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Cafe Crossroad  作者: 音海
Cafe Crossroad
2/23

1 morning―寺本紫―


 ゆっくりとバスが停まる。


 それと同時に眠りから目を覚ました車内は、降りようとする乗客で一気に慌ただしくなった。

 終点だから乗り過ごすこともないし、何より、到着予定時刻よりもまだ少し早いのに。そう思いながらも、周囲の慌ただしい雰囲気は自分にも伝染していて、急ぎ手荷物のショルダーバッグを肩にかけてバスを降りる。ついさっきまで眠りの世界にいたのを無理やり引き戻したせいか、足元はおぼつかず、夢を見ているようでふわふわしていた。

 降りた先で、バスの運転手から下に積んだトランクを受け取る為の列に並ぶ。ひんやりとした朝の空気は予想以上に涼しく、肌寒さで、思わず体が震えた。


 ここでは、当たり前のことだった。


 夏でも朝は涼しい。時として、長袖を着たくなるほどに。十八年間ここで暮らしてきたのに、たった四ヶ月でそのことを忘れていた。昨日まで蒸し暑さで目を覚まし、無意識にクーラーのリモコンを押すのが日課で、この涼しさを懐かしがっていたというのに、だ。

 トランクを受け取り、他の乗客と同じように駅へと向かう。クーラーで乾燥気味の車内に長時間いたせいか、やけに喉が渇いている。目覚ましも兼ねてコーヒーでも買おうと、自販機を探す。

 ここから駅の途中に自販機ってあったっけと考えながら歩いていると、ふいに、コーヒーの微かな香りが鼻を掠めた。どこからだろうと立ち止まってきょろきょろ辺りを見回して、それに気づく。


 Cafe Crossroad


 雑居ビルの前。腰ぐらいの高さのイーゼルに立てかけられた黒のボード。白い文字で、店名と営業時間だけが書かれている。


「…また、喫茶店なんだ」


 思わずそんな言葉が口をついた。

 以前も、ここは喫茶店だった。小さい頃、祖父に連れられて何度か来たことがある。常連だった祖父は、彼より少し若く見える初老のマスターと親しげに話をして、私はその間、祖父が買ってくれた本を読んでいた。

 だけど半年前、私が町を離れる前に、マスターの高齢を理由に喫茶店は閉店していた。中学生の時に祖父が亡くなって以来一度も入ったことがなかったから、空っぽの店内と閉店の挨拶が書かれた紙をたまたま通りがかった時に見て、びっくりした。ずっとその店はあるものだと訳もなく思っていたのだから。

 そんな、感傷的な記憶と結びついたこの場所に新しくできた喫茶店。どんな店内で、どんな人が働いているのだろうか。それが妙に気になった。


 早く家に帰りたい。だけど、もう少しだけ、この感傷的な気分に浸ってみよう。


 そんなことを思いながら、店の扉を開けた。



…カラン


「いらっしゃいませ」


 軽やかなベルの音。それに一拍遅れて、穏やかで優しげな男性の声が店に入った私を迎えた。

 入り口の左側にあるカウンター。そこに、笑みを浮かべた二十代中頃ぐらいの男の人が立っている。白いシャツと、黒のタイにベストにエプロンにボトム。モノトーンの制服が、背の高さとスタイルの良さを強調している。


「お好きな席にどうぞ」


 そう声をかけられて一瞬迷った後、カウンターの一番端に座ることにした。足元、壁につけるようにして、トランクを置く。開店してまだ間がないからか、店内に他のお客さんはいなかった。


「どうぞ」


 水の入ったグラスと、おしぼり、メニューを渡される。メニューを開いて、迷わずブレンドコーヒーを注文した。


「かしこまりました」


 メニューを受け取ると、男の人は一礼して支度を始める。

 コーヒーを待つ間、手持ちぶさたから私は店内のあちこちに視線を向けた。白を基調にした明るく開放的な店内。壁には等間隔で水彩画の入った額縁が並び、片隅には観葉植物の鉢。

 窓の外に目を向ければ、通勤の時間帯だからか忙しげにたくさんの人が行き交っている。だけど、こちら側は静かでひどくゆったりとした時間が流れている。同じ朝のひとときなのに、たった一枚の壁を隔てただけで、こうも流れる時間が違う。


「おまたせいたしました」


 再びもたげてきた夢の世界に半ば浸っていたらしく、その声ではっと目が覚めた。コーヒーの香りが、鼻を擽る。

 静かにコーヒーが置かれた。次に小さなミルク入れ。コーヒーの黒い水面に、天井と自分の眠そうな顔が映る。


「こちらはモーニングです」


 コーヒーとはまた違う香ばしさを感じて顔を上げると、白い皿が置かれた。斜めに切られた厚切りのトースト、ゆで卵、サラダ。思わず、小さくお腹が鳴った。聞こえていたらどうしよう。恥ずかしい。


「飲み物を注文されたお客様に、朝のサービスとなります」


 確か愛知だったか。大学で出会った友人の一人が愛知県から来ていて、喫茶店にそんなサービスがあるようなことを言っていた。

 マスターは愛知県出身なのだろうか。それを聞こうと口を開きかけたその瞬間にカランとベルが鳴ってしまった。伝票を置き、ごゆっくりと言って、男の人は離れていく。

 チラリと入り口に目を向ければ、高そうなスーツを着た男の人が入ってきた。常連のようでカウンターの真ん中辺りに座ると、メニューも見ずブレンドコーヒーを注文して、その後も何かを話している。

 食べようと水を一口飲んでから、皿に手を伸ばした。キツネ色にこんがり焼けたトーストはほどよくバターが溶け外側はさっくり、中はふんわり。ゆで卵はまだ温かく、殻を剥いて塩を振る。サラダも野菜が新鮮で、ドレッシングがその味を引き立てている。

 食べてお腹が少し落ち着いてから、コーヒーを飲んだ。普段は缶かインスタントばかりだけど、それとは比べものにならないくらい豊かな香りとコク。だけど、飲みやすい。

 モーニングを食べ終えて、コーヒーを飲みほす。カランと、またベルが鳴る。食べてる間もベルは何度か鳴っていて、辺りを見れば、たくさんの人が朝のひとときを楽しんでいた。

 そろそろ行こうと立ち上がる。伝票とトランクを掴み、ショルダーバッグから財布を取り出して、入り口のすぐ横にあるレジに向かった。


「良い一日を」


 釣銭を受け取った時、にこやかな笑みとともに店員のその人に言われた。一瞬、視線が交差する。


「ありがとうございます。そちらも」


 そう笑顔で返して、扉を開ける。まぶしい夏の光に目を細め、今日もいい天気になるなと思いながら一歩を踏み出した。

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