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第七章 決意 その一

 その日、聖地ハーエルの教会内は慌ただしかった。


「ナディア様、用意が調いました」


 執務室に入ってきたのはハルヴィであった。


「そうですか……」


 ナディアはゆっくりと立ち上がった。


「まだカルアを庇うのですか?」

 ハルヴィの声には責める色があった。

 カルアが使者であり人質でもあったシーファスを連れ出して逃走したのはつい最近のこと。伝導師――それもナディアの寵愛を受けるカルアが謀反を起こしたこともあり、さすがに教徒たちにも動揺が広がるだろうと考え箝口令(かんこうれい)をしいていたのであった。

 保護区にある各国の教徒区員や伝導師には、カルアを見つけたらただちに聖地へと連れてくるよう命じたが、数日経った今も見つかったとの連絡がなかった。カルアひとりであったのなら、簡単に発見できていたかもしれない。

 けれど彼女の隣にはもう一人いる。謎に包まれた蒼き国の使者が。

 ハルヴィは彼にやられた首筋の痛みを思い出して顔をしかめた。

 己の腕前を教会一と自負していただけに、彼にああも簡単に落とされたのが癪だった。あれは人間の力ではない。化け物だ。あんな細い腕で、重い一撃を受けるとだれが予想しよう。

 尋問を受けていたときのふてぶてしさと普通の者なら死んでしまうような拷問にも耐えていた姿を思い出し、眉を寄せた。


「彼女は希有な獣族の生き残りですよ」


 ナディアは淡々と言ったが、その目は決してハルヴィを見ようとはしなかった。


「本当にそれだけですか?」

「何が言いたいの」

「カルアに情がわいたのではないかと」


 探るような目がナディアの一挙一動に注がれる。


「情……」


 ナディアは、真っ赤な液体を見つめた。

 まだ少し温かいそれは人の血であった。それはハルヴィが泣き叫ぶ世話係の娘ラネからしぼり取ったものだった。若々しい肌が羨ましく、ずっと機会を狙っていたのだ。

 都合いいことにナディアが血を飲んでいるところをみられ、飛び出ていった娘を罪人に仕立て上げた。

 ナディアを殺そうとした謀反者、と。

 そう烙印の押された彼女を消すのは造作もないことだった。これまで彼女のように姿を消した者は多くいる。だいたいがナディア付きの世話係であったが、それを不審に思う者はいなかった。

 ナディアは、銀の杯に入ったそれを一気に飲み干す。

 独特の味が、ゆっくりと喉を下ると指先まで心地よい痺れが走った。この血の持ち主の若さと美しい肌つやがナディアの全身を満たし、心まで若返るようだった。

 陶酔感に酔いしれたナディアはしばらくぼんやりとしていたが、やがて正気を取り戻すと染み一つない己の手を見つめ、わずかに口元を歪めた。


「わたくしはあと何年生きられるのかしら」


 彼女にはわかっていた。見た目は若さを手に入れても、寿命まで手に入らないことが。


「貴女は女神の化身。その身には永遠の命が……」

「嘘よ! 知っているくせにっ」


 ナディアは癇癪を起こしたように杯をハルヴィに投げつけた。

 かわすことも可能だったのに、彼は静かにナディアの怒りを受け止めた。カランと音を立てて杯が床に転がった。


「わたくしをそう仕立て上げたのはお前よ!」


 ナディアはハルヴィを睨みつけた。

 その顔に聖女と呼ばれ崇拝される優しい笑みはなかった。血走った目に宿るのは深い憎しみ。

 けれどハルヴィが反論しないのを知ると、口元を歪め、床に視線を落とした。


「わたくしはただ若くありたかっただけなのに……」


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