パニルール・パニリティ
樹がそのゲームのことを知ったのは、彼女たちと出会って間もない頃だ。
ゲームをこの目で見るその時まで、『キノコの国』からやって来た十人十色なキノコの妖精たちは、庭に集ってお菓子を味わいながら談笑するだけの退屈で幸せな生き物だと思っていた。
だからこそ片手に茶会用の土産を抱えて光をともなう彼女たちの存在意義がどうにもわからないでいた。茶会など自分たちの国で行えばいい話なのだから。
もしかしたらやむを得ない複雑な事情があるのだろうか、そう考えたことすらある。それならば気を遣わなければいけないのかもしれない。しかし彼女たちの笑顔からは、悩んでいる人特有の薄ら暗さなど微塵も感じとることが出来ないのだ。
それがまた樹に疑念を抱かせることとなった。
そして一人で悶々としすぎて睡眠にすら悪影響が及んでしまいそうになったある日、我慢出来なくなった樹はキノコ族の王だと名乗る人物に失礼を承知で尋ねてみたのだ。
すなわち、なぜあなた方はこの世界に来たのかと。
それに対してキノコ族の王とやらは、その端正な顔に微笑をたたえながらこう言った。
『知りたいか?』
その後に彼女自身と一族の一人が立ち上がり、二人が見せてくれた試合は中々のものだった。
初めの内は両者の立ち位置からただの格闘技かと思った。だから殴り合いでもするのかと聞くと、キノコ族の王は苦笑した。どうやら決して間違ってはいないのだが、それが全てではないらしい。
樹は思わず何が違うのかと首をかしげた。しばらくの間はそのまま首をひねっていたが、その次に『フィールド』とやらが地面に展開されると同時に、なるほどと納得することが出来た。
少しだけ縦長な『フィールド』が展開された時は、まるで将棋かチェスのようだと感じた。
違うことと言えばお互いの駒が王様、キングだけしかないという点だろう。
しかしその疑問は試合が始まってすぐに解消された。なんてことはない、自分自身が産み出した自らの分身、それを駒にするのだそうだ。
それからのやり取りは、斬新にして圧巻、ド迫力にしてどこまでも魅力的なものだった。その興奮たるやいなや、知らず知らずの内に握り締めた手のひらにびっしょりと汗をかくほどだ。
そして今日に至るまで、キノコの妖精たちが交わす試合を何度も何度も見届けてきた。自分でも筋金入りの飽き性だと自覚している樹だが、不思議なことに未だに飽きそうにない。
「ふうぅうううう……」
そこで樹は高揚した気分を落ち着けようと、長いため息をついた。そのおかげで少しはましになったが、やはり胸の高鳴りは中々止まりそうにない。
庭の真ん中で距離を取りながら相対しているグランディとチャミィの二人を視界の端に収めながら、鹿みたいな瞳を眠そうに片手の甲でこすっているヨウコに声をかけた。
「ヨウコはどっちが勝つと思う?」
樹の隣に座っているヨウコは、はっとしたように顔を上げた。それからグランディたちにぼんやりとした視線を向けて少しばかりうなる。
「――そりゃあ順当に考えたら八位のグランディだけどさ、チャミィも日々成長してるからね。一つしか違わない順位なんていつひっくり返ってもおかしくはないさ」
つまりわからないということか、専門家ぶったヨウコは満足げに鼻を鳴らした。
「それでどっちが勝つの?」
彼女の目を見ながら聞くと、ヨウコはそっと目をそらす。なぜかはよくわからないが、樹はなんとなく優越感を感じて胸を張る。
「――女の子みたいな顔してるのに、男の子みたいな胸板。きっと樹はあれだよね、人間たちで言う『オカマ』ってやつなんだね」
「んなっ!?」
誇らしげな様子を見てヨウコは腹を立てたのか、樹の胸を見ながらそう吐き捨てた。
「き、キノコ族ってやつは人間の性別の見分けすらつかないのか……!」
「うるさいなあ、そんなことより試合が始まるわよ」
性別の判断が出来ないだけでなく、人の話を聞くことすらしないらしい。樹はがっくりと肩を落としながら、グランディたちの方に視線を向けた。
ちょうどそのタイミングで彼女たちはフィールドを展開したのだろう。足元が光り、無数の線が地面の上を走った。
そうして出来上がったものは、やはりどこか将棋盤を思わせるものだった。違うところと言えばマス目は正方形ではなくて正六角形であり、やけに縦長なところくらいだ。
そこでふと、蜂の巣によく似ているなと樹は思った。
以前親切なキノコに教えてもらったことなのだが、よく見てみると長方形を半分に区切るようにして線が引いてある。
あれは『センターライン』と言い、そこを境にしてお互いの陣地に分かれているそうだ。
しかし試合が始まったら陣地という概念は意味をなくす。ならばなぜそんなものが定められているのかと言うと、それぞれが開始する立ち位置を決める時のみに活用されるとか。
これは自分のプレイスタイルである程度定石は決まっているらしい。移動速度が遅いのなら、動かないで済むように陣地内でも一番前に。移動速度が速いのならば、陣地の中でも目一杯後ろへ。
そしてグランディが陣地の限界まで前に居て、チャミィが思いっきり下がっているところを見るに、彼女たちはこのゲームで言うところのパワーファイターとスピードファイターなのだろう。
それぞれの足元のマスが薄い水色から赤色に変わり、立ち位置が決定したグランディたちは片手を掲げる。
そして真剣な面持ちのまま声を張り上げた。
「――これから王の椅子を巡る神聖なる儀式、パニパニを開始する!!」
二人の叫びが終わると同時に、彼女たちの頭上に平面的な緑色の線が出現した。あれはいわば体力ゲージであり、攻撃を受けると減っていく。単純にあれを先に〇にした方が勝者となる。
どちらが始めに行動するかはじゃんけんではなく、順位的に下であるチャミィが先行なのだろう。
チャミィは頭を激しく振る、すると長く艶のある黄色い髪が中空を踊る。その髪の隙間から無数の胞子が舞った。
その胞子は彼女の目の前のマスに集まり、人型を形成した。それだけでも驚きなのだが、さらに衝撃的なのはその人型がチャミィと瓜二つなことだろう。その分身も、チャミィと似たような体力ゲージがお腹の前に表示されている。
チャミィは分身を作ったばかりなのでこのターンは行動できない。そのため必然的に、グランディの順番となる。
グランディも同じように頭を振った。やはり髪の間からキノコの胞子が舞い、目の前のマスに自身の分身を生み出した。
――その様子は彼女の容姿と相まって、カビの胞子に見えなくもない。樹はそんな想像を振り払うべく、自分の右頬を力強く叩いた。ぱしんと、想像よりも高い音がした。
「大丈夫?」
「だいじょぶれす……」
決して力加減を間違えてなんかいないし、ちっとも痛くはなかった。しかし少しばかりひりひりとした頬を、いたわるように優しく撫でた。
そんな樹たちを尻目に、自分のターンになったチャミィはまたもや分身を生み出す。そのさまを見て、樹はおやと眉をひそめた。
それもそのはず、新しい分身に表示されている体力ゲージは最初の分身の三分の一。分身はいつでも生み出せはするのだが、連続で作ってしまうと体力ならびに一部ステータスが下がってしまうのだ。
定石では分身を生み出した後は移動なりさせて、三ターンごとに分身を作るのが定番のはず。恐らく定石では中々勝てないグランディに対して編み出した、なんらかの戦略なのだろう。
チャミィの新しい作戦にも興味を惹かれたのだが、次のグランディの行動にも驚かされてしまう。
なんと彼女も連続で分身を生み出すことにしたらしいのだ。
その意趣返しとも言える行動に、チャミィは頬を引きつらせる。あれは間違いなくトサカもとい、彼女のカサにキているのだろう。
グランディはその様子ににやりと口元を歪めながら、分身を作るためにカビの胞子をばらまいた。――カビではなく、キノコの胞子である。