行できぬまま戻ってきたカルアに元から異変を感じていたのだ。それでも糾弾できなかったのはナディアの甘さ。
「――ハルヴィ、支度をなさい。蒼き国を討ちます」
それはナディアの念願の夢であった。ようやくナディアは対抗できる力を身につけたのだ。
にやりと笑ったハルヴィは颯爽ときびすを返した。
ハルヴィはおよそ聖職者に似つかわしくない好戦的な人物だ。血を好み、争い事を奨励する。そんな人であった。遠縁だけあって血を好むところはナディアと似ているのだろう。
「わたくしはようやく心が安らぐのかしら……それとも、」
ナディアは曇り始めた空を見上げ、唇を噛んだのだった。




