キノコよりも熊よりな彼女
そこでふと、樹は軽い違和感を覚えた。すぐにその原因に思い至る事は出来なかったが、ササコがやって来た時に一人きりだったことを思い出して、ようやくそれの正体に思い当たった。
精神的に未熟なササコのそばには、彼女と特別仲が良い二人の内のどちらかがいるはずなのだ。それが今日はどうだろう、珍しい事にどちらもいない。もしかして何かあったのだろうか。
「え? お姉ちゃんならすぐに来ると思うよ」
どこか心配そうに尋ねると、ササコは特に表情を変えることなく淡々とした口調で言い放った。それから樹に向けていた顔を空に向けた後、何ともない様子で振り返った。
「あ、ほら来た」
樹は彼女と同様の方向に視線を向ける。ほんの少しの間を挟んで光る小さな物体が現れた。やはり光が邪魔でシルエットすらもわからない。しかしササコの言ってることが正しいのなら、あれはエスクレンタという事らしい。
光を振り払った彼女は、テーブルを囲んでくつろいでいるグランディ達を見付けると勢い良く駆け出した。
「ちぃっす! 美味そうなの食べてんじゃん!」
エスクレンタの手足には熊を模した着ぐるみが装着されていた。一見ササコのアーマーと良く似ている。同じグループに属しているとあって、趣味が似通っているのだろうか。
そう言えば性格も似ているなと樹はぼんやりと思った。どちらも明るく元気だし。ただし中身は似ててもそのスタイルは似ても似つかない。かたやメリハリのついた色気を感じる体型なのに対して、もう片方は動きやすいと言えば聞こえがいいがただの幼児体型。別にどっちがどっちとは言わないが。
「こんにちは、エスクレンタ。ちょっと待ってね……」
グランディはかたわらに置いておいた、ところどころ茶色味を帯びた白色のずんぐりむっくりなきのこを手に取る。それを床に向けると一つの椅子が飛び出した。他の椅子とはどこか色合いが違うが、大した問題ではないだろう。
エスクレンタは笑みを浮かべながらありがとうと礼を口にし、ヨウコの隣に腰を下ろす。座った衝撃でボリュームのある赤黒い髪が揺れ、熊みたいな丸い獣耳が見えた。
大きく開けた胸元からは、熊の肉球を模した刺青が覗いている。
「お姉ちゃん、食べる?」
ササコは食べかけのケーキをフォークで切り取り、エスクレンタの口元に運んだ。
彼女は美味しそうに咀嚼したあと、貰った分のケーキをお返しとばかりに食べさせた。
お前ら親子かよ、そんな突っ込みが樹の脳裏に静かによぎった。
瞬く間にお皿を綺麗にしたエスクレンタは、何も手にしていないヨウコを見ると、口に含んだ紅茶を飲み込んでから口を開く。
「あれ、ヨウコは食べないの?」
ケーキ、と続けると、ヨウコはぽんぽんとお腹を叩いた。
「私はもう食べたよ。それからずっと寝てたんだ」
「もう食べたのかよ。食いしんぼうだなあ」
すると彼女は心外そうにほおを膨らませる。エスクレンタがおかわりすればと言うと、ヨウコは顔を真っ赤にして憤慨した。
「もう二回おかわりしたよ!」
「食いしんぼうじゃん……」
二個目のケーキに手を付けながらササコが呆然と呟く。彼女も人の事は言えないだろうと、今ある物をさっさとたいらげて三個目のケーキを要求してくるササコに対して、グランディは密かに思う。
それにしても隣り合って座っているエスクレンタとヨウコを見ると、彼女たちが本当にきのこの妖精なのかと怪しくなってくる。
なにせエスクレンタは明らかに熊耳だし、ヨウコに至っては鹿みたいな顔で角もあるのに、執事服からはふんわりとした羊みたいな毛がはみ出ている。もう鹿なのか羊なのかすらはっきりとしない。
獣人とでも言ってもらった方がしっくりとくるくらいだ。
それらがどうしようもなく気になった樹は、疑問混じりの声色でエスクレンタに尋ねた。
「ねえ、君ってくまなの?」
それを聞くと彼女は首を傾げたが、すぐに樹の言わんとしている事に合点がいったらしく、手首から先だけを覆う着ぐるみの爪で熊耳を器用につまむ。いったい何をするのかぼんやりと眺めていると、あろうことか、自らの耳を乱暴に引っ張ったのだ。
樹は血が散る凄惨な光景を想像し、小さな悲鳴を上げた。そして樹の予想通り彼女の熊耳は頭を離れ、切っ先が尖った凶悪な爪につまみ上げられていた。
しかし血が吹き出すことはなく、当の本人も至って平然とした様子だった。目を凝らしてよく見てみると、片方の熊耳しか引っ張っていないはずなのに両方の耳が取れている。
どうやらカチューシャに熊耳を取り付けた物を装着していただけのようだ。猫耳カチューシャならぬ熊耳カチューシャとでも呼ぶべき代物らしい。
彼女は手に持つそれを愛おしげに眺めたあと、あっけに取られる樹ににこやかに告げた。
「これ取れるんだぜ」
「付け耳かよ!?」
先ほどの驚きもそのままに、樹は素っ頓狂な声を出す。そしてとある事実に気が付き、エスクレンタの熊耳を見上げているヨウコに、ひょっとしてといった様子で目をやった。
「ん、なにさ?」
樹から届く視線に気が付き、ヨウコは首を傾げる。しかもただの視線ではなく、疑いをたっぷりとはらんだ眼差しだ。彼女が困惑するのも無理はないだろう。
だが全体的におおらか、ありていに言えば大雑把なキノコ族の中でも数少ない空気の読めるキノコとして定評のあるヨウコは、話がわからなかったとしてもすぐに尋ねるような真似はしない。
会話の流れや人の感情から、遠回しな言い回しや抽象的な言葉の意味を読み取るくらいの事は朝飯前である。それは意味有りげな視線も同様であり、ヨウコはそれを理解するために話の内容を噛み砕いて思いを巡らせた。
――確か樹たちはエスクレンタの熊耳について話していたんだっけ。それで実は付け耳だという事に樹が驚き、なぜか私の事を見た。その樹が見ている場所は顔じゃなくて頭……いや、角?
そこまで思量した結果、ヨウコは怯えた様子で樹に目を向ける。それから小さく縮こまらせた身体を抱くようにして頭の角を両手で覆い隠した。
「わ、私の角は自前だからね!?」
すると樹はつまらなさそうに首をすくめる。へそ、というよりつむじを曲げたのかはわからないが、だるそうに口を開いた。
「声が大きい。近隣に迷惑でしょ」
「そんな理不尽なっ……!」
樹の住む家には両親と高校生が一人。ところ構わずと大声で喋るような小さい子はいない。そのため近所の人たちには物静かで落ち着きのある一家で通っているのだ。
これからもよりよい近所付き合いを続けていくために、あまり騒ぎたくはない。
しかし彼女がそんな事実を知る由もなく、突然の不条理と世間の厳しさにただただ身を震わせるだけだった。