デッドリーワーカー 〜都で外道を斬ってます〜
“外道が巣食う都の闇。暗闇響く女の悲鳴。川に流る散花は、拾う者無し。片棒担ぎし大間抜け。棒を担いで、尻は拭えるか”
◆
重い鎧を忙しなく鳴らし、街道を走る。前方にはやる気なさ気な同僚と、更にその先には俺の上司が居た。ガチャつく鎧は警笛代わりに丁度いい。
こんな鎧でよく走れるな、と周りを見渡す。しかし、皆真っ赤な顔をしていた。運動不足のせいだろうか。かく言う俺も大差はないのだろう。あまり余裕はない。
赤い顔して走る警笛鳴らし。さぞかし滑稽に映っていることだろう。
前方に見えてきた人垣を、上司が大声を上げて掻き分けて行く。俺達もそれに続き、中心部へと向かった。
人が集まっていたのは水路のようだ。水路の事件だというと……あれしか無いよなぁ。
「ーーこれは酷いな」
「ーーこれで何人目だ?」
「ーーたしか……八人目だな」
その声で納得がいった。やはりあの事件だ。
「おい、ロイ!」
体長が俺を呼ぶ声が聞こえる。酷い怒鳴り声だ。怒られるのかと思ってしまうじゃねえか。
なんでしょう、そう返事をしながら向かう。返事が適当すぎたのか、少し目線が厳しくなった気がする。
「おそらくこれは“上”にいく。会議場の準備をしとけ」
案の定、これは本格的な捜査が入るらしい。
“連続婦女暴行殺人事件”の犯人も、少しやり過ぎたようだな。
八人目の被害者は、少し歳がいった女性のようだ。裂傷や刺し傷はない。所々青くなった肌、死因は首にある肌に巻き付く痕から判るように、首を絞めたのだろう。
豊満な体に文字通り濡烏の艶髪。そこで思い出す。確か妹が噂していた女性に、この女の様な見た目をしていたのがいた筈だ。
たしか和国から来たんだったな……それで、確か薬屋の嫁だ。
婿さんが東に伝わる“漢方”なる薬の修行に向かった時、現地で一目惚れしたんだそうだ。嫁さんも薬屋の熱心な求愛に応え、ここ“大星都”で夫婦で薬屋を開いたとか聞いたがーー。
「非道えもんだ。新婚女房をこんな目にあわす野郎はーー」
「ーー無駄口叩かないでいけ!」
軽く手を合わせ、俺は詰所へ走っていく。またしても走らされるとは……実は俺の事嫌いじゃないよな?
詰所に着いた俺は、同僚や若い奴に声をかけ、俺は会議場の準備を進める。騎士団の詰所は、昔に作られた物だけあり立派な物である。今ではこうは行かないだろう。なんたって“無能騎士団”なのだから。
別に無能なんじゃなく、自警団が働き過ぎているだけなんだけどな。まあそういうわけで、現場から押し退けられ、俺達の主な仕事は書類整理ぐらいしか無くなってしまったわけだ。
なので今建てようとしても、反対をくらって建てれないだろう。
「ーー会議を始める」
用意を終えボーっとしていると、いつの間にか会議が始まっていた。
騎士団警備部門隊長と自警団団長が、並んで会議を進めていく。多分仕事なんて無いだろうからぞんざいに聞き流す。
「ーー今事件の最有力候補は一代貴族であり、大商の『ヴァスコ・パンカーロ』」
……『ヴァスコ・パンカーロ』? 何処かで聞いたような。
そうだ! 確か前に女奴隷と高級店の食事を奢ってくれた奴だ。その代わりにその日の書類をちょちょいと……。
確かあの日は……女の行方不明日とされる日じゃねえか!?
あれ? やばくね?
バレたら俺の騎士生命が終わる。どうにかしなーー。
「ーー報告です! 被害者家族らがヴァスコを相手に裁判を起こしたそうです!」
あっ終わった。
◆
晴々しい空だ。反対に俺の心は曇天模様だが。
広場で抑揚がない声が響き渡る。冷たい印象の男は紙を仕舞い、裁判官達の横へ戻っていく。
「被告人をーー」
全員が席に着き、裁判が始まった。裁判官が起訴状を読み上げ、その他にも色々話していく。その間、民衆に混じったり裁判席に座っている被害者の関係者は、顔を真っ赤にしてヴァスコを睨んでいる。いぽうヴァスコは、それを何処吹く風と笑顔で聞き流している。
良心的にはヴァスコは負けて欲しい。しかし、無職はキツイ。妹養わなきゃいけないのに。
「ーー間違いはないか?」
罪状任否を求めてくる裁判官に、ヴァスコは自信満々に答える。
「勿論ありますよ」
色めき立つ民衆。席から立って突っ込みそうな奴も居る。ヴァスコは自信満々に言ってのけた。
「まず、私には全ての日にアリバイがあります」
「アリバイ?」
「はい。騎士団の記録を見てもらえれば分かります」
「ーー馬鹿な!」
彼を見た、と証言していた男が叫ぶ。他にも目撃証人はいて、その書類がなければ敗色濃厚だっただろう。
「緑月の八十五日、私は飲食店で食事をしていました」
ーー俺の書類じゃねえか!
「他にもーー」
次々とヴァスコは、アリバイとなる書類を羅列していく。
裏を知っている俺としては、それだけ騎士団が腐敗しているか判るだけに哀しい。
「ーーどうですか?」
「判決はーー」
騎士団の書類という物は、絶大な効力を持っている。爵位を持つというだけで、保証になるからだ。
騎士が書いた書類というだけで、誰が書いたのか。そういうものが一切関係なくなり、証拠となる。
そして、騎士団員は巡回で起きた出来事を、全て詳細に書かなればいけない。
何処を周り、何処に行き、何時に出て、何時に帰ったか。
そしてーー誰に会ったか。
改竄が行われたと知った時の上司の顔は、まるで修羅の如く。バレたら殺されそうだ。
しかしまあ、一先ずは安心だな。噂によると犯人は捕まったらしい。
自分で罪を認めているようだ。まあヴァスコの捨て駒だろうけど。しかしこれで無事解決。
好き好んで書類を調べる奴もいないだろう。
少し後味は悪いが、家に帰るとしよう。
被害者家族の怒号、啜り泣く声。それらを裏に流した裁判は、まさに阿鼻叫喚というべき様相だ。
俺はなるべく目立たぬよう、そっと家へ向かって歩き出した。
出迎えた家令に上着を預けると、奥から妹が出てくる。
「兄様。あの事件が解決したって本当ですか?」
お帰りの挨拶ではなく、開口一番に問いかけてくる。しかしそれを咎めるものは居ない。
家はそこん所は緩いからだ。
そして俺も一々文句を言う性分でもない。ただ兄より事件をとった事が、少し悲しいだけだ。
「ああ、犯人は貧民街に住む清掃業の青年だった」
「ヴァスコという方は違ったのですか?」
「彼は書類によりアリバイがある」
妹は「なるほど」と呟く。
身内に騎士団がいるせいか、妙に探偵紛いの事をしたがる。まあ俺としては、危険な事に首を突っ込まなければ、特に問題はない。
「ーー旦那様。お食事の準備ができております」
「ああ、そうだったわ! 今日は活きのいい魚が入ったんですってーー」
事件の事はどっかに吹っ飛んだのか、明るい笑顔で今日の食卓について楽しそうに話している。
現金なもんだ。と苦笑しながら、俺は妹と歩き出した。
◆
街を夜の帳が覆い隠す頃。しかしまだまだ飲み足りない時刻でもある。
しかし妹はぐっすりのはずだ。家は健康的な生活を心掛けているからな。
「妹は、寝たか?」
「はい旦那様。しっかりと寝ています」
それを聞き、俺はほっと胸を撫で下ろす。
「あいつの潔癖症にも困ったもんだな」
「そういう年頃でありましょう」
そう言われれば、自分にも下品な話が全く駄目な頃があったな。と言っても、女と男じゃ感じるもんは全然違うんだろうけど。
「日が昇る前には戻って来る。頼んだぞ」
そう言って玄関を出る。家令は無言で頭を下げ、見送ってくれた。
ーーさて行くか。
魅惑の娼館へ!!
やはり土地的な問題なのだろう。貴族街と色街では場所が離れている。馬に乗れば早いのだが、妹に感付かれる可能性がある。
まあのんびりと歩くのも嫌いではない。特に夜となれば。なので、退屈なわけではなかった。
そうして歩いていると、前方に見慣れた後ろ姿を見つける。
白髪交じりの刈込まれた後頭部。思秋期に入ったと思われる外見をしているが、その肉体は鍛え込まれており衰えを感じさせない。
確信を持った俺は、そいつに声をかける。
「おい! グレン!」
そう言うと、赤ら顔で振り返ってくる。
皺が深く、巌のような顔。やはりグレンだった。
「んー? おお、ロイか」
「どうしたんだよ。こんな夜更けに」
「そのまま返してやりたいが、まあ少し火遊びでもとな」
奇遇だな。俺がそう呟くと、グレンもしたり顔でニヤリと笑う。
丁度いいので、一緒に向かうことにした。
「今日は何処行くつもりだったんだ?」
問いかけてくるグレンに、自信満々に答える。
「もちろん『黄金と花』だよ」
「ははっ、やっぱりなぁ!」
予想はしていたのだろう。
まあ一番の大手だ。皆大抵あそこに通う。
いい店なんだが……問題が一つあるんだなぁ。
「あの“女”が居なけりゃなぁ……」
「……いうんじゃねえ。そういう時に限って呼ばれるんだからよ」
……確かに。噂をすれば影。謗り者門に立つ。話題にすれば、呼び込んでしまうものだ。
こういうのを“言霊”とか言うらしい。
「とりあえずあの女の話はなしだ」
「おうよ」
そんなことを話していると、いつの間にか着いていた。
色とりどりの灯火。窓からははだけた女が手招いている。店に入るも出るも男。
活気に満ちているが、その騒がしさは妖しさを感じさせる。
「ま、入るか」
「そうだな」
そう言って店に入る。
ロビーは広く、部屋の隅には待機する場所があり、そこにはソファーと酒場。
手慣れた様子のグレンと共に、カウンターにいる老紳士に声をかける。まあこんな所に働いているんだ。紳士とは程遠いはずだ。
「今日はどれにいたしますか? 上から『月下香』、『茉莉花』そして『咱夫藍』となりますが」
「うーん。少し贅沢する、か。」
悩む素振りを見せるグレンだが、すぐさま決断する。
「『茉莉花』でお願いするぜ」
「かしこまりました。後ろの方は?」
……うーむ。正直悩んでいる。
一応貴族なもんで、金はそこそこある。しかし、うーん。最上級の『月下香』はいくら貴族でも財布にきつい。
「俺も『茉莉花』で頼む」
「かしこまりました。しばしお待ちください」
そう言い休憩所に手を向け、老紳士は店の奥へと消えていった。裏方に注文を伝えに行くのだろう。
俺とグレンはソファーに座り、適当に話をする。
「グレン、おまえ……贅沢して『茉莉花』かよ」
「おいおい。“少し”っていったろ? 本気出せば『月下香』だっていけるぜ?」
「ホントかよ」
馬鹿にするように呟くと、グレンがムキになって返して来る。
グレンと仲良くしているのは、軽い言い合いが楽しいからだ。まあそれ以外の理由もあるが。
ーー仕事仲間でもあるしな。
ひとっきり笑い合うと、話すことも無くなる。
無理に話題を作るような、気を使う間柄でもない。二人でなんとなしにぼうっとし、時間を潰す。
しかし来ない。何時まで立っても呼びにこない。
「なあ」
「なんーーいや、いうな」
分かっているだろうけど、その可能性を認めたくないのか。
しかし俺は、半ば確信のようなものを抱いていた
「現実を見ろ。これはーー」
「ーーロイ様、グレン様。準備が出来ました」
グレンを説き伏せてやろうとした瞬間。老紳士が被せてくる。
老紳士の後ろには二人の男。似たような意匠の服を着ていた。
俺とグレンは顔を見合わせ、次いでグレンの顔は綻んだ。俺も悪い予想が外れて、つい顔が緩む。
俺達は老紳士に言われるまま、男達の後をついて行く。
歩き出して数分。すぐおかしいことに気がついた。
何時までも部屋につかないのだ。しかもグレンと俺は未だ別れずに、同じ道を歩いている。
まずこの娼館は、品位が三つに別れている。それぞれ花の名前がつけられ、つく娼婦の質も違う。
そして高い程、上の階の部屋をあてがわれるのだ。
俺達が選んだのは中間の『茉莉花』だ。なのですぐ着くはずだったが、未だにつかず、更に上階へと向かっている。
もしかしたら部屋が空かなくて、部屋だけ『月下香』なのかもしれない。
そんな淡い期待は、グレンと共に連れて来られた部屋で、粉々になった。
最上階の特権客専用の部屋。
通常なら一客の俺達は、部屋の前に立つことすら許されないだろう。しかし俺達は何度も足を運んだことがある。
それは偏に、共通したある仕事をしているからだ。
「よー来たねぇ」
ベッドに腰掛け、怠そうに話しかけてくるのは、この店のオーナー兼最高級娼婦ーーエレナだ。
この街の男は、誰もがこの女を抱くことを夢見ている。……俺達以外の誰もが。
一番の稼ぎ頭となったエレナは、上からこの店を任され、更にはある仕事を任された。
「仕事だよ。ーー今回の標的は『ヴァスコ』。依頼人は被害者家族だ」
ーー仕事とは、殺しである。
“大聖シャルケル王国”により、世界を一つに治められた。それにより戦乱の世は火を消し、平和な世となる。
だからこそだろう、極端に難しくなった殺しを代行してやる者が現れた。
裏社会に住む者しか知らない、人は彼等をーー仕事人と呼んだ。
「こいつは“連続婦女暴行殺人事件”の真犯人でね。腐った男だよ、女の敵だね。替え玉を用意して、罪を逃れたつもりらしいが、そうは許されないーー」
よっぽど腹に据えかねているのか、延々とヴァスコに文句を言っている。
知らなかったとはいえ、片棒を担いでしまった俺は少し肩身が狭い。隣を見ると、グレンも困ったような表情を浮かべている。
こいつも関与してやがったのかーー。
「何だあんた達、変な顔して」
やべ、気付かれたしまった。
誤魔化そうとするが、残念なことにグレンは致命的に下手だった。
「い、い、いいいや? ななんでも、ねええよ?」
「下手くそか!」
つい突っ込んでしまった。
「……あんた達、なんか知ってんのかい?」
「いや、なんでもーー」
「ーー話な。さもなきゃ妹にバラすよ」
ーーこのアマ!
なんと事だ。この女、とてつもなく恐ろしい。
「あんたもだよ。あの事、バラされたくないだろう?」
グレンも弱みを握られているらしく、青い顔をして震え上がっていた。
「わ、わかった話す!」
「お、俺もだ!」
エレナは無言で顎をしゃくる。
マスは俺から話し始めた。
「実はだな! 少し前のことなんだが、ヴァスコが女奴隷を連れて詰所を訪ねてきたんだ。それで食事に行かないかというのでついて行ったんだが……まあ食事に誘われることなんか珍しいことではないシ? まあ嬉々としていったんだけど……そこで頼み事をされてな。ある日、私とあっていた事にして欲しいと言われたんだ。まあ、それがだな。……あの証拠となった日でだな」
「あんたヴァスコを庇ったのかい!?」
「違うんだ! 知らなかったんだ!」
エレナは凄まじい勢いで怒鳴ってきた。夜叉だ。夜叉が居よる。
「ーーで? あんたは?」
「あ、ああ、俺だな? 実は数日前からヴァスコに雇われていてだなーー」
正直グレンは俺よりひどかった。俺は知らずに手を貸したからしょうがないとして。しょうがないのよ? 釈明の余地は多分にあるわけだ。
グレンはズッポリ浸かってた。もう片棒どころじゃない。棒どころか駕籠ごと持ち上げてやがる。
「ーーじゃあなんだい。あんたは女の子が攫われて、更に乱暴されているのを知っててヴァスコに雇われていたのかい!?」
「俺は参加してない! ただ護衛と言われただけだ! そんなことしていると知ったのも、暫く経ってからだ!」
「最低だよあんた達!」
その言葉に俺とグレンは苦渋の表情を浮かべる。
いや、俺は悪くない。だって知らなかったんだもん。
「いやまってくれ俺はーー」
「ーーあんた達、今回は報酬減額だからね!」
エレナのその一言に、俺達は揃って叫び声を上げる。
「これとそれとは関係ないだろ!?」
「そうだそうだ!」
「だまらっしゃい! この女の敵が!」
どうやらかなりお冠のようだった。
ならばせめてと、俺は交渉に入る。
「せ、せめてだ! 今回の料金は無料にしてくれ!」
「……呆れた」
「そ、そんなこと言わずに! 今月キツイんだよ!」
勿論嘘だ。わたくし、貴族ですから、ハハハ。
ただでやられて堪るかクソババア。
「はぁ……しょうがないねぇ」
「おお! さすがエレナ! まるで月湖の女神ウルシラ様の如く広い心を持っているな!」
褒められて悪い気はしないのか、すこし表情が柔らかくなった。ちょろいんだよババア。
達成感を胸に部屋を出る。グレンは悔しそうにこっちを見ていた。
ココが違うんだよ、ココが。自分の頭とグレンの頭を指し比べてやると、グレンの顔がより一層悔しそうに歪む。
俺は勝利の余韻に浸りながら、部屋の外に待機していた老紳士に言った。
「あっ、やっぱり『月下香』に変更で」
「ーーふざけるんじゃないわよ!」
◆
“大星都”の一区。その職人街の一角に、金槌の音がカーンカーンと、切裂くように響いていた。
金槌を叩く男の所作は、淀みなく滑らかで、熟練された技能を感じさせる。
それを見つめる、一匹の鳥。変哲もない、街を回る小鳥だ。
男は小鳥に気付き、叩くことを止めた。
金属を叩く音が反響し、潮を引くように静まり返っていく。そのうち部屋は、轟々と燃え盛る炎の音しか聞こえなくなった。
「……なんか用か?」
男は戯れか、小鳥に声をかける。
堅く岩の様な男だった。赤茶色の手入れされていない髪、前掛けがはち切れんばかりの筋肉に包まれている。身長は低いが、それが彼をより一層、太く強靭に見せた。
男はドワーフだった。山の森の近くに住む“長髭族”とは違う。山の高い所に住む“茶髪族”だった。
「仕事だ」
部屋に響く第三者の声。それは鳥の声だった。
可愛らしい小鳥の鳴き声とは似ても似つかない、暗く鬱々とした声だ。
「詳細は明日の夜、エレナお嬢の私邸で」
「了解した」
男は一言だけ返し、火に燃料を追加する。
爆竹のような破裂音を立て、鍛冶窯はますます燃え上がる。
「頼んだぞ、『ダン』」
鳥はそう言い残し、窓から飛び立っていった。
◆
夜の遊郭は賑わしい。呼子の声、男の沸く声、時たまに悲鳴も聞こえる。
しかしこの屋敷の中では、その喧騒が何処か遠くのようにしか聞こえなかった。
そしてまた、女の悲鳴が聞こえる。
「今日は随分と悲鳴が多いな」
「遊んでるだけさね。取り合いでもしてるんでしょう」
「いつの日か、侍らして練り歩きてえもんだな」
吐き捨てるように言うと、エレナとグレンがそれぞれ返して来る。
侍らせばいいじゃねえか。グレンに言ってやろうとした瞬間、部屋唯一の扉に人が立つ。
遅くなった。そう言いながら入ってきたのは、ダンだった。煤汚れた前掛け、焼けた肌に短く太い体、変わらない格好だ。
「おせえぞ」
「すまない」
「あんたも相変わらず若いねぇ。何か秘訣でもあるのかい?」
ただの種族の差だと思うんだが、何時の世も女は若さにこだわるものだ。
脱線しかけた話を戻すように、さっさと本題に入るよう促す。
「あーごめんね。じゃあ入ろうか」
「早くしてくれ」
エレナは頷き、垂れる蝋燭の隣に金貨を五枚置く。
「報酬は金貨二枚と銀貨二十枚。いつも通り山分け……といきたいけど、残念だねぇ、ロイとグレンは減額だ」
「残念と思うなら、元通りでもいいんだがな」
悪戯っぽく笑うだけで、エレナは淡々と机に並べていく。そもそも残念とすら思ってないだろう。
「ほら、一枚ずつに八枚ずつ。標的は“蜜雌屋”にいるよ。大広間の歓待室だ。いい御身分だねぇ、やり方は各自自由に、ほらいったいった」
銀貨を懐に仕舞い、俺達は席を立つ。
部屋を出ようとした所で、エレナがあっと声を上げ、俺達を引き止めてこう言った。
「最近そこに客取られているんだ、なるべく血生臭く殺してきな」
いい根性してやがる。
俺は振り向かずに片手を上げ、二人と共に部屋を出て行った。
◆
蜜雌屋は和風建築の娼館だ。
和国の伝統衣装である着物とか言うものを娼婦に着させ、薄紙を貼り付けた引き戸の向こうに待機させている。
裏には和国伝来の意匠を込めた庭があり、それを眺められる位置ーー特等席、いや特等部屋? ーーにヴァスコのいる歓待室がある。
大広間には奴の関係者を呼んで、不祥事の後始末でもしているんだろう。
そして歓待室には、どう見ても堅気じゃない連中が五人いた。
手を貸した冒険者の五人と、大本のヴァスコが丁度集まっている。
そこにグレンが入っていく。俺は物陰に隠れ、そのやりとりを見ていた。
「旦那久しぶりだな」
「おお、お前か」
話に聞いた所、グレンは五人の手綱を引く係だったらしい。
やり過ぎないように。
つまりグレンが居なければ、五人は女を狩りにいけない。
ヴァスコもそろそろ限界だと思っていたのだろう。
グレンの「あいつらのガス抜きに行きましょうか」という申し出に、疑いもせず頷く。そしてグレンは、五人を連れて出て行った。
◆
夜の街、六人の冒険者が歩いていた。
五人は楽しそうに、何処に行くか話し合っていた。
「次は何処のやつにする?」
「おれ貴族の女とかやってみてえんだけど」
「いやそれやばいだろ? 無難に庶民街いこうぜ」
そう言い庶民街の方向へ歩いて行く。その後ろにいるグレンは、人気が無くなったと同時に動く。
最後尾の男の首に手を回し、抜くと同時にスチレットを頚椎に突き刺す。
突くことに特化した短剣は、さして抵抗を感じさせずに頚椎を貫いた。
この時点で気付かれていたのは、後ろの一人だけである。
グレンは踏み込むと同時に、腰から“喧嘩剣”を抜き放ち、振り下ろす一撃で頭を叩き割る。
やや広めの刀身を持つ刀剣は、その重さのままに頭を砕く。
何かを潰す水気のある音に、他の三人はようやく襲撃に気付いた。
「てめぇ! 裏切りやがったな!」
「老いぼれが! ぶっ殺してやる」
激高し口々に罵る男達。
グレンは薙ぐ一撃を後ろに跳ぶことによって避け、その狭い路地へと逃げる。
男達は何も考えず、怒る勢いのまま追っていってしまうのだった。
ーーそれが罠とは知らずに。
グレンは路地裏を出て町外れを走る。それを追い、冒険者三人は武器を片手に走る。
珍しく一直線の道。グレンの先にある空き家、その屋根の上に一人の男が立っていた。
男はーー投石紐を持ったダンであった。
「“鉛よ鉛よ《メダ=メダ》”」
ダンが呟く。
すると、彼の左手に黒い粒子が収束していく。やがてそれは、鉛球を形造った。
彼は右手に持った投石紐ーー山羊の革で出来たーーの小袋に入れ、頭上で振り回し始めた。
徐々に加速し、投石紐は頭上で円を描く。
ダンは抑えていた親指を離し、冒険者達へ放った。
頭を爆散させ、突き抜けた鉛は石畳を砕いた。
その音に振り向いた残る二人は、遠距離からの狙撃に怯える。
「おい! 伏せろ!」
「糞がっ! 隠れる所なんてねぇぞ!」
その隙を狙い、グレンが一人を袈裟懸けに斬る。
血を吹き出し絶命する仲間を見て自棄を起こしたのか、雄叫びを上げグレンに殴りかかった。
しかし届かず。
再び飛来した鉛が胸にめり込み、口から血と臓物を吐き出し、男は倒れていった。
後には「派手すぎるぜ」とダンに文句を言う声が、闇夜に溶けて消えていった。
◆
旦那。そうヴァスコに声をかけると、あっちは俺のことを覚えていたのか、「おお、騎士殿」と笑顔で部屋に入れてくれた。
俺は内密な話があると、物陰へと連れて行く。
「騎士殿、内密な話とは?」
「実はだな、あの事件の被害者が、なんでも人を雇ったらしくてな」
「ははは、そもそも見当違いですよ」
なおも犯人ではないと、とぼけるヴァスコに俺は言う。
「俺は分かっている。今更繕わなくてもいい」
その一言に、ヴァスコは真顔になる。
人のいい笑顔で騙される奴が多いが、実際に奴は恐ろしい人間だ。
……一代で巨万の富を築き上げる程度には。
「ーー本当ですか?」
「確かな筋からの情報だ」
悩むヴァスコに、俺は深刻そうな顔を作って小声で話す。
「実はだな、怪しい人影を先程見かけてな」
「ーーっ!? そ、それは本当ですか!?」
慌てるヴァスコを見ながら、俺は片手で魔法を発動する。
無詠唱で発動できる程度には、修練を積んでいる。
風を起こし、庭に物音を立てる。
ヴァスコを驚きの声を上げながら、音の先へ顔を向けた。
ーー今だ。
腰から俺の武器ーーエストックを抜き放ち、首を斬った。
何が起きているか分からない。そんな顔をしている。
ヴァスコの首を壁に向け、血が壁に掛かるよう調整する。
なるべく血生臭く、と言われたからな。
水濁音のような声で、ヴァスコは「貴様ぁ」と呟く。恐らくこいつは、俺の事すら下に見ていたのだろう。賄賂で手懐けられる、ちょろい騎士。そんな所だろう。
時間を掛けてもいい事はない。迅速な行動が、いい結果を生むものだ。
背中から突き上げるように、ヴァスコの肝臓を突く。
呻き声を僅かに上げて、ヴァスコは死んでいった。
庭を照らす石灯篭の灯りを、風を起こし消していく。
木々が擦れる風の音と水滴が石を叩く音が聞こえる中、俺は手を軽く合わせる。
「ーー完璧だな」
人が来る前に帰るとしよう。
俺は庭から外へ出て行った。
◆
「ーーそれで結局、ヴァスコが犯人だったの!?」
「ーーああ、なんでも娼館で死んでるのが見つかったらしいぜ」
街を歩く中、そんな声が聞こえてくる。
ヴァスコが死んで数日、再び調査が入った。書類の見直し、同時に発見された冒険者達の関係ーー。
騎士団と自警団が出した答えは、“真犯人はヴァスコ”だった。
「ーーそういえば、知っているか?」
「ああ、薬屋の倅、首を吊ったんだってな」
「まあ女房があんな目にあっちゃ、仕方ねえことかねぇ」
それからというもの、忙しくて仕方がない。
賄賂による不正を行った者の処分、攫われた女性達は奴隷にされていたらしく、その業者の検挙も行われた。
担当の時間も、そろそろ終わりだ。詰所に戻り帰る準備をしよう。
「ーーロイ、部屋へ来い」
しかし帰るなり上司に呼び出されることとなった。
「なんでしょう」
「お前の書類、書きなおされた後があるが、これは何時のものだ?」
「ああ、これはーー」
賄賂を受け取り、不正な書類を作った俺が何故無事なのかーー。
それは簡単だ。後で書き直したからだ。
しかし証拠にされている書類が見つからないとなると、更に調査が行われ結局の所見つかってしまうだろう。
だから俺の妹に色目を使っていた新入りのウィル君に、全て押し付けさせてもらった。
今頃の牢屋で無実を訴えていることだろう。ありがとう、多分忘れない。
納得した上司に別れを告げ、俺は家へと帰る。
今日は久しぶりのーー娼館通いの日だ。
◆
そうすると、またしても見た事がある奴を見つけた。
グレンだ。
「よう」
「……あ、ああ。ロイか」
浮かない顔をしている。
「実はな、捕まるはずなのに捕まらねえんだよ……俺が」
「ーーは?」
「事情聴取ぐらいは来るはずなんだ! なのにそれすら来ねえ! 不気味で仕方ねえんだよ」
……なるほど。
しかしその理由は俺が知っている。
なんて言ったって、グレンを救ったと言っても過権ではないからな。
「実はなーー」
「おおなんか知ってんのか!?」
「ーー書類改竄するついでにお前のアリバイも作っといたんだわ」
「へ?」
呆けたアホ顔を晒すグレンだったが、次の瞬間満面の笑みで肩をたたいてくる。
「おっま! 最高だよお前は!」
「ハッハッハ。だからお礼な?」
「今日は俺の奢りだ! あ、でも『月下香』は勘弁な?」
そう言って笑い合う。
二人で肩を組み、娼館へ向かおうとした時。
ーー聞こえてはならない声が聞こえた。
「ーー兄様?」「ーーお父さん?」
俺とグレンは固まり、恐る恐る振り返ると、そこには家で寝ているはずの妹がいた。
な、何故ここに!?
「……親切な人が教えてくれたの。貴女のお兄さんがここを通るわよって」
誰だ! 余計なことしやがった奴は!?
心の中で叫んでいると、グレンとグレンに詰め寄る少女の声が聞こえた。
「ーーお父さん! お母さんがいるのに何でそういうことするの!?」
「お、落ち着け娘よ。お母さんには内緒な? な? もうしないからさ、たのむよぉーー」
そんな会話が聞こえてくる。
というか、グレンお前ーー。
「ーー妻子持ちだったのぉ!?」
「うるせぇ! それどころじゃねえんだよ!」
口汚く罵り合う俺らは、それぞれ連れられ家に返されることになった。
グレンと共に引っ張られていると、路地裏の先に女を見つけた。
扇情的な衣服に身を包み、方に変哲もない小鳥をのせた女である。
女は、面白げに意地悪そうな顔で笑うエレナだった。
クソババア! そう声には出さずに罵りながら、俺は娼館禁止令を妹に出されてしまうのだった。