0 prologue―吉川悟―
いつか自分の店を持ちたいと夢見ていた。
その夢の為、手頃な物件を探して不動産会社を回っていた時にばったり、その人に出くわした。
地主で多くの不動産や貸ビルを所有するその人、三國さんは、在学中からお世話になっているホテルのカフェバーに、毎月決まった日に来店される一風変わったお客様だった。後から知ったのだけれど、鉢合わせした不動産会社は彼が経営していた。
奥に通され、問われるがまま、三國さんに喫茶店ができる物件を探していることを話した。既に幾つか候補はあったけど、まだ決めかねている状態だとも。
「…吉川さん、これから時間はあるかな?」
「はい。ありますが」
「それならちょっと外に出ようか。他に見てもらいたい場所があってね」
そう言われて連れていかれたのが、駅前の雑居ビルにある喫茶メモリアルだった。
「いらっしゃいませ」
「やあマスター、いつものやつを二つ」
「かしこまりました」
三國さんはここでも常連だったらしい。程無くして、香り高いコーヒーが運ばれてきた。
「吉川さん、ここはどう思う?」
一瞬、そう切り出した三國さんの質問の意図が読めなかった。
だけど、コーヒーや店の感想を問われているのではなく、この場所を紹介されているのだと思い至るまで、それほど時間はかからなかった。
「…マスターはもう引退するつもりで、来年の一月末に契約が切れるから店を畳むつもりでいるんだ。
吉川さんの腕は知っているし、まだ場所を決めかねているなら、是非ともここで店を開いてもらいたくってね」
「……」
「あ、家賃なんかはこれくらいと考えているんだけど」
そう言われて提示された額は、他の候補よりも安いものだった。
破格としかいいようがない。
立地は抜群によく、家賃は相場よりもかなり抑えられる。魅力的な話だと思う。
だけど、誘いにのってしまえと囁きかける頭の片隅で、何かあるんじゃなかろうかと勘ぐってしまう自分もいた。ほぼ見ず知らずの若輩者なんて、いい鴨だと思う。三國さんを信じたいけれど、信じられる根拠はどこにもない。
どう返せばいいのか迷っていると、メモリアルのマスターが助け船を出してくれた。
「三國さん、すぐの返答は幾らなんでも無理ですよ。吉川さんだって色々な考えを持っているでしょうに。
吉川さん、何か裏があるんじゃないかと疑っているかもしれませんが、この人の裏なんてたいしたこと有りません。せいぜい、ここを贔屓にしているお客様から次も喫茶店じゃないと許さないとせっつかれているのもあって、必死になっているぐらいです。もちろん、それは三國さんの事情であって、あなたには関係のないことです。ただ、袖触れ合うも他生の縁と言います。これも何かの縁でしょうから、ここも候補の一つとして考えてあげてください」
「…わかりました。ありがとうございます」
確かに、これも何かの縁なのだろう。何度かお互いの時間が交差して、それがきっかけで繋がろうとしているのだから。
その交差という言葉が、それからも妙に頭に残っていた。