表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/40

第一章 わが名は伝(でん)導師(どうし)カルア その一

「――伝導師カルア。それが今日からあなたの名です」


 聖女ナディアから厳かに告げられたカルアは、ふっくらとした唇を戦慄(わなな)かせ、紫水晶のように透き通った美しい瞳を歓喜に潤ませた。


「よく、ここまで頑張りましたね」


 ナディアは慈愛に満ちた目でカルアを見つめた。ほっそりとした指先が、畏まるカルアの頬に触れる。


「ナディア、さま……」


 カルアの胸がふわっと温かくなり、言葉にならない感情が渦となって全身を駆け抜けていくかのようだった。


「これからあなたの道は辛く険しいものとなるかもしれません。けれど、わたくしはいつでもあなたの側にいて見守っていますよ」


 慈しみ深い声音がカルアの耳にすっととけ込んでいく。

 これまでの苦労がようやく報われたのだ。

 この日、彼女は親からもらった名を捨て、カルアとして生きることになった。

 ――伝導師カルア。

 それが今日から彼女の呼び名。


「わたくしの愛しい子……あなたの進む道にわたくしの導きがあることを」


 すっと顔を寄せ、カルアの額に唇を落としたナディアは、まさに神の御使いのような神々しさと(せい)(れい)な美しさがあった。内から輝くような真っ白な肌に、若葉のようなみずみずしい双眸が眩しいくらいで、彼女の背後にから注がれる七色の色硝子(ガラス)がさらに神秘的にみせているようだった。

 ナディアの美しさに魅入ったカルアは、彼女の言葉を噛みしめるように視線を赤絨毯へと下げ、深く(はい)した。


「今、このときより私のすべてを聖女ナディアに捧げることを誓います」


 左手を胸に当て、右手を拳にして床に押しつけたカルアは凛と言い放った。深く下げていた頭をゆっくりと上げ、どこか満足そうな顔をしているナディアを見つめる。

 カルアが会ったときと同じ……いや、それ以上に美しさを増したナディアは、熟した実のように赤い唇に柔らかな笑みをのせた。


「さあ、お行きなさい。教えを待っている者たちのところへ」

「はい」


 無駄のない動きで立ち上がったカルアは、踝まで伸びた外衣を颯爽と翻した。

 陽光がさんさんと差し込む聖堂には、色硝子の華やかな色合いが床に模様となって映し出されていた。その中をカルアは進んでいく。

 両脇には伝導師任命の儀式を見守っていた教徒たちが多くいたが、息を潜めているためしんっと静まりかえっていた。

 しかし、目立たないよう壁際に並んでいる彼らは、カルアを祝う気がなくてじっとしているのではなかった。通り過ぎていくカルアに目を注ぐ彼らの顔は、聖女ナディアのように誇らしげに輝いていた。

 伝導師の証である藍色の制服に身を包んだカルアは、まっすぐ前を向いたまま振り返ることはなかった。重厚な扉の前で立ち止まると、呼吸を落ち着けるように服の下にしまっていた首飾りに触れた。


「私はカルア……伝導師カルア……」


 そう呟くと、過去の自分と決別するかのように目を瞑り、大きく深呼吸した。そして次に目を開けたとき、紫色の瞳には強い意志が宿っていた。

 ナディアの手よりやや小さな掌で扉を押す。大人二人がかりでやっと開きそうなくらい巨大な扉は、いともたやすく開いた。ギィッと鈍い音を立てながらゆっくりと開いていく。

 目に染みるような青空が飛び込んできた。

 いい天気だ。

 カルアは魅入られたようにすっと足を踏み出した。

 とたん背後から歓声が聞こえた。

 カルアを讃える声だ。カルアが教会を出るまでずっと歓声をあげるのを我慢していたのだろう。祝福の歌をうたい、最年少で伝導師となったカルアを讃える声は、温かい渦となってカルアを包んだ。

 最後の最後でこんなに好意を示されるとは思わなかった。どちらかといえばカルアはそう好かれる存在ではなかったからだ。

 しかも最年少で伝導師となったことにより、教徒との関係も悪化していたと思っていた。

 それなりに、先に旅立った伝導師と同じように……いや、それ以上に喜びをあらわにしてくれる仲間の存在が、カルアは嬉しかった。けれどカルアの双眸はまっすぐ前だけに注がれ、応えるように振り返ることはなかった。

 後ろ髪を引かれないといえば嘘になるだろう。だが、カルアにはわかっていた。ここで迷えば先に進めなくなることを。

 背に手を回し、相棒である武器に触れたカルアは、小さく笑みを浮かべた。物言わぬ武器がなぜか頼もしく感じられたのだ。

 馬小屋へ向かったカルアは、荷物をくくりつけた白馬を見つけ近づいた。白馬も気づいたのか嬉しそうにいなないた。


「アシュ、やっとナディア様のお役に立てるときが来たわ」


 天鵞絨(ビロード)のようなしっとりとした手触りを楽しみながら、長かったと独り言のように呟く。カルアがナディアに助けられてから十年の歳月が流れていた。


「行こう、アシュ。ナディア様の教えを広めないとね」


 馬小屋から白馬を連れ出したカルアはひらりと跨った。そのまま軽く腹を蹴ると、馬は心得たように駆け出した。

 びゅんびゅんと風が吹き抜けていく。

 手綱を巧みに操るカルアの顔は微かに上気していた。その顔にあるのは、見知らぬ地へ赴くことへの不安ではなく、ナディアの教えをひとりでも多くの者に広めたいという熱意だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ