その三
出て行ってからそんなに時間が経っていない部屋に戻ると、円卓は綺麗に片付けられていた。
けれどそこに、アレイの姿はなかった。
アレイと会うことに、やはり緊張していたのだろう。
肩の力を抜いたカルアは、長いすに座り込むと苦く苦笑した。
(結局なにもできなかったわ……)
そっと背に手を伸ばし相棒を掴んだカルアは、幼子が母親にすがるように胸に抱きしめた。
幾人もの血を吸ったはずの鎌は、二年経っても色あせることなく白銀の輝きを宿している。
ナディアがカルアのためにと特注でつくらしたものだ。
九割を男が占める伝導師見習いの中にあって、剣をうまく扱いこなせなかったカルアを見かねてか、いろいろな武器をためさせてくれたのだ。
その中で一番相性がよかったのが柄の長い鎌であった。柄が長ければ、大柄な伝導師見習いたちにも引けをとらず戦うことができたのだ。
剣では、どうしても手足の短さが不利であった。
逆にその低さをいかして相手の懐に入り、一撃を与えることもできたが、普通の者より力が強いカルアには加減ができず、重症を負わせてしまうことがしばしばあった。
なので、接近戦にならなくてよい鎌は便利であった。
この鎌があったからこそ、伝導師になれたといってもよい。
「ナ、ディア、さま…………、ナディア様……ッ!」
命など惜しくない。
もとよりナディアに捧げる命だ。
怖いのは、ナディアの信用と信頼を失うこと。
期待に応えられない自分が嫌なのだ。
「カルアさま――!? どうなさいました? 気分が優れませんか?」
酷く焦ったような声でそばに駆け寄ってきたのは、席を外していたアレイであった。
「まあ、大変! すぐに侍医を呼ばなければ。ああ、どうしましょう」
身を翻そうとしたアレイの手を取って、カルアは首を横に振った。
「大事ありません」
「そのような青白いお顔で言われても説得力ありませんわ」
アレイはあきれ果てたように笑ったが、それでもカルアの意志を聞き入れて、その場に留まった。
「部屋を出て行かれたあと何かございましたか? この城の者が無礼を働いたのなら、おっしゃって下さいませ。陛下の大切なお客様であらせられるカルアさまを傷つける者は、たとえ補佐官さまであろうと容赦いたしませんわ」
「……なぜ、そこまで親切にしてくださるのですか? この国のだれもが私に対していい感情を抱いていないというのに……。いくら王の命令とはいえ、アレイの細やかな心遣いには私を思いやる優しさで満ちています」
鎌を抱きしめたまま、じっとアレイの顔を見つめると、アレイは可愛らしい顔に花のような笑みを浮かべた。
そっとふわふわの絨毯の敷かれた床に両膝をついたアレイは、鎌を持つカルアの手に触れ、労るように覆った。
「陛下のご命令ではありませんわ。カルアさまがいらっしゃると聞いて、わたくし自ら志願いたしましたの。もとより陛下もそのおつもりのようでしたので、カルアさま付きの侍女はいち早く決まりましたわ。カルアさまをお世話するほかの侍女も、わたくしが決めさせていただきました。彼女たちはみな優秀で、心配りもできる方々ばかりです。カルアさまにご紹介しなければと思いながらも日ばかり経ってしまいましたわ」
「私はあなたと会ったことがありますか……?」
知り合いでなければ世話を買ってでないだろう。
けれどカルアには見覚えがなかった。
「いいえ、昨日お会いしたのが初めてです。けれどわたくしはカルアさまのことを存じておりました」
「わた、しを……?」
「伝導師カルアさまではなく、カツェラさまという少女でいらっしゃった頃から存じております。もちろん人づてにではありますが」
「人づて……? 私のことを知っている者……」
それはだれかと必死に思い浮かべようとしているカルアを遮るように、アレイが問いかけた。
「カルアさま、ハーミアはどこへ行ったのでしょう?」
「――っ!」
アレイは優しい笑顔を浮かべていた。
それが空恐ろしく感じるのは、ハーミアを知る者に会ったせいだろうか。
「ハーミアは、生きているとお思いですか?」
柔らかな問いかけ。
それでもどこか詰問するような鋭さが残っていた。
ごくりと知らず唾液を飲み込んだカルアは、一瞬肩を揺らし、顔から表情を消した。
「ハーミアは教徒区員の世話係として、今もどこかの教会か教区で働いているはずです」
「それは教祖さまがおっしゃったのですか?」
間髪をいれず問い返されたカルアは、言葉に窮した。
ナディアが?
記憶を探ったカルアは、ゆるりと首を横に振った。
「いいえ、違います。ナディア様ははっきりとおっしゃいませんでした」
ハーミアが教徒区員の世話係であると決めつけたのはカルアのほうだ。
ある日を境に姿を消したハーミアをカルアは訝しく思いながらもナディアに深く問い詰めようとしなかった。
なぜならハーミアと喧嘩別れをしてしまったからだ。
そのせいもあり、ハーミアのことを極力考えまいとしていた。
「では、ハーミアの行方をどなたもご存じないのですね」
「!」
カルアの胸にちくりと痛みが走った。
それはあえて考えないようにしていたことだ。
「……ハーミアは生きていますっ」
カルアは自分にも言い聞かせるように言葉尻を強めた。
「アレイはなにが言いたいのですか?」
「……察していますでしょ? ハーミアは、月に一度は絶対に便りを寄越したのに、三年前の……そう、ちょうど雪が大地を覆う頃を最後に便りが途絶えました。カルアさまはなにかご存じではありませんか? なにが、遭ったのか」
「! し、知りませんっ! 私は知らない……っ」
否定しながらもカルアの脳裏に浮かぶのは、三年前のあの日。
『ナディア様、ハーミアが……!』
『どうしました? カツェラ』
ナディアにすがり、吐露してしまった。ハーミアの裏切りを……。
カルアの顔から血の気が引く。
「カルアさま、」
「ハーミアが悪いのよ。ハーミアが……!」
カルアはカタカタと震えた。部屋の中は暖かかったのに、自分の周りだけ空気が冷えていくようだった。
「ハーミアはナディア様を侮辱したわ。……恐ろしいっ。ナディア様がそんなことをなさるはずないのに……。ハーミアは私と同じくらいナディア様に忠誠を誓っていたのに。どうして、どうして……? ハーミアはナディア様を裏切ったのよ。私は、わたしは……っ」
そして、ハーミアを裏切ったのは自分。
秘密だと、恐怖に震えながら打ち明けてくれた親友を裏切ったのは自分。
ナディアには言わないと約束したのに、カルアはハーミアの暴言に耐えきれずナディアに喋ってしまった。
「カルアさま……? カルアさま!」
異変に気づいたのはカルアの顔を覗き込んでいたアレイであった。
自分のしでかした失態にようやく気づいてか、大声でほかの使用人を呼んだ。
「だれか! だれがいませんか!? 侍医をすぐここへ」
声に気づいた馴染みの侍女が、アレイに命じられて慌てて部屋を辞した。
「ああ、どうしましょう。わたくしの落ち度ですわ」
カルアの焦点の定まっていない双眸を呆然と見つめたアレイは、辛そうに顔を歪めた。
「カルアさまも苦しんでおられたのですか?」




