第五章 聖女ナディア その一
翌朝、カルアはアレイが来る前に身支度を整えた。ここ数日寝込んでいたのが嘘のように体は軽く、身動きが楽であった。
カルアはアレイが洗ってくれた伝導師の服に袖を通すと、背中に流れる青灰色の髪を頭上高く結わえた。背中に相棒と荷物を背負えば準備万端であった。
太陽がゆっくりとのぼりはじめると、部屋の中にも陽が差し込み明るくなった。
「まあ、どうなさいました!」
しばらくして部屋に入ってきたアレイは、カルアの姿を見た瞬間、驚いたように叫んだ。
「陛下に謁見したいのですが」
「……陛下はお許しになりませんわ」
アレイは、苦々しい表情で首を振った。
「私は知りたいのです。……知らなければならない。うやむやのまま放っておけば、私の中にすくった闇はもっと大きくなり、ナディア様を完全に信じられなくなってしまうかもしれない。私はそのことが何よりも怖いのです」
「わたくしはいやです。カルアさまを行かせたくはありません。もしハーミアのように帰ってこなかったら……わたくしは、わたくしは……」
アレイの双眸が潤みはじめた。
「もう、決めたのです」
カルアは頑なだった。
まっすぐな目を向けられ、折れたのはアレイであった。
「……陛下に伺って参ります」
アレイは目に雫をためたまま、きゅっと唇を噛みしめると身を翻して部屋を出て行った。
それからしばらくしてからアレイが戻ってきた。
「どうぞ、こちらへ」
許可がでたのか、アレイがカルアを謁見の間へと案内した。
「今日もいい天気だね、カルア」
体を横にし、悠々と足を伸ばしていたセラフィックは、王座から声をかけた。
こんなにも自分の心が乱れているのはセラフィックのせいでもあるというのに、よく眠れず夜を明かしたカルアとは違い、セラフィック顔色はいつも通り晴れやかであった。
「突然の申し出を快くお受け下さり礼申し上げます」
膝を折り、深く頭を垂れたカルアに向かって、セラフィックは穏やかに口を開いた。
「堅苦しい挨拶は抜きにして本題に入ろうか。その姿をみれば察しはつくけれどね」
「はい、聖地ハーエルへと一時戻りたいと思います」
ナディアが清廉潔白だとわかったら戻ってくるつもりであった。
今度こそ、憂いなく任務が遂行できるだろう。
「それは勝手だね」
セラフィックの声音は変わらず柔らかいというのに、どこか冷たい響きをのせていた。
「……重々承知しております」
そう言葉をしぼり出すカルアの声も硬い。
しばらくの沈黙ののち、セラフィックが仕方ないというようにため息を吐いた。
「もし僕の言ったことがカルアに変化をもたらしたのならば、それは大変喜ばしいのだけれど、はじき出された答えには納得できないな」
「お許し下さらないのですか?」
思わずカルアは顔を上げていた。
セラフィックの後ろに控えているゼフィストが無作法に眉を寄せていたが、カルアは気にしなかった。
「ふふっ、馬鹿だね」
セラフィックは艶やかに微笑んだ。
「僕には許す権利もないよ。そう――元からね。僕がどんなに願ったとしても、君がナディアの教徒であるかぎり、君を縛り付けるのはナディアの命令だけだ」
「では……」
カルアの表情が明るくなる。
アレイの言葉を聞いてから少し不安だったのだ。
もちろん、セラフィックが許さずとも無理やり城を抜け出すつもりであったが、未だに、塀から外へ出る出入口がわからない以上、抜け出すのは難しいだろう。
『カルア第一』を掲げているアレイも、セラフィックには逆らえないようだったので、どこに出入口があるのか訊いても答えてくれないだろう。
「ただし、条件をつけさせてもらうよ」
「条件、ですか?」
「そう、わが国の使者を必ず連れ帰ってくること。誓えるかい?」
「それは……」
カルアは言葉尻を濁した。
カルアの独断では決めかねる事柄だ。ナディアは承知するだろうか。
いや、しないだろう。
使者は、蒼き国でカルアが無事でいられるようにという人質みたいなものだ。
それでもここで頷かなければ、外へ出してくれないのは目に見えていた。
迷った末にカルアはその条件を受け入れた。
とたん、セラフィックは作戦が成功した子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「ああ、カルア! もうその誓いは二度と翻せないよ」
「もちろんです」
「確か、ナディアの教えでは嘘をついてはいけない決まりがあったよね」
「……はい」
セラフィックが知っているのは驚きであった。
まだカルアは教えを口にしたことはなかったからだ。思っている以上に、ナディア教の教えは広まっているのだろうか。
「ではカルアはこれからどのような事態に陥ろうと、使者ともに戻らなければならないわけだよね」
どうやらセラフィックはカルアがそのままナディアのもとに居座ってしまうと思っていたのだろう。簡単に任務を放り出すと思われているようで、少し心外であった。
「君の姿を再び目にできる日が楽しみだよ」




