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僕がキノコを食べた日  作者: Eco-d
樹編 こんにちわのげぇむ
8/8

仕方ないだろ、確かにね

 そうして押し黙ったヨウコを、エスクレンタはなぜか神妙な面持ちで見つめる。真一文字に結ばれた薄めのくちびるとひそめられた色の濃い眉は、普段のちゃらけた様子からは想像できないほど凛々しく、細めたつり気味の目から見える赤い瞳は心なしか怒りを灯しているようだった。


 彼女の姉貴分は面倒見が良いキノコであり、同時に正義感が強い。長年連れ添った夫婦の思考が徐々に似てくるように、その性格は彼女自身にもすっかり浸透していた。


 困っている人を放っておけない性分だからこそ、先ほどのめちゃくちゃな扱いに思うところでもあったのだろうか。


 いいや、それはない。いくら彼女が正義漢を気取ろうとも、綻びかけの口許を見れば必死で笑いを堪えているのは一目瞭然である。


「ぶふぉっ!」


「エスクレンタ! 何笑っているのさ!」


 当然それに察しが付いていたヨウコの睨みに耐えかね、エスクレンタは吹き出して腹を抱えた。彼女の過呼吸寸前の不気味な引き笑いは、歯をむきながら感情を剥き出しにしているヨウコを余計に刺激した。


「いっひっひっひっひっ」


「だから笑うのをやめないか!」


 青筋を立てて声を張り上げるヨウコ。樹からすればそんな彼女の姿はつけ込む隙だらけであり、非常にからかいやすかった。


「だからうるさいって言ってるでしょ」


「なっ……まだ言うか……!?」


 幼い顔立ちにしては相変わらずハスキーな声色で悔しげにうめくが、その声は心なしか鼻にかかるような声だった。不思議に思ってヨウコの顔を見ると、彼女の黄色い瞳は涙に濡れてにじんでいた。


 まるで幼い子供のように力無い睨みを受けて、樹ははっとして息を呑む。じゃれ合いのつもりでおちょくってただけだったのだが、まさか泣くほど腹を立てていたなんて。


「ご、ごめんヨウコ。冗談が過ぎたよ……」


「――くっ……もういい」


 どこかふてくされたように吐き捨てると、庭を囲っているコンクリ造りの無骨な塀へと早足で歩み去る。樹の口からは彼女を引き止める言葉の代わりに、あっ……といううめきによく似た呟きが虚しく空に溶けただけで、彼女へと伸ばした手も空しく空を切った。


 今現在、樹の胸の内は罪悪感でいっぱいになっていた。別にこの程度の出来事で、彼女との仲に亀裂が入ることはないし、今後との付き合いにぎこちなさが残ることもないだろう。


 なぜなら友達だからだ。それゆえに明日にはきっと、くだらなくてしょうもない馬鹿話に花を咲かすことが出来るし、きっと笑顔で笑い合うことも出来る。それこそ一切のしこりも残さずに。


 しかしこのままなあなあにしたら、眠りにつくまで延々と良心の呵責に苛まれ続けるに違いない。だからこそ今の内に謝っておきたいのだが、困惑しきっていた樹はどうしても声をかけるきっかけが掴めないでた。


 それだからこそなんの気負いもないグランディの言葉は、樹にとって最高の助け舟だったと言える。


「ヨウコ、ちょっと待って!」


 基本的にマイペースなキノコ族に輪をかけて天然なグランディと言えど、今ヨウコにかけるべき言葉がなんなのかはわかっているはずだ。彼女を案ずる台詞や、樹との対話を提案するでもいい。


 なんにせよグランディのおかげで少なからずヨウコの機嫌は良くなるだろうし、とにかく今はありがとうや助かったなんて比べ物にならないほどの賛辞を送りたかった。すぐには思いつかないが、「よっ、カビの神様!」なんて称えるのも悪くないかも知れない。流石にそれは冗談だが。


 彼女は目元を袖で拭いながら振り返った。樹の気の持ち方一つというのはわかっているのだが、鼻をすする音さえも寂しげに聞こえた。


 グランディは片手を突き出し、優しげに微笑む。いつも閉じている目の目尻はより一層下がり、見る者に柔和な印象を与えた。


「はい、ヨウコ」


「え……」


 ヨウコは戸惑ったように声を漏らす。そしてそれは樹も同様だ。なんか思ってたのと違う、と。


 よく見れば突き出された右手は何かを握っているようであり、どうもそれを渡したいらしい。手を握っているためよく見えないが、すでにこの時点で樹の心の中に言い知れぬ不安感が湧き上がっていた。


 それがハンカチかなんかだと言うなら、彼女の涙をそれで拭くように促したあと慰めの言葉をかけるのだとするなら問題はない。むしろグッジョブだと言いたい。


 しかし樹にとっての不安材料はハンカチを持ち歩いているかという事ではなく、上手く和ませられるとかでもなく、簡易テーブルの上に先程まであったアレ(・・)がなくなっている事だ。それによってなんとなくこれからの展開が手に取るようにわかってしまう。


 そんな懸念をよそに、彼女は手に持っている物をヨウコに見せて口を開いた。


「忘れ物だよ」


「忘れ……物?」


 聞き返され、うんと大きく頷く。彼女の手の中にあったのは一枚の皿と一つのフォーク。それは間違いなくヨウコ自身のキノコから取り出したものであり、その証拠に白色を基調としたその皿には、はっきりと鹿のような角が二本描かれていた。


 しかしなぜそれを今渡そうとしたのか。キノコ族の少女達が携帯している本人専用の小さなキノコは名前こそ知らないものの、物理法則に囚われない便利な道具だと聞いた。


 それこそ胞子で物を作ったり、食べ物を保管したり。さらに胞子で構成された物質は破棄したり、特殊な場合を除いて長時間放置しておけば胞子として霧散するため環境を汚すこともないらしい。まさに彼女らの文明の利器だと言える。


「そ、それだけ……?」


「え? うん、それだけだよ。ばいばい、また明日ね」


 もう一度繰り返すがなぜそれを渡そうと思ったのか。違うとはわかっているのだが、どうしてもグランディがわざとやっているように思えて仕方がない。それにあれでは余計にばかにされたと感じてしまうに違いない。


 キノコっていうやつは、コケにされるのも間違われるのも大嫌いだと相場は決まっているんだ


 彼女と相対しているヨウコの肩がかたかたと震え、それに合わせて鹿の角もわなないた。


 樹の背中を一筋の汗が流れ落ちる。比較的暖かい空気に比べてそれはとても冷たく、思わず身震いした。


「うわあぁぁあああああ!!」


「おわっ!?」


 ヨウコはグランディの手にある皿とフォークを奪い取ると、庭の塀に向けて猛然と走り去る。そして塀にぶつかる直前、まばゆい光に包まれて姿を消した。


 それを見届けた後にグランディに視線を向けると、彼女は呆然とした様子で塀を眺めていた。


「ばかっ! ばかグランディ! どうして止めなかったんだって!?」


「そ、そう言われてもな……」


 彼女はしどろもどろになりながら視線を泳がした。本来は樹が根本的な原因のはずなのだが、そんなことは関係ない。悪いのは最初に問題を起こしたやつではなく、最後にへまをしたやつなのだ。


「まあまあ樹さん、そうカリカリすることではありませんよ。後で私からも謝っておきますから」


 チャミィは自らの長髪に指を通しながら、表情を特に変えることもなく言い放つ。プリンみたいな黄色い髪が風をはらんだ。


 その言葉に樹はため息をついた。それは呆れではなく、単なる弛緩によるものである。チャミィが言ってくれるなら、彼女もすぐに機嫌を直してくれるだろう。

 そもそもグランディの対応にはらはらしていただけで、ぴりぴりすることではなかったのだ。対した問題でもないのに過剰に加熱した点は反省しなければならない。


 しかしこれでなんとか問題は一段落した。だが残念ながら懸念はまだ残っている。それもとびきり大きく、鬱陶しいのが。


 樹は思い煩いながらエスクレンタを見やった。彼女は顔を真っ赤にしてお腹を抱えている。ぱっと見、高熱と腹痛の二重苦に襲われているように見えなくもない。


 だが心配する必要なんかは微塵もない。そもそも仲間意識の強い少女達が少しも彼女の身を案じない時点で察するべきなのだ。


 樹はもう一度ため息をついた。それは弛緩ではなく、単なる呆れによるものである。


「いっひっひっひっひっ」


「いったいいつまで笑ってんだよお前は!?」


 樹の叫びがこだますることはなく、愉快な響きを残して空に溶けた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 あの後もしばらく雑談を交わしてそれなりに時間が経ってから、長居しすぎたとの事で彼女達も帰っていった。


 庭に視線を這わすと、当たり前だが誰もいない。テーブルの一つもありやしない。しばらく前までなら普通の景色だったのだが、今ではなぜかやけに寂しく感じる。


「もう少しいればよかったのになぁ……」


 そのままなんともなしに空を見る。太陽は随分と傾いていて薄暗くなっていたが、まだ辺りは十分に明るかった。しかし気温もそのままとはいかず、昼過ぎよりもいくぶんか冷たい風を運ぶ。


 流石に部屋着のホットパンツとシャツだけというラフな格好ではいささか厳しい空気だ。首筋を撫でる冷気に大きく身を震わせ、ガラス窓をぴしゃりと閉めた。


 これで外界の空気を断ったはずなのだが、暖房器具の電源を入れていない誰もいない家の中は、外よりも不思議と寒く感じた。このままではたまったものではない。とりあえず自分の部屋に行こう。そしてふかふかのベッドに身を(うず)めるんだ。


 裸足のせいで足を進める度になるぺたり、ぺたりという足音が響く。家の中ではまず靴下を履くことがないために、それはいつものことである。聞き慣れたその音はとても不快で、しかしその反面心地よかった。


 自分の部屋に向かう途中、ふと最近奇妙な出来事が起きている事を思い出した。原因はわかってる、部屋に置いてある黒い石のせいだ。

 どうも近頃はあれを見てると、妙な焦燥感みたいなものに襲われるのだ。親指の爪ほどの大きさで、宝石にも劣らないくらい綺麗なそれを目にする度に、どうしてかはわからないが何かをしなければならないような気がしてくる。


 そこでふと、もしかしてそれは義務感みたいなものではないだろうかと思い至った。でもだとしたらなんの? そんなことはわからない。


 そういえば彼女達と出会ってからもうじきに半年が経つ事を思い出す。正確には後二週間ほどだが。しかしそれは関係ないだろう。あの石はどれくらい昔かははっきりとわからないが、ちっちゃい頃に拾って以来、自分の宝物として大事に飾ってきたのだ。


 キノコ族の少女達とは出会った時期が違いすぎる。


「ぶえっくし」


 大きなくしゃみを一つ。共働きの両親が帰ってくる六時頃までは後一時間もある。そして夕飯はさらに一時間ちょい。今日はいつもよりお腹が空いているため、晩ご飯がいつもよりずっと楽しみだ。


 階段を上りながら一人で呟く。


「キノコ料理が食べたいなあ……」


 キノコはちっちゃい頃から大好きなんだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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