その三
「アレイ」
カルアの返答を聞いたセラフィックは嬉しそうにアレイを呼び、再び布を上げさせた。アレイはこうなることを見越していたのか、カルアを見ると申し訳なさそうに苦笑した。
入れ替わるようにセラフィックが近づくと、アレイは寝台の側に椅子を置いた。それにセラフィックが腰をかける。少し線の細くなったカルアとは対照的に、セラフィックは光り輝くように美しかった。木漏れ日のような暖かく、優しげな美貌は、王というより貴公子のような品のよさだった。
「ああ、顔色がいいね」
カルアの顔を見つめたセラフィックは安堵したように表情を緩ませた。
「とても心配したよ。政務に忙しくて、今日までお見舞いに来られなかった。許しておくれ」
「そんな! もったいない御言葉です。私は、陛下に温情を賜るような存在ではないと認識しておりますが」
「それは君が伝導師だから? まさか。僕は君が悪魔であろうと気にしないよ。ナディアは好いていないけれど、君のことはとても大好きだからね」
突然の告白にカルアは頬を赤らめた。
お世辞だとわかっていても、魅力的な少年から言われて動揺しない娘はいないだろう。
まして、蒼い双眸は吸い込まれるほどに煌めき、カルアの心を惹きつけた。視線を離さずじっと見つめられれば、その気がなくとも胸が高鳴るのをとめることはできなかっただろう。
カルアはその瞳から逃れるように視線を外すと、困惑ぎみに呟いた。
「なぜですか? 私は陛下に好意を受けるようなことは何も……」
セラフィックは柔らかく微笑んだ。
「君は、自分に流れる血がどんなに尊いか考えたことはある?」
「え――?」
「獣族は、その存在自体が希有で素晴らしいけれどね」
「どうして……っ」
どうしてセラフィックがそのことを知っているのだろう。
カルアは別に隠していたつもりはないが、その事実を知る者はナディアを含めてほとんどいないだろう。
獣族の生き残りであることを公にするということは、命の危険にさらされるということだ。ナディアから聞いた話では、未だに獣族を欲している権力者も多くいるという。
獣族の力を手に入れて、戦いを有利にしたいのだろう。もしかして、セラフィックもそう考えるひとりなのだろうか?
愕然とした顔で固まるカルアの頬にセラフィックが触れた。壊れ物を扱うかのような繊細な触れ方に、思わず身を引きそうになった。
「ねえ、ナディアを慕うのはなぜ?」
優しい問いかけ。
宝石のように美しい蒼の双眸が、カルアを見つめていた。その深い色を宿す瞳に魅入られたように視線を今度はそらせずにいると、たたみ掛けるようにセラフィックは言葉を紡いだ。
「彼女が君を助けたから? 世話をしてくれたから? わが子のように深い愛情を与えてくれたから? たったそれだけで簡単に人を信用してしまうの?」
「っ、あなたに何がわかるんです! 知らないくせにっ。なにも……」
「知らないのは君のほうだよ」
くすくすとおかしげに笑ったセラフィックは、まるで小さな子が癇癪を起こしたのを優しく見守る母親のような顔で、残酷な言葉を吐いた。
「勇猛な戦士であり、大陸全土の憧れの存在であった獣族が死に絶えたのは、蛮族のせい?いいや、違う。すべてはナディアが仕組んだことだ」
呆然とそれを聞いていたカルアだったが、胸に手をやった刹那、そこにある首飾
りの存在を思い出し、自分に触れる手をはたき落とした。
寝込んでいたのが嘘のように体が軽くなっていた。まだ少しだるいが、それでも手足は鉛のように重くはなかった。
「わが誇り高き一族を穢れた炎で焼き殺したのは蛮族です! 私は蛮族が母様やほかの者を殺すのを見ましたっ。彼らは卑しくも私たちが使う井戸に痺れ草を投げ入れて、満足に体が動かないすきを狙って矢を放ったんです」
水を飲もうとしたカルアは異変に気づいた母親に止められて、影響を受けずにすんだのだ。
状況を察して逃げる親子に向かって、蛮族は容赦なく矢を放った。すでに周りは阿鼻叫喚の世界であった。
あれほど猛々しかった獣族が、満足に力を発揮できぬまま、次々と倒れていった。女も……小さな子供も、みんな蛮族の放った矢に討たれて死んだ。微かに息のある者には、槍を突きつけ、息の根を止めたのだ。
カルアはそれを見てしまった。仲間が死に絶えていくのを泣きながら見ていることしかできなかったのだ。
逃げる途中で母を喪い、それでもカルアはひとりで走った。『生きなさい』という母の言葉がカルアを支えていたのだ。
そうして己の限界まで走り、気を失いそうだったところを救ってくれたのがナディアであった。
彼女は一目で状況を見て取るとそばにいた伝導師に警戒態勢をとるよう命じたのだ。
血を流しすぎたカルアがナディアの腕の中で気を失い、次に目覚めたときは、獣族の暮らしていた集落は炎に包まれていた。
赤々と燃え上がるそれをカルアは呆然と見ていたのだ。
「これが証拠です。ナディア様は、蛮族の印が刻まれているとおっしゃいました」
カルアは服の下にしまっていた首飾りを取り出した。
自分に刺さった矢から矢じりを抜き、穴を空けて首飾りにしたのだ。恨みを忘れないために、一族の無念を心に刻むために。
けれどナディア教の教徒となったカルアに復讐は許されないだろう。
保護区に置かれない限り、どんな悪人であろうと命は奪ってはならないと定められているからだ。それにナディアは復讐をよしとはしなかった。復讐は何も生まないと諭し、ナディア教の十の誓いを教えてくれたのだ。
「これが蛮族の?」
子細に眺めていたセラフィックは、困ったように瞳を揺らした。
「斜めに走った二本の線が蛮族の印であるのならば、だれでも作れると思わない?
僕は蛮族の象徴となる印は知らないけれど、これがそうだというならば、同じものをつくるのは容易いね」
「なぜそこまでナディア様を愚弄するのですか!?」
「僕はただ正論を述べただけさ。可愛いカルア。君は目に入る事実しか見ないし、耳に入る情報しか知らないからね。この世にはね、手に入れたいものがあるならば、どんな汚い手を使おうとかまわない者もいるんだよ」




