第六章 蒼き国の使者 その一
――眠れなかった。
ほとんど休憩もとらずにアシュを走らせたこともあり、体は疲れていたが、ごろりと横になっても頭は冴えていた。
いっこうにやってこない眠気。
そればかりか、ナディアとの会話が何度も思い出され、カルアを悩ませていた。
しばらくして、起き上がったカルアは、窓辺に寄り、双月を見上げた。ここから見る双月は、いつもと変わらず白銀の色であった。
「神よ……もし、あなたが本当におられるのだとしたら、私にどのような道を進ませるのですか?」
獣族であった頃と違い、ナディア教の教徒となってから、カルアは神を捨てた。
いや、違う。
蛮族によって殺されていく仲間を見殺しにしながら母と走っていたカルアは、神に願っていた。
どうかお救い下さいと。
水なりの神、
火おこしの神、
日てらす神、
知っている神に願った。
何度も、
何度も。
けれど、神は無慈悲にもカルアの願いを聞き届けなかった。
そのときカルアは願う神を捨てたのだ。
あのとき、助けてくれたのは神ではなく、ナディアだったのだから……。
それでも今。
カルアはナディアではなく、神に尋ねていた。
問いかけても返る応えはないと知っていても、そうせずにはいられなかったのだ。
(主神ラザスならば、応えてくれるのかしら……)
なぜ、人は神をたたえるのだろう。
神は決してナディアのように生身ではなく、願いを聞き入れてくれるとは限らないのに。
カルアにはそれが不思議であった。それでも己の行動を振り返り、少しだけ神をたたえる信者の気持ちがわかったような気がした。
それは多分、本能なのだろう。万物の創世主たる神を敬うのは、神に創られた人間ならば当たり前のこと。神は親であり、人間は子であるのだから。
カルアは身を翻すと、月明かりが差し込む部屋の中を慣れた足取りで歩いた。 繊細な模様が彫られた衣装棚から、目当ての一着を探し当てるとそれに着替えた。
真新しい伝導師の制服はどこか動きづらさもあったが、着ていたのは洗濯中だから仕方ないだろう。本当はもっと地味な服がよかったが、ここにしまってある自分の服は、丈が合わなかったのだ。
相棒の鎌を背負ったカルアはぽつりと呟いた。
「なにが正しいのか……」
そっと首飾りに触れたカルアの視線は戸惑いに揺れていた。
だれを信じればいいのか。
なにを信じればいいのか。
もうカルアにはわからなかった。
けれど今はそう惑っているときではない。
蒼き国の使者を助けなければという想いがあった。セラフィックに連れて帰ると約束したのだ。決して違えてはならない。
カルアは、使者が囚われているのは地下牢かもしれないと見当をつけた。
懲罰室と呼ばれるそこには、ナディアの教えに背いた者がいれられることがあるのだ。
だれにもみつからないよう気配を殺しながら一階へ下りたカルアは、静まりかえった教会内を進んでいった。
地下へ続く入口横には、松明がたかれていた。そっと螺旋階段をくだっていくと、見張り番らしき話し声が聞こえてくる。少し酔っているのだろうか。呂律がまわっていない声であった。
二人は、カルアに気づいていなかった。楽しげな笑い声が薄暗い地下牢に響き渡る。
カルアは気取られないよう二人のすきをぬって奥へと進んだ。とたん、臭気が鼻を突く。
血の匂いと、腐爛したような匂いが混じり合い、湿気の多いかび臭さと嫌な相乗効果となっていた。
そんな異臭になれているカルアは顔をしかめただけで、人の気配を探ることに力を入れた。弱いながらも生きている気配を格子の向こうに感じたカルアは目をこらした。
暗闇の中では人がいるのかもわからない。
「使者殿……?」
小声で呼びかけるとかすかに反応があった。
「だれ?」
驚いたことに、問い返してくる声は若かった。声変わりをしたばかりのような幼さがあった。
「伝導師カルアと申します」
「カルア……ふうん、君が」
伝導師と聞けば警戒すると思ったが、とたん力強くなった声には、面白そうな色が宿っていた。
暗闇の中から突然二本の手が現れる。その手が格子を掴んだ。
「はじめましてカルア。俺はシーファス」
思ったよりも元気な様子に安堵する。気配が弱々しかったから、動く気力も残されていないと思っていたのだ。




