7 hometown―寺本紫―
今回のハードルは高い。
帰る時は、一応お土産を買うことにしている。父さん達は何でもいい、無くても構わないというスタンスだけど、弟達が五月蝿い。
買うものは食べ物。長時間のバスに乗るから、冷蔵しなくていいものか、クッキーやチョコみたいな日持ちのするお菓子。食べ盛りで質より量の弟達は味にこだわりがないので、食べられればとりあえず大人しくなる。だから、選ぶのはそんなに難しくない。数の問題は別として。
だけど、今回買うのは家だけじゃない。友達とか、…隼人に買った時も家と同じものか、もっとネタに走ったものだったけど、その人にそれは…という気がして、さっきから悩んでいる。
「紫、決まった?」
「…決まんない」
隣で付き合ってくれている友達、志穂の何度目かの問いに、はかばかしくない答えを返す。さっきからこの問答を何回繰り返したか、もう覚えていない。
「もー、早くしなさいよ。お土産なんてパパッと選んじゃえばいいじゃない。ひょっとして、今までずっとこんな風に悩んで買ってたの?」
「まさか!面白そうなやつか、私が食べたいなと思ったやつを選んで終わり。いつもだったらこんなに悩まない」
「いつもだったら?今回は何が違うのよ。渡す相手が増えたの?」
「うん。ね、二十代後半の男の人って、どんなお菓子なら喜ぶと思う?」
「二十代後半の男の人?甘いものが苦手じゃないとかだったら、そんなの適当に買えばいいんじゃないの」
「そうもいかないの。ちゃんと喜んでもらえるものにしたいし」
何せ向こうは喫茶店のマスター。食べられれば何でもいいみたいな弟達とは違う。
「メールでもして、何が好きか聞くのは駄目なの?」
「…知らないんだよね。連絡先」
知ってたとしても、多分気持ちだけでいいからと返ってくる気がする。
美里に聞いたから、吉川さんが和菓子も洋菓子も平気、むしろ好きなのは知っている。だけど、何にするかはまた別の話なのだ。
駅に直結したショッピングセンターにはたくさんのお店と、色とりどりのお菓子が並ぶ。あれもいい、これもいいと思いつつも、同じだけ、これでいいのか、もっといいのがあるんじゃないかと反対のことが過ってしまって決まらない。数が多いのも考えものだ。
「大変ね。あ、その人が紫の好きな人?」
「はい!?」
すっとんきょうな志穂の言葉に、思わず声が裏返ってしまった。
「だってさ、本当に喜んでもらえるやつにしたくて、しかも二十代後半の男の人で、多分何度か会ったことがあっても、まだ連絡先知らない。だけど渡したい。なんて、好きな人以外に考えられないじゃない」
「何でそうなるのよ。これはお礼。その人に、三月物凄くお世話になったから」
あの雨の日、吉川さんが通りがからなかったら、どうなっていたのか自分でもわからない。ただ、さらに悪い方へ追いつめられていたことはたしか。
一度お礼を言いにCrossroadには行った。でも、まだいっぱいいっぱいだった私は相当酷い様子だったらしい。後で、その時シフトに入っていた美里に言われた。
今も、隼人のことを吹っ切れたとは言えない。見ていない事故の光景を夢で見ては、何度も飛び起きた。叫びだしたい時も、辛い時もあった。とうに乗りこえたはずのホームシックにもかかりかけて、あの時の言葉はもう支えではないのだと、一人ぼっちの夜に泣いたこともある。
だけど、少しずつ感情に折り合いをつけれるようになってきた。今みたいに、何でもない日常を楽しむ余裕もある。
思っていた以上に、私は隼人のことが好きだったらしい。今さらになってわかってしまったそれを、笑うしかない。
「紫?」
「…何でもない。ちょっと思い出し笑い」
どこに向けていいのかわからない乾いた笑いは、なかなかおさまりそうもなかった。
「また休み明けに」
「うん。志穂、今日はありがと」
すったもんだの挙げ句、何とか吉川さんへのお土産は決まり、その後は志穂と夕飯を食べたりして時間を潰した。
志穂と駅の改札前で別れ、コインロッカーに預けていたトランクを取りだし、長距離バスのターミナルに向かう。普段なら気にならない地面の段差や凹凸に、キャスター付のトランクはガタガタ揺れた。
時間ギリギリまで志穂が付き合ってくれたので、ターミナルのトイレで歯磨きやらなんやらを済ませたら、乗車受付が始まるところだった。チケットを見せ、トランクを預けて指定された窓側の席に座る。
ほどなくして、バスが動き出した。
消灯はまだだけど、やることもないので目を閉じた。寝るには早いけど、他にすることもない。かすかな振動に身を委ねる。
懐かしの町までは約十時間。久しぶりに会える家族と友達。たくさんの思い出。そこにぽっかりと大きく空いた穴。
こっちなら隼人のことを知っている人はいないし、忙しさで思い出さないようにもできるけど、帰ったら、その大きな空白を見ないふりはできない。
何度も、帰るのをやめようかと思った。でも、そのたび夢みたいなあの花の雨がよぎった。ありえない、だけど、隼人しか考えられない奇跡。
あの一瞬が私の為に起きたのなら、応える為にも私は前を向いて生きていかないといけない。少なくとも、逃げる為に帰ることをやめにはできない。心配してる人も、帰りを待ってる人もいるあの優しいふるさと。辛いと思うのと同じだけ、帰りたいと私も思っているのだから…
…そんなことを考えている内に、いつの間にか眠っていたらしい。気づいたら朝になっていた。
携帯で時間を確認すると、もう少しで八時になるところだ。眠りから覚めた車内は、どこか慌ただしい雰囲気が漂っている。
カーテンを開けて外を見れば、見覚えのある場所だった。ここからなら、十分もすれば駅に着く。慌てて寝癖がついてないか鏡で確認して、服を整え、降りる準備をする。
ほぼ時間通りに着いたバスを降り、預けたトランクを受け取る。人の流れに沿うように駅までの道を歩いた。
まず行くのはCrossroad。吉川さんにきちんとお礼を言って、お土産を渡して、ちょっとだけ贅沢な朝のコーヒーを飲んでから、電車に乗って家に帰る。
帰ったら、その足でCrossroadに寄るのが半ば習慣になりかけている。それもあってか、帰ってきたんだなと一番最初に思うのは、その場所。窮屈な座席で長い時間揺られ、少しだるさの残る身体と重い荷物を引きずってその扉を開ける。
「おはようございます。いらっしゃいませ」
久しぶりの吉川さんの声を聴いたその瞬間に、帰ってきたと、私は思うのだ。