その三
それから教会を抜け、カルアはアシュに、シーファスは馬小屋から盗んできた馬に乗りながら、睡眠もとらずに平野を駆け抜けた。
こうして駆けている間に、シーファスが脱走したという情報が保護区に置かれた国や町に流れているのかもしれないのだ。
シーファスはまだ面が割れていないかもしれないが、カルアの顔に心当たりのある者は多いだろう。そのためカルアは目立たないよう染め粉で髪の色を変え、市井の娘たちが着ている服に袖を通した。
「あはっ、俺とおそろいだね」
黒く染まったカルアをみて、シーファスは嬉しそうに笑った。どうやらお気に召したらしい。
姉と弟という設定で旅をすることにしたのだ。
ちょうどシーファスは十五で、カルアは十六だから無理のない設定だろう。
凛とした容姿のカルアとどこかあどけない可愛らしいシーファスの容貌は、どちらも整っていることもあり、姉弟と偽ってもばれることはなかった。
「もう少し休まれたほうが……」
「姉ちゃん、言葉遣い! 俺たちは農夫の子供なんだから」
変装とかそういうやり方には疎いカルアを見かねて、すべてシーファスが考えてくれたのだ。なにを聞かれてもいいように、帳尻を合わせてあるが、なれないカルアはボロを出しやすかった。
本当なら男装のほうがよかったのだが、普段からそう見える格好をしているため、シーファスに娘が着るものを渡されたのだ。
鎌は、野菜などが入った大袋の下にいれてあるが、ひらひらとした裾がどうも気になった。胸元に髪を垂らすのもどうもむずむずする。
「それに俺ってば、治癒力高いしぃ~。もう痛くないもん」
平然と笑っているが、シーファスの傷は酷いものだった。
最初に泊まった宿で傷の手当てをしたとき、傷の具合をみて絶句した。背中は鞭で打たれたのか、斜めに走る線からはまだ赤い血がべったりと張り付いていた。
何度も傷つけられたのかえぐられた背は、醜く吐き気を催したくなるものだった。
手当を施したあとがないというのに膿んでなかったのは幸いだろう。
背中だけではなく、全身に細やかな擦り傷があった。中には、刃物と思われる傷も複数あった。
よくこれだけの傷を負いながら身軽に動けたものだとカルアは感嘆とした。
「蒼き国の民はみんなあなたのようなの?」
小声で問いかけると、シーファスが不思議そうに大きな目をぐるんと回した。鮮やかな緑色の双眸がカルアを見つめる。
「あれ? 聞いてないの?」
「なにを?」
「ふう~ん、まだか。んじゃ、俺も秘密! 俺はね、特別なの。いや俺だけじゃないか。とにかく特別なの! 姉ちゃんも特別だろ」
にしし、といたずらっ子のように笑うシーファス。
カルアは脱力したように肩を落とした。
少し変なシーファスであったが、へこたれない明るさはカルアにとって救いであった。
いろいろ考え込むことなく、ただシーファスを蒼き国へという思いだけが今のカルアを支えていたからだ。
農夫の子供が馬二頭持っているのも目立つからという理由で大きな街で一頭だけ売り払うと、だれにも怪しまれずに旅は続いた。
途中、何度か検問があったが、そこは弟たちに食べさせてやるために遠くの街まで売りに来たという息子を熱演したシーファスのおかげで乗り越えることができた。
そうしてシーファスの案内で死の森へ入ったカルアは、シーファスの指示に従いながらアシュを導いていくと、案外に早く国を囲む塀へと着くことができた。
「ああ、違う。そうじゃなくて、こっちね」
馬から下りたシーファスは再び森へと入っていく。
戸惑いながらあとをついて行くと、草木で覆われた斜面へとたどり着いた。
「ここが入口ってわけ」
シーファスは覆っていた草を退けると楽しげに笑った。
そこには、大きな洞窟のようになっていた。ハルヴィでも余裕で通れる高さと横幅があった。
これでは気づかないはずだ。塀のところには門扉など最初からなかったのだから。
「私が知ってしまってよかったの?」
聖地へ赴くために蒼き国を出たとき、カルアは目隠しをされながら運ばれたため、どこから出入りしたか知らなかったのだ。
「知らなかったの? んじゃ、覚えておきなよ。ほかにも似たようなとこが何カ所かあるし」
中は不思議と明るかった。
アシュを洞窟の中へ進ませると、入口を塞ぐようにシーファスが被せていった。
「明かりなど差し込まないはずなのに……」
「ああ、光り苔ね」
「光り苔……?」
「そ。暗闇の中で発光すんの。俺たちは光り苔って呼んでるのさ」
黄金というよりは、淡い月明かりにシーファスの瞳と同じ色を一滴落とし、混ぜたような不思議な色を放っていた。
足下だけでなく頭上も光り苔で覆われていた。
怖がるアシュに寄り添い、興奮しないようなだめながらゆるやかな坂となっている道を進むと、中は複雑に道が入り組み始めた。
けれどシーファスは迷う素振りもみせず、分かれた道のひとつを選び取っていく。
そのうち、ゆるやかだった斜面が上り坂となる。
しばらく進むと、今度は太陽の光と思われる輝きが見え始めた。
点のようだったそれは、近づくと大きくなり、やがて視界いっぱいに広がった。
「はい。到着~!」
シーファスは元気よく光りに包まれた外へ飛び出した。
そのあとを追い、アシュとともに足を踏み入れたカルアは、眩しさに一瞬目を眇めた。
慣れてくると、そこが街の中であることに気づいた。深緑色に塗られた屋根が印象的なここは、蒼き国の中なのだろう。
すっと視線を前へ向けると、ひときわ大きい城が見えた。緑の屋根ばかりの中に白亜の城は目立った。
そのとき、馬が駆けてくる音が聞こえた。
「シ、シーファス様!」
焦った中にも喜びを滲ませる声が、空気を裂いた。
その大声を聞きつけて、通りを歩いていた市民の足が止まった。
「シーファスさま!?」
「お戻りになられたのか!」
「ええい! そこを退かぬか!」
ざわめく市民たちをかき分けながら、姿を現したのは、ダーガ補佐官であった。馬から下りると、跪いて帰還を祝った。
「あ~あ、やっぱもう連絡行ってたんだ。ほんとうちの警備兵は優秀だよ」
「四六時中、塀に近づく者には目を光らせておりますので。……ところで、そちらの娘は?」
ダーガ補佐官は変装しているカルアのことに気づかないようだった。
「失礼だな。カルアだよ、ダーガ」
「は? こ、この娘がですか!? そういえば、そんなような……。うむ」
髪の色や服装でがらりと印象が変わるのだろう。しげしげとカルアを見つめたダーガ補佐官は唸った。
「ダーガ補佐官、王に至急お話ししたいことがあるのですが」
「そうだった。こんなところでのんびり話しをしているいとまはないな。陛下もお喜びになるだろう。カルア殿が去られ、どんなに荒れたか……いやいや、思い出すまい」
ぶつぶつと呟いたダーガ補佐官は、兵のひとりに馬から下りるよう命じた。
「シーファスさま、どうぞお使い下さい」
「ダーガにしては気が利いてるじゃん」
「は、はぁ」
苦く笑ったダーガ補佐官は、カルアもアシュに跨ったのを目に留めてから、行きますぞと声をかけた。
ダーガ補佐官は、通りを歩く民に向かって声を張り上げる。
「退け、退けぇぇぇぇ!」
広い通りを歩いていた市民は、その声に呼応するかのように道の端に寄った。何事かと目を丸くしている彼らは、いつもと違う雰囲気をかぎ取ってか、どこか不安そうな色を覗かせていた。




